ある新造は答えた。
「翡翠太夫の行方ですかい?あれでしょう、御大家の主人に身請けされたんでしょう?その先?さあ、知りませんなぁ。ああ、だがもしその後が分かったのなら、俺にも教えてくれませんかい?いやなに、俺がまだこの世界に飛び込んだばかりの頃、太夫にゃあお世話になりましてね。そのお礼がしたいんですよ」
また、とある若い花魁は答えた。
「翡翠太夫をお探しとか。首尾はいかほどでありんしょう?・・・わっちの知っておること?特にはありいせんよ。身請けされた後のことを探るような野暮はいたしんせん。でも、翡翠太夫のことが何か分かりましたら、どうぞわっちにも知らせてくださいまし。わっちの水揚げを手引きしてくだすったのが、何を隠そう翡翠太夫なんですよ。是非、お礼を申し上げたいんです」
また、大見世の遣手婆は答えた。
「翡翠太夫が今どうしているかって?知らないねぇ。あんた、彼女を捜してどうするつもりだい?もしも彼女に何かがあって戻り花になろうとしてるなら、この見世に戻るように言ってくれないかね?彼女は御職を張ってたし、いろいろと手引きしてやれると思うだけどね」
…
(どれも一緒か)
昴はまだ明るいうちに花街を回って尋ねたが、結局同じ答えしか返っては来なかった。誰も彼女の行く末を知らない。その割に、何かと縁をでっちあげて会わせてくれと懇願してくる。目的など火を見るより明らかだ。ここにたむろす魍魎の、誰もが翡翠を我が物にしたいのだ。そのためにならいくらでも口車に拍車を駆けてくる。今まではそれに乗るまいと強固に振る舞ってきたが・・・
「逆に乗せてみるか」
ふと不敵に呟く昴。そしていつだったか、手を引かれた見世へと向かった。
「こんな明るいうちから買うてくださるというから、どんなに酔狂な方かと思えば旦那でしたか。嬉しゅうありんす」
は虫類を思わせる尾を引きずったまま、花魁が部屋に入ってきた。ゆらりと艶っぽくしなだれて、昴の近くに腰を下ろす。
「それは光栄だね」
素っ気ない言葉を添えて、流し目気味に不敵に花魁を見やる。
「僕が君に金を出したからには、僕はお客だ。君は僕の言うことに答えなければならない、そうだね?」
「もちろん。どんなご注文でもお応えいたしんしょう」
「では、教えてもらおうか。君が知っている、翡翠太夫のことを」
「まあ」
は虫類の花魁は、眉間にしわを寄せて嫌悪感を露わにすると、ぷいっと昴から顔を背けた。
「結局それが目的ですか?まったく、野暮な旦那ですこと」
「花柳界の流儀に反していることは承知しているよ。でも僕は翡翠太夫に恋しているわけではないし、また君に対してもそうだ。僕の心は誰の物でもない」
「だから、浮気には当たらないということでありんすか?それはただの言葉遊びでござんしょう?!」
「僕の言うことには答えると言ったはずだが?」
「話が別でありんす。冷やかしなら帰りなんし」
「冷やかしじゃない。僕はちゃんと君を楽しませるつもりだ」
「枕をともにしないで、どうやって?!」
花魁は少し振り返って吐きかけるように言うと、またぷいっと顔を背けた。へそを曲げたか、まあいい。
「そうやって、他人の知りたがっていることを胸に秘めたままで満足かい?」
昴が低い声で囁きかける。花魁は未だ振り返ざるままだったが、興味ありげに小首をぴくりと動かす。
「噂話は人に話してこそ面白いものだと、そう思わないかい?他人の知らないことを、自分が知っていることほど、優越感に浸れるものはない。まして相手が知りたがっているなら尚更だ」
さらに言葉を続けると、花魁は「はっ」と大きく嘲笑した。
「それもそうでありんすなぁ」
花魁はゆっくりと振り返ってニヤリと笑った。口が耳まで裂けて、鋭い牙と二股に分かれた舌がのぞく。色欲ほど好物というわけではないだろうが、知りたがる心も欲であることに違いはない。腹が減っているのか、思わず花魁は舌なめずりをする。昴は無表情のままその顔を鋭く見つめ返したが、本性をさらけ出していることに気づいてたのか、花魁はククク・・・とさらに妖艶な含み笑いをしながら、一度袂で顔を隠す。
「ようござりんす」
再び顔を上げると、花魁の顔は人のものを取り戻していた。花魁は尾を引きずりながら昴に近寄り、そっと耳打ちする。
「翡翠太夫は売られたんですよ」
「売られた?誰に?」
「そもそものお話は、翡翠太夫を身請けした主人が死んだことにありんす。私たちがここに来たのは、それより後のことですから詳しいことは分かりいせんけど、年だったのでおそらくは自然のことであろうと」
花魁はおもむろに杯に酒を注いで、ゆらりとゆらめく流し目を昴に送った。
「それで、彼女はその後どうなったんだい?」
「彼女は・・・翡翠太夫はもちろん、世話をしていた主人が亡くなったのですから、あるいは戻り花になるという手段もあったでしょうが、おそらく人知れずひっそりと暮らすつもりだったんでありんしょう。けれどそんな最中、彼女は何者かにさらわれましてね」
「さらわれた?!」
そう問い返したとたん、昴は目眩に襲われて思わず額を押さえた。目の前がチカチカして、何度か瞬きを繰り返す。花魁はそんな昴を心配するどころか、楽しげににんまりと笑っている。
「さらったのは、主人の義弟だという話ですよ」
「義弟・・・?」
聞き返す度に頭痛がする。それでも尋ねないわけにはいかない。
「翡翠太夫の美しさに囲いものにしたかったというのならまだ良かったでしょうが、生憎義弟は金策にあえいでいたらしく。博打好きの道楽でしたから、背負い込んだ借金が相当あったそうですよ。ただ、その足しにしようと彼女を売る道すがら、良からぬ仲介が入ったのが運の尽き。今彼女が表に出てこれないのは、そのせいでありんす」
「ちゅ・・・仲介というのは?」
「それが分かれば苦労は致しんせん。まぁ、その者が私たちをも手引きしてくだすったので、こうしていられるのも確かでありんすけど。いずれにしても良からぬ者であることに違いはありいせん。仲介に感謝はしても、厄介なことに変わりありいせん。そのせいで翡翠太夫は籠もってしまっているし、この辺りの者が殺されておりんすもの。ああ、一つ不可解といえば、なぜ先日は素浪人なんぞを殺したんでしょう。今までは花魁に手を出すことが多かったというのに。ねぇ、旦那」
は虫類の花魁は、そっとそのひんやりとした手で昴に触れた。途端に体をびくつかせて手を振り払うが、花魁はなおも楽しげに妖しく微笑む。
「ほかには何か?」
分かっているくせに、花魁は尋ねる。
「・・・いや、もう結構」
昴はふらつきながら立ち上がった。頭痛と目眩が激しい。立ちくらみに目の前が見えなくなる。
「ごちそうさま、旦那」
その背後で花魁は満足そうに舌なめずりをした。昴は壁伝いに階段を下りると、昼間の見世から出ていった。