次の日は朝からとてもよく晴れて、夕方には実に見事な夕焼けが見られた。西の空がまだ明るいうちは、燃えるように真っ赤だった空も、太陽が沈み始めると徐々に濃い藍色へと変化していった。カナカナと蜩が鳴いて、涼しい風が吹く。一面が土の境内の双姫神社は、こと涼しげに感じられた。

 そんな中を、友泰はいつにもましてコソコソと石段を上がってきた。小さな紙袋を片手に下げて、足音を立てないように登る。上がった先には双子の狛犬が鎮座していて、友泰がいくら慎重に上がってきたところで丸分かりではあったが、友泰は素知らぬ振りをしてそれをやり過ごした。抜き足差し足で榊の木の下へ歩み寄る。

「やあ。」

 囁きかけるが、返答はない。友泰はまず縄に絡げていた自分の傘を解いて降ろす。

「君が何を食べるのか分からなかったからさ、中身の具はないんだけど・・・」

 友泰はそういいながら、提げていた紙袋を探った。中に入っているのはシンプルな塩むすびが二つ。嗜好は妖怪それぞれ異なるが、穀物類なら普遍的に好むものだと、以前昴に聞いたことがあったのだ。砂糖菓子の好きなひこばえも、普段何を口にしているのかすら分からない双姫らも、ぬばたまでさえ、あの嘴で器用に昴の作るおにぎりを食べていた。「中身はないですよ」そう言われて食べたおにぎりより、ずっと無骨で不揃いな友泰のおにぎり。そのラップの包みを解いて天邪鬼に差し出す。

「ほら、食べなよ。お腹が空いているんだろう?」

 その糸目に塩むすびを見て、瞳の奥を輝かせたのが友泰には分かった。力なく表情のなかった両頬が、ほのかに赤くなって口角が上がる。

「な、な、オイラ、それ・・・」

「うん。君のために作ってきたんだよ。ほら、お食べ。昴くんには内緒だよ」

 何の気なしに最後の言葉を付け加えると、天邪鬼はパッと明るした表情を途端に暗くしてそっぽを向いた。

「いらん、やっぱりいらん」

 しかしいくら強がっても腹が鳴る。

「何言ってるの。大丈夫、昴くんだって本当は君のこと・・・」

「いらんと言ったらいらんのじゃ!」

 天邪鬼は突然癇癪を起こして、塩むすびを差し出していた友泰の手を蹴飛ばした。塩むすびは友泰の手からこぼれて、土の地面にどちゃりと落ちた。

「ああ・・・おにぎりが・・・」

 友泰は慌ててしゃがみ込んだ。その頭上で、堰を切ったように天邪鬼は喚く。

「そんなもの要らないもん!オイラ、全然辛くなんてないんだもん!許してほしくなんかないんもんね!おまえなんか帰れ!帰ってしまえー!」

「天邪鬼くん・・・」

「お腹なんか空いてないもん・・・うっうっ・・・オイラずっとこのままでいいんだもん・・・ううっ・・・」

 とうとう天邪鬼はべそをかいて、それでもなお譫言のように強がりを言っていた。その姿に、友泰の心はひどく痛んだ。本当は素直になりたいはずなのに、それがどうしてもできない。とても哀れで愛おしさすら感じるその癇癪。

 

 

 「やれやれ、やっと本心を言いましたか」

 宵闇の境内に、どこからともなく姿を現す昴。その切れ長の目は凛と鋭く、それでいてとても慈愛に満ちた眼差しを天邪鬼に向けていた。

「昴くん・・・」

 何かを言いかけた友泰を一瞥して、昴はまたわずかに微笑みを浮かべながら、榊の木へ歩み寄った。

「許してほしくなどない、ずっとこのままでいい、確かにそう言ったね」

「あ、昴くん、それは・・・」

 昴は友泰には応えず、ただ厳しく天邪鬼を見つめる。天邪鬼はべそをかいて真っ赤になった顔をくしゃくしゃにして、昴の言葉を聞いていた。

「では、お前に名前をやろう。そして僕に仕えるといい」

 昴がそう言って片手を翻すと、境内の中にまた風が吹いて、土と草の混じった芳しい匂いが辺りを満たす。

 

 

「青葉闇 陰りて凍えど ひさかたの 光なくして 影はあらじと・・・お前の名は今日から青葉闇だ」

 

 

「オイラが・・・?」

 やっと顔を上げた天邪鬼・・・青葉闇に、昴は優しく微笑んでうなずき返す。その瞬間に青葉闇を縛り上げていた縄は、空気中に溶けていくように消えていき、青葉闇は実に数日ぶりに地に足をつけた。

「青葉闇・・・うん、いい名前だ」

 友泰はいつだかに昴が話していたことを思い出しながら、やはり頷いて青葉闇を見やった。べそをかいて真っ赤になっていた顔は、今は柄にもなく素直に嬉しそうな紅潮に変わっていた。そして途端にきゅるるる・・・とお腹を鳴らす。

「あ、そうだった。何か食べないとね」

「何を言ってるんです?友泰さんのおにぎりがあるじゃありませんか」

「え、でもこれは・・・」

「ふん、こんなもん、オイラに食べられるかい」

 口ではそう言いながらも、青葉闇はしゃがみ込んで、ついさきほど自分が蹴飛ばした友泰のおにぎりを拾い上げた。表面についた土は、小さな手でパタパタとはたいて、余るほど大きく無骨な塩むすびに思い切りにかぶりついた。

「ああ、不味い!不味いのう!」

 青葉闇は相変わらずの悪態をついて嬉しそうに、ボロボロと涙をこぼしながら次から次へと口へ運んでいった。

 

 

 

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