ひこばえが心配したとおり、友泰はそれから数日、天邪鬼のために双姫神社を訪れた。それはやはり綱渡りの危うさではあったが、友泰は昴との約束通り、決して「縄を解いてほしい」という天邪鬼の言葉は聞かず、ただ通う日々が続いた。ある日には天邪鬼に昴への謝罪を促したり、またある日には世間話ということもあった。天邪鬼はそんな友泰に対していつも同じ、体を揺すったり足をばたつかせたりして、友泰の心知らずに飄々と笑うだけ。

 昴はといえば、その様子を毎日見ていながら何一つ友泰を窘めることはしなかった。ひこばえは勿論やきもきしたし、双姫も石の座に鎮座しながら互いに目を合わせるばかりだった。一体何を思っていたのだろう。怒るでもなく訝しがるでもなく、微笑ましく見ているでもない。凛と澄んでまっすぐな瞳。その真意は誰も知るところではなかった。

 

 

 

 

 その日の夕立は、随分早いうちから降り始めて、長いことぐずついたままだった。ここ最近はずっと真夏日が続いて埃っぽく、長い夕立は暑さの中休みそのもので、多くの人にとって恵みの雨となった。

 そんな雨の中を友泰が、双姫神社の石段を駆けあがってくる。友泰は依然木に吊されたままであろう天邪鬼のことが気になって仕方がなかったのだった。榊の木の下であっても、雨に濡れないわけがない。ただいつも楽しげに笑っている天邪鬼のことだ。こんな雨など堪えることもなく、いつものように体を揺らして遊んでいるかもしれない。その可能性を胸中に秘めながらも、友泰は軽く息を切らせながら境内にやってきた。

「天邪鬼くん・・・」

 友泰は榊の木の下の、その姿を一目見て驚きを交えて呟いた。楽しげにしているだろうと思っていた。それが予想に反してしょぼくれて、ただ雨に打たれている姿がそこにあったのだ。まるで両親に怒られた子供が、部屋の隅で背中を丸くしているように、元気のないその姿。胸の奥がキリキリと痛む。

「・・・だ、大丈夫?」

 友泰は傘を差しかけた。

「なんじゃ、兄ちゃんか。」

 天邪鬼は少しだけ首を持ち上げて呟く。服も顔も髪の毛も、全身が雨にびしょ濡れになっている。

「随分濡れちゃったんだね、ほら。」

 友泰はポケットからハンカチタオルを取り出して、滴の流れ落ちるその頬を拭いてやった。

「いやじゃ、いいんじゃ!やめろ!」

「何言ってるの、こんなにびしょ濡れなのに。」

「いいんじゃ!オイラ、全然辛くないもんね。雨で濡れるの面白いんだもんね!邪魔をするな、あっち行け!」

「でも・・・」

「行けったら!」

 いつになく天邪鬼は目くじらをたてて、友泰に悪態をついた。足をばたつかせて、ハンカチタオルを持つ友泰の手を自分から遠ざける。友泰はその態度にたじろいだが、何かを決意するとハンカチタオルをしまって、天邪鬼の背後に回った。

「何をするんじゃ?!」

「縄は解いてあげられないけど・・・」

 友泰は天邪鬼を縛る縄に、自分がさしていた傘をうまいこと絡げて天邪鬼の雨避けに仕立てた。大人用の傘は子供の天邪鬼には十分すぎるほどの大きさで、降りかかる雨も木々を伝ってくる滴もすべて受け止めた。

「これでいいかな、ね?」

 満足そうにニコリと笑いかける友泰。天邪鬼に傘をやったために、友泰の体が濡れ始めていた。

「うるさい、うるさーい!あっち行けよーい!!」

 天邪鬼はますます苛立って、木の下から友泰を追いやった。たまらず友泰は「ごめん、ごめん」と慌てて、拝殿の軒下に避難した。そして遠目に天邪鬼を見遣る。その表情は再びしょぼくれて、傘も、雨すら見上げようとしない。

 

 

 「今日は雨宿りですか、友泰さん。」

「わ、わぁ、昴くん・・・!?」

 またしてもいつの間にか傍らに佇んでいた昴の声に、肩をビクつかせてとびのく友泰。昴はいつもと同じ、穏やかな微笑みを彼に向ける。

「い、いやぁ、まぁ・・・そんなところかな。」

「毎日、よく飽きませんね。」

 とっさに言葉を濁した友泰の言葉に、昴は皮肉混じりに返した。それだけで、昴が実はすべてお見通しであったことが伺える。

「ごめん、昴くん。」

「何を謝るんです?友泰さんは僕との約束を破ったわけでもないでしょう?」

 昴に優しくそう言われ、友泰は弱々しく笑みを浮かべる。

「でも・・・お節介だったのかな。さっきとうとう「あっち行け」って言われちゃったよ。」

 肩を落とす友泰に、昴は柔和にふふふと笑う。

「ね、友泰さん。知ってますか?」

「何をだい?」

「天邪鬼は普通悪態をつかないんです。いや、正確にはつけないんですよ。」

「え、でも・・・」

「天邪鬼は常に心の中で常に悪いことを考えたり、悪態をついていますから、表面上はその反対の素振りを見せるものなんです。甘い言葉、優しい態度、無邪気な振り・・・とね。」

「でも昴くん、さっきは本当に・・・」

 言いかけた友泰に向かって、ただ柔和に微笑み返すだけで昴は何も言わない。漆黒の澄んだ瞳が、雄弁に何かを友泰に語りかけるように。

 

 「・・・昴くん、あの子だいぶ弱ってる。」

「そうですね。もう何日もあのまま、何も食べてませんからね。」

 友泰が呟くように切り出すと、昴もため息混じりに言葉を続けた。

「あの子たちでも、飲まず食わずではいられないの?」

「そりゃいられませんよ。一般に言う幽霊の類とは違って、妖怪たちは生きてるんです。生きてる以上は栄養が必要です。尤も人間ほどではありませんけどね。」

「・・・許してあげられないの?」

 友泰の問いかけに、昴は再びため息をついた。その表情には哀愁が伺える。

「可哀想だから、という理由だけで簡単に罪を許してしまったら、その被害を受けた人があまりに報われないと、そう思いませんか?」

「それは・・・」

「あれに仕置きを強いたのは僕ですから、その僕が率先して許してしまうわけにはいかないでしょう?その被害者にも関わりましたからね。」

 友泰はそれ以上何も言えないで、肩を落とした。雨は拝殿の屋根に巡らされた雨どいを伝って、地上の石を打つ。夏の夕暮れにしてはほの暗く、濡れた服に寒気すら感じられた。

「・・・早く許してあげたいんですけどね。」

 昴が独り言のように呟いた。その一言が、友泰の心にいつまでも残った。

 

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