次の日、友泰は特に用事はなかったが、昨日の天邪鬼のことが気になり双姫神社を訪れた。なるべく気づかれないようにそっと鳥居をくぐり、狛犬の台座の影に隠れて木の下を見遣る。まだ天邪鬼はお仕置きの最中。昨日と同じく木に吊されたままで、相変わらず体を揺らす余裕を見せている。

「い、いたたた・・・」

 友泰は不意に肩口を引っ張られた。見ると、いつの間にか具現化していた佐保が友泰のシャツをくわえて、「あれに構うな」という昴の言葉を忠実に守っていた。鼻をフンッと鳴らして、低く喉を震わせる。

「わ、分かってるって。大丈夫。縄は絶対解かないからさ。」

 友泰は佐保をなだめると、抜き足差し足で木の下へ近寄った。

「や、やぁ」

 なんとも挙動の怪しい友泰の一言。

「ふーんだ、兄ちゃんもあの悪い奴らの仲間だったんだなー」

 天邪鬼は友泰の顔を見るなり頬を膨らませて、両足をばたつかせた。しかしその目は相変わらずのつり上がった糸目で、本気で怒っているのかどうかは計りかねた。

「昴くんは悪い奴らじゃないよ。」

「悪い奴らじゃないなら、オイラにこんなことしないはずだもん。」

「だ、だってそれは君がいけないことをしたんでしょ?」

「してない、してなーい」

 天邪鬼はさらに大きく体を揺さぶって、あっけらかんとした声色で否定を繰り返す。いくら余裕を見せていても、縄は体に食い込んでいるだろうに、それでも天邪鬼は自ら体を揺らした。

「昴くんにちゃんと謝った方がいいよ。そしたらすぐに縄を解いてくれるから。」

「なんで悪いことしてないのに、オイラが謝らないといけないんだ?」

 天邪鬼は体を止めて、まっすぐに友泰を見据えた。その表情は先ほどまでの嘯いていたものとは違い、きょとんとして善悪の区別のつかない幼子のようなものだった。

「自分では悪いと思っていなくても、知らない間に誰かを傷つけていることもあるんだよ。そういう時は、やっぱり謝らなくちゃいけない。自分は悪くないって思っていても、ね。」

 友泰は少し膝を折り曲げて、説き伏せるように天邪鬼をじっと見つめた。天邪鬼は相変わらず頬を膨らませて、口を尖らせながら目線を泳がせる。

「知らない、知らなーい。オイラ、分かんないもん。」

 友泰の言葉も何のその、一時神妙にした顔をケタケタと笑わせて、天邪鬼はまた体を揺らし始めた。友泰はがっくりと肩を落とす。昴は天邪鬼のいうことは無視しろといった。それは天邪鬼がこちらのいうことを無視するから言ったのだろう。いくら誠意を込めてみても、天邪鬼の暖簾に腕押しするだけなのだろうか。

「な、な、兄ちゃん。そんなことより縄を少し緩めてくれんか?オイラ、もう体が痛いんじゃ。」

 痛いという割に、未だケタケタと楽しそうなその表情。その矛盾が友泰の心をかき乱す。

「だ、だめだめ!それはダメだってば!」

 友泰は首を横に強く何度も振ると、逃げ出すように木の下から駆けだした。「な、なーってばー」と面白がって追い打ちをかける天邪鬼の言葉を、両耳をがっちりと押さえて遮る。その駆けだした先、拝殿のすぐ傍らに、いつの間にか佇む青年の姿。神社に足を踏み入れた時には、まったくその存在には気がつかなかった。

「あ、わ、昴くん?!」

 後ろめたいところのあった友泰は、思わず足を止めギクリと肩をビクつかせた。

「今日はどうしたんですか?友泰さん」

 一瞬昨日のように、鋭い目線を送られるのだと思った。しかしその予想に反して、いつもと変わらず穏やかで、昴はにっこりと柔和な笑みを浮かべる。

「あ、いや、はは・・・なんというか・・・」

「涼みにでも?」

 昴は一部始終を見ていたわけではなかったのだろうか。先ほどの微笑みと同じく、友泰の思いも寄らない言葉が続く。

「涼みに?あ、ああ・・・そういえばここは涼しいんだね。外は日差しでじりじりしてたけど、境内は別世界みたいだ。」

「木がたくさんありますからね」

「木?」

 友泰が聞き返すと、おもむろに昴は近くの木を指した。

「青葉闇というんです。木下闇だとか、単に下闇ともいいますけどね。この時期、日差しは強いですが、それに伴って木々も大きく葉を広げますから、こうやって木の下の影は非常に濃くなって、ひんやりと涼しいんです。今朝少し水を撒いておきましたから、ちょうどよく湿気があってさらに涼しいでしょう?」

「本当だ。風が吹くと気持ちいいや。」

「昔は夜に使われる言葉でしたが、今はすっかり昼に使う言葉になりましたね。そのせいで光と影のコントラストや、急に温度が下がることを不気味と捉えられていたようですが、こうして日差しの下から影に入ると、涼しくて生き返った気持ちになりませんか?」

「うん。闇ってついてるとマイナスなイメージが浮かんじゃうけど、こうしてると全然。むしろありがたい感じがするね。」

「考え方次第です、何事も。闇も光も、ね。」

 昴は最後の一言に、不思議な余韻を含ませて呟いた。その流した目線が、昨日の昴を思わせて友泰をドキリとさせたが、その表情は一瞬で消えてすぐさま柔和な微笑みに変わる。

「もう少し涼んでいきますか?」

 さらに友泰を惑わせるような、昴の一言。その真意がどこにあるのかは、今の友泰にはまったく分からなかった。

「い、いや、いいよ。もう随分涼んだしさ。」

「そうそう、先日の水羊羹、ひこばえがいたく気に入ってましたよ。」

「あ、本当?それじゃまた何かもらったら持ってくるよ。それじゃ、昴くん。また」

 いつにもまして慌ただしく、友泰は境内を小走りに抜けていった。鳥居をくぐる時に「じゃあね、ワンコちゃんたち」と声をかけて石段を下り、その姿は神社から離れていった。

 

 

 

 「相変わらず危ういのう、友泰は。」

 昴の佇む傍らに、ふわりとひこばえが姿を現す。

「昴は何も言わなくて良かったのか?見ていなかったわけでもあるまいに。」

「そうだね。」

 昴は小さく呟いて、天邪鬼を吊した木の下を見遣った。天邪鬼はその昴の目線に気がついているのかいないのか、体をひねるようにしてその反動を楽しんでいる。

「明日も来るようなら窘めるべきよのう。友泰はいつか根負けするぞ。」

「うん・・・でも僕は、もう少し様子を見るつもりだよ。」

「なんじゃと?!」

 昴の言葉に、ひこばえは思わず拝殿から身を乗り出して昴の肩にすがった。

「本当は僕も、友泰さんに注意しようかと思って見ていたんだけどね。」

「だったら何故・・・?」

「少し・・・思うところがあったから。僕じゃできないことが、友泰さんにはできそうな気がしたんだ。何か変わるかもしれない、もしかしたら、ね。」

 語尾に一言付け加えるのと同時に、肩に手をおくひこばえに目線を送り、にこりと笑みを浮かべた。ひこばえは不本意そうに口を尖らせたが、その頬は紅潮して眉は困ったように八の時を描いた。

「まったく、昴はいつも甘いのじゃ。あれをこのままにしておいたって、昴には何の得もないではないか。」

「そうだね、でも乗りかかった船だから。」

「昨日送っていった方はどうなのじゃ?」

「うん、そっちは問題ないと思うよ。注意するように言っておいたしね。輿入れまでは見届けられなかったけど、きっと大丈夫さ。」

 優しくどこか遠くを見つめる昴の横顔を、風がふわりと撫でる。木々が揺れてしゃらしゃらと、楽しげに笑っているような木漏れ日。

「・・・仕方がないの。元より境内はわしの範囲外じゃ。」

 ひこばえは苦虫をつぶしたようなしかめっ面で呟いた。

「じゃが、甘やかしは以ての外じゃぞ、昴。」

「おや、今日は随分ご機嫌斜めなんだね、ひこばえ。」

「そ、そんなことはない!いつもと同じじゃ!」

 ひこばえはますます顔を赤くしてぷーっと膨れると、そのままふわりと飛び上がって姿を隠してしまった。昴をその残像に微笑みかけると、榊の木の下にもう一度目を遣った。縛られながら、なおも楽しそうに振る舞う天邪鬼。その姿をしばし見つめてから、昴もまた拝殿へと入っていった。

 

 

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