双姫神社にはまた穏やかな日々が続く。季節は初夏から真夏へと近づいていって、木々の下は日一日と涼しく感じられていく。昴と友泰しかいないはずの境内には、きゃっきゃと明るい子供の声が響いていた。
青葉闇はすっかり双姫神社に馴染んで、榊の木の下を離れては佐保・竜田と走り回ったり、ひこばえにちょっかいを出したりと、天真爛漫に過ごしていた。もちろん悪態は相変わらずで、そのたびにひこばえが頬を膨らませない日はなかったが、悪いいたずらをすることは決してなく、今ではすっかり天邪鬼と呼ぶことすら躊躇われるほどであった。
「もうすっかりイイコだね、あの子は」
「まったく、友泰さんは本当にお人好しですね。未だに青葉闇の言動に惑わされているというのに」
「はは、まぁ・・・それは、ね」
昴の皮肉に、友泰は後頭部に手をあてがって誤魔化す。言うこと為すこと正反対の青葉闇に、友泰はずっと慌てるばかりであった。青葉闇はそれがたまらず楽しいようで、友泰にしてみても満更ではないように見えた。
「昴くんのことだから大丈夫だとは思うけど、あの子はもう悪いことはしないんだろう?」
境内ではしゃぐ青葉闇を見ながら、友泰は遠慮がちに尋ねる。
「そうですね。名前を付けましたから、僕たちがあの子を青葉闇と呼ぶ限りは大丈夫でしょう」
「名前・・・か、それだけで随分変わるんだね」
「ただの名前ではありませんから。和歌で縛ってありますし、それにもう一つ、あの名前には強い繋がりがあるんですよ」
「繋がり?」
きょとんとして友泰がさらに尋ねると、昴はまたにこやかに微笑んだ。
「緑陰に 輝く瓜にも ひさかたの 光の元にこそ 影はありけり」
「なんだかよく似た歌だね」
「本歌です。青葉闇の歌はこの歌を元にした本歌取りなんです。これが誰に宛てた歌か分かりますか?」
昴に逆に聞き返され、友泰は小首を傾げて黙り込んだ。昴はそんな友泰に答える猶予を与えたが、しばらくしてから言葉を続けた。
「瓜子姫です」
「あ・・・」
「この二つの歌が本歌、本歌取りであることは、互いにとても強い影響を与えるんです。もともと緑陰と青葉闇というのは、どちらも木の下に影が出来る様子を表した言葉。緑陰がその影を作り出す光を指すのに対し、青葉闇は影そのものを指します。一方には影があることに気をつけろと、もう一方には光があることに気がつくようにと、暗示を含めているんですよ」
「だから瓜子姫はもう悪いイタズラには惑わされないし、青葉闇くんは悪いことをしない、そういうことなんだね?」
「ええ」
友泰が実に明快に答えると、昴はとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべて頷いた。
「さすが昴くんだね。そこまで考えていたとは・・・」
「そうでもないですよ。僕には友泰さんの方がよっぽど流石と思えます」
「え?俺が・・・なんで?」
「なんでもです」
意固地でへそ曲がりの天邪鬼を、ああも素直にさせてしまう。お人好しもここまで来れば、大概にしろとは言い難い。あの日、天邪鬼を見捨ててしまわないで良かった、友泰に賭けてみて良かった・・・それを思って、昴はまた人知れず柔和な笑みを浮かべたのだった。
「そういえば、ああやって和歌で名前を付けてるってことは、ひこちゃんやワンコちゃんたちにもそうだったの?」
友泰は昴の言葉の真意を汲みきれないまま、ふと思い立ってさらに尋ねた。
「そうですよ」
「それじゃ、ひこちゃんにはどんな歌だったの?」
「それは・・・」
「そう易々と教えるわけにはいかんのう」
突然拝殿の縁側に現れて、友泰の好奇心に釘を差すひこばえ。友泰はその声にひどく驚いて、「わわわ」と思わず後ずさる。
「まぁつまり、こういう訳ですから」
昴はとても楽しげに笑っていた。夏に向かう日差しに木の下の影がゆらゆらと踊る、穏やかな日の午後だった。
5へ≪