意識の混濁した真っ暗な闇の中、昴はやけはっきりとした夢を見た。それは誰かの記憶を垣間見ているかのように、いくつもの場面がフラッシュバックしていた。

 大きな旧家、下働きをしている女、それを罵倒する老夫婦。小さな子供が一人いる…そこにもう一人別の女。夜の闇にまぎれて走る母と子、たどり着いたのは小さな農村。病弱な男の姿、子供…とられる…嫌だ、嫌だ…嫌だ…!!

 

 私の子じゃ…私の子じゃ…ああ、誰にもやるものか…

 

 

 

 

 

暫くして目が覚めると、昴は拝殿の真ん中で布団に寝かされていた。枕元には飲み切れない程のペットボトルが並んでいる。

 

「…友泰さんらしいや…」

 すぐにそれと分かる。今は夜、もう家に帰っただろうが…。

 

「覚めたか、昴」

 

 ややあってひこばえが現れ、ふわりと昴の傍らに舞い降りる。少し怒りっぽい座敷童子は、ますます頬を膨らませて昴を見下ろしていた。

 

「無理をしたのぅ、馬鹿者。鬼の気にあてられおって。」

 

「…そうだね。久々にやられた。」

 

「まったく…双姫と友泰を帰すのには骨が折れたぞ。」

 

 あれから佐保と竜田は昴を心配して一時も傍を離れようとはせず、友泰は責任を感じてやたらあれやこれやと買っては置いていったのだ。だいぶ長いこと拝殿に居座っていた彼らだったが、最終的にはひこばえに追い出されるようにして渋々帰ることになったのだった。

 

「…君にも心配をかけたね、ひこばえ。」

 

「べ…別にわしは何もしとらん!」

 

 布団から起き上がってまっすぐに昴にそう言われると、ひこばえは頬を真っ赤にして強がった。昴はそれを微笑ましげに見遣ると、「さて…」とおもむろに立ち上がった。

 

「あのかんざしは今どこに?」

 

「…わしが預かっておる。あそこじゃ。」

 

 ひこばえが見た先、祭壇の隅には榊の枝を被せられた高杯が置かれていた。あの突き刺さるような毒々しさは、榊に阻まれて大分成りを潜めている。

 

「今は大人しくしとるがの、まだあれがのぅなった訳ではない。わしとしてはいっそのこと、燃やして灰にしてしまっても構わんと思うがな。」

 

 ひこばえの厳しく苦々しい提案に、昴はただ“うん…”と曖昧に頷く。燃やしてしまう…、そうやって宿る場所を奪うのも一つのやり方であることは間違いない。

 

「迷うでないぞ、昴。鬼を断ち切る刀など、ここにはないのじゃ。」

 

「…そうだね、確かに鬼を斬る刀はない。でも…」

 

「なんじゃ?」

 

「…いや、少し考えさせて。」

 

 そう言うと、昴はおもむろに立ち上がって拝殿の扉に手をかけた。

 

「どこへ行く?」

 

「ちょっとそこまで。」

 

 また意味深に微笑みかけて、昴は夜の境内へと出ていったのだった。

 

 

 

 

 

「昴くん!」

 友泰は朝早く双姫神社を訪れ、開口一番高らかに名を呼んだ。勢いよく開け放たれた拝殿の中は、友泰の予想に反してすっかり片付いており、着替えまで済んだ昴がこちらを向いていた。

「おはようございます、友泰さん。」

「お…おはよう、昴くん。もう体は平気なのかい?」

 いつもと代わらない昴の様子に、友泰は呆気に取られて目を丸くした。昨日あれほど蒼白した顔色で、どんなに名を呼んでも微動だにしなかった…そんな青年がまるで何事もなかったかのように平然としている。ひこばえがしきりに拝殿に寝かせるよう言ったのは、このためだったのだろうか。

「おかげさまで大丈夫ですよ。」

「あ…そうか、はは…あぁ…良かったぁ…!」

 昴の言葉に、友泰は安堵のため息をついた。

「もし今日も目覚めなかったらって心配してたんだ。病院に連れていかなきゃダメかと思って…」

「そんな…大袈裟ですよ。まったく友泰さんの方が死にそうな顔をしてるじゃないですか。そんなに息を切らしては喉も渇くでしょう。…おすそ分けしますよ。」

「え?おすそ分け?」

 きょとんとした友泰の前に、どんっと何本ものペットボトルが並ぶ。夕べは枕元にあった内の幾本かが揃っていた。

「こんなに飲める訳がないでしょう。本当に友泰さんらしいんですから。」

「いやぁ…あはは。」

 友泰は罰の悪そうに笑うと、その中から気に入りのお茶を選んで軽く口に含んだ。昴の口数がいつもより少し多いのは、自分に対して気を遣っているという証。それを思うと、未だ若干赤い首筋を見てもただただ口を紡ぐばかりだった。

 

 

「さて、どうするかの?」

 ややあってひこばえが音もなく現れる。

「不用意に入れば昨日の二の舞じゃぞ。」

「うん…それについてはちょっと思うところかあるんだ。ところで友泰さん…」

 不意に言葉を振られ、友泰は曖昧に笑みを浮かべながら目を丸くした。

「昨日のことをどう見ましたか?」

「え?昨日のって…?」

「“子供を殺したのは誰か”という話の続きです。どんな真相だったと思います?」

「う、うーん…と言われても…」

 昨日はただ昴の体調を心配するばかりで、そこまで考えている余裕などなかったのだ。確かに様々な憶測が立てられる。父親が殺したにしても、母親だったにしても、それ相応の理由付けならいくらでも出来る。そんな憶測の森に紛れた一枚の真実の葉を探すには、友泰には一晩など短すぎる話なのだ。

「さしずめ子供を取られまいとして…といったところかの。」

 昴の言葉の後をひこばえが補う。

「うん、十中八九ね。つまり僕の考えるところはこうだ。…友泰さん、長い話になりますよ。」

「わ、分かった。続けて、昴くん。」

 友泰の返答を受けて前屈み気味に座り直すと、昴は手を軽く組んで話し出した。昨晩見たあの夢を脳裏にありありと思い浮かべて言葉を選ぶ。

 

 

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