お堂さんの草むらが、風に反してガサリと揺らめく。空には真っ暗な夜空にもまして黒い雲がいくつも浮かび、風に乗って動いては月の光を遮った。代わる代わる訪れる闇と、そのたびに息を吹き返すような月光。静かな夜のせめぎあいを、風情とはおよそかけ離れた男が一人、草を布団に寝転がってじっと眺めていた。

「さて・・・」

 月がちょうど空のてっぺんを少し過ぎたのを見計らって、蓮角は起きあがった。口にくわえていた草を、ぷっと吹いて捨てる。顎に手をやり、無精髭をいじるようにして一度ニヤリと笑うと、傍らに置いていた刀をやおら手に取り、立ち上がって腰に帯びた。

 まったく、草木も眠るとはよく言ったもの。風に揺れているにも拘わらず、葉の擦れあう音はまるで寝息のよう。穏やかに波立つ水面も呼吸を繰り返しているようで、背後の町並みにいたっては、皆寝静まってしんと物音ひとつだにしない。

こんな時分に寝もせずにいるのは、月と雲と、草むらに潜む虫たちと、それから自分一人だけ。蓮角はそんな状況に優越感にも近いものを覚えて、再び笑みを浮かべた。むろん趣深いものを感じている訳ではない。独占欲、今蓮角を満たすのはその傲慢な欲望だけ。蓮角はその不気味な笑みを絶やすことなく、草むらをあがってお堂さんの道へあがった。ゆらりゆらりと酔狂な足取りで、町へと続く道を行く。

 

 

 「このような時間にどこへ行く?蓮角」

 その男の足を、静かな声が遮った。お堂さんと町の際で、長身の男が月明かりの下に姿を現す。その鋭い目つきは、先日この場所で見たものとは比べものにならないほどに鋭い。それを見て、蓮角はさらに口角を持ち上げた。対峙する蓮角と隼人。お互い腰に刀を帯びていたが、その殺気はまったく異質なものであった。

「お前さんこそどうした?これはこれは、夜中の散歩が好きだったとは知らなかった」

「はぐらかすな。俺の問いに答えろ」

 鞘の鍔元を握りなおして、隼人の手元がカチリと鳴る。

「穏やかじゃないな、若造」

「お互い様だ。貴様の考えなどとうに分かっている。町へは行かせん。諦めろ」

「諦めろ?くく・・・今更何をだ?」

「辻兄鷹への・・・いや、辻兄鷹の家族への仇討ちをだ。奴は剣客として最も惨めな死に方をし、家族もそれを知った。人斬りの罰はもう十分に受けているんだ。もはや辻兄鷹への仇討ちに意味などない。その左目の仇も諦めるんだな」

「くくく・・・はっはっはっは・・・」

 隼人の言葉に、蓮角は堪えきれずに高笑いをした。隼人を小馬鹿にするような笑い声。月が雲に隠れてその表情が見えなくなっていなければ、隼人はすぐにでも抜刀したに違いない。

「だからだ、だからお前は甘いんだ。まったく、人斬りを知らん奴はこれだからいけねぇや」

 蓮角は未だ薄ら笑いを浮かべて隼人を見据える。

「俺ぁな、お前に言われるまでもなく、最初から辻兄鷹への仇討ちなんざもう眼中にはねぇんだよ。奴さんが死んだとあっちゃあ尚更な」

「うそぶくな。ならば何故今更この町に来た?何故辻兄鷹にこだわる?」

「違うな。俺がこだわってるのは、この左目を斬ったのが辻兄鷹だって事実だけさ」

 そう肩をすくめて、親指でとんとんと斬られた左目を指す。月光が再び差して、その表情を陰影が不気味に縁取る。

「そう、俺にとって大事なのは仇討ちに値するだけの理由だ。」

 高揚する感情を抑えきれんとばかりに、蓮角は息を荒げ右目を見開き、耳まで到達しそうなほどに口角をあげた。その表情には狂気の沙汰が覗く。隼人は目を細めてそれを見据え、固唾を飲み込んだ。

「江戸の頃は良かった。人を斬れば斬るほど、賞賛も金も入ってきた。まさに天職だった・・・あの快感は今でも忘れねぇ。だが今はどうだい?明治なんて世の中になって、そんな風潮ぱったりとなくなっちまった。いや、それどころか事実を闇に葬って、明るみに出てるところは極悪非道の行いと吹聴してやがる。どれだけ俺が・・・どれだけ俺が!この手で・・・斬ったと、思って、いやがる・・・!」

 蓮角はひどく興奮し、フーフーと歯の間から息をもらして憎々しげに口にする。かつて血にまみれていた時の記憶を重ねているのか、両手を震わせてじっと見つめている。

「くく・・・だが、それも今となってはどうでも良いこと。極悪というなら喜んでそれを受けてやるわい。だが何故、今更人斬りを禁止する?!あれは俺にとって生き甲斐だった、文字通り生きる糧だった・・・!挙げ句にゃ仇討ちすらも禁止しようってお達しだ。それならば、だ」

 蓮角は自身の両手を見つめていた目線を持ち上げて、対峙する隼人へと送った。その刹那に別の雲が月にかかり、また辺りを漆黒へと変える。蓮角の目は、それでもなお眼光鋭く光り、暗闇に不穏に浮かぶ。

「仇討ちが禁止される前に、斬って斬って斬りまくる。仇討ちの理由の立つものは、片っ端から全部だ。誰かれ構わずってんなら、禁止されたあとじゃ同じことになるからな。明治になってから数年、俺はそうして生きてきた。今度はこの左目の番、辻兄鷹に由来するものすべてだ」

 まさに狂気、すでに人斬りの自分に飲まれて、元に戻ることもあるまい。

 「・・・これ以上は何を話しても無駄のようだな」

 ジャリッと足摺をして身を屈め、隼人は刀の柄に手をかけた。蓮角もまた、露わにしていた狂気を再び身の内に潜ませて、腰の刀を少し前へと引き出した。

「ふ・・・辻の鷹にでもなったつもりか?若造。まったく、夜の鳥ってやつはいつも目障りでいけねぇ」

「目障りというなら一つ答えろ」

 隼人は体勢を変えないまま、蓮角に問う。

「何故易々と辻兄鷹の情報を俺に漏らした?俺がお前に荷担するとでも思っていたのか?」

「浅はかだな。言っただろう?俺ぁただ、人を斬る理由を求めてただけだ。お前に荷担されて俺の分け前が減ってみろ。それじゃあ意味がない。お前に話したのは、お前と自然な成り行きで斬り合いに持ち込むためさ。お前が辻兄鷹の元へ斬り込みにいこうというなら仇の鳥を取られないよう阻止するまで、逆にお前が俺に立ちはだかるなら邪魔者として消すまでのこと。もし逃げるようなら斬る価値なしと思っていたが、うまく後者に引っかかってくれて嬉しいぜ、俺ぁよ。こうして人斬りの機会が一つ増えたんだからな」

 蓮角はまた「くくく」と歪んだ笑みを浮かべて、手元で鍔を鳴らして弄んだ。隼人はギリリと奥歯を噛む。所詮蓮角の手の内でしかなかったことに、ひどく腹が立った。そこに自分以外の者を巻き込んでしまったことが、どうしようもなく悔しかった。

 

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