「なぁ、若造」

 ややあってねっとりとした口調で蓮角が口火を切る。

「人の縁ってのは不思議なものだな、え?だが、それを知らんのはお前だけときた」

「何が言いたい?」

 隼人は怒りをむき出しにして問い返した。正直蓮角の言い回しが癪に障る。何をかはわからないが、隼人の知らないことを知っていると優越感に浸る様が、またひどく気に入らない。そしてそれを本当の所では請いたいと思っている自分にも腹が立つ。

屈辱・・・そんな二文字でこのはらわたを表すことができようものか。

 

 

 「辻兄鷹の行く末が分かったぜ」

 その一言に隼人は眉根をぴくりと動かす。暮れつつある空は、この穏やかでない雰囲気に合わせるように群青を纏い始めていく。

「奴は死んだ。それも何年も前、明治を待たずにな」

「な、何だと・・・本当なのか?!」

 突然の知らせに、隼人は思わず正直な反応を見せた。そして言い終わってから、はたと気がついて改めて眉間にしわを寄せる。

「ふ・・・なんとも、俺を大ほら吹きだと言いたげな顔だな。だが一度でもお前に嘘を言ったことがあったか?ここ数日お前と何度か話したが、俺は言った覚えはねぇ。残念だったな」

 確かに蓮角は虚言を口にしたことはなかった。その代わりにたっぷりの嫌みと嘲りを欠かしたこともなかった。疑いたくなるのも当然といえば当然。むしろこの場においては、蓮角が嘘をついていることを望まずにはいられなかった。

「辻兄鷹が死んだ・・・死んだ、だと・・・」

 隼人は動揺を隠しきれず呟いた。

仇の鳥がもはやこの世にないのだと、そういう噂をする者も確かにいた。それは辰と六助も例外ではない。けれどどこかでそれを頭ごなしに否定していた。そうでなければこの仇討ちの心を保てたものか。父を惨殺した人斬りを、この手で討ち取り無念を晴らす。その夢を見たのも一度や二度の話ではない。

「ま、そう気を落とすこたぁねぇ。なにしろお前の読みは、ほとんど当たってたんだからな」

 蓮角はがさりと音を立てて座り直すと、無精に頭を掻いた。隼人は未だ言葉を失ったまま、訝しげにそんな蓮角を見遣った。

「奴さんは確かにこの町の生まれだったよ。それで外れの松並木の道場の師範代だった。小池とかいうジジイがいる道場さ。お前も行ったろ?そこから江戸に行ったってのも本当だな。ただその先を誰も知らなかったって話だ」

「上が箝口させたのか?それとも辻兄鷹が自主的に話さなかった?」

「まぁ、両方だろうな」

 まるでそうしたのが愚かだと言いたげに、蓮角はくくくと歪んだ笑みを浮かべた。辰と六助が言っていた、辻兄鷹と蓮角は対極の性格。誰だと問われて蓮角ならば、進んで名乗るに違いない。

「奴さんが江戸にいたのはほんの僅かだったそうだ。すぐに京へ向かい、人斬り稼業に勤しんだ。その辺のことはお前も知ってることだろう?」

「ああ、しかし重要なのはその先だ」

「その通り、その先だ。くくく、急に素直になりやがったな」

「余計な口を挟むな!」

 隼人は思わずカッとなって声をあらげた。しかし否定はできない。これが素直に知りたいと思わずにいられようか。ここ数年ずっと探してきた鳥の、やっと掴んだその一端。それを先に手にしたのがどんなに憎らしい相手だとはいえ、その数年に変えられるものなど他にない。

「しばらく京と東海道中で人を斬っていたがな、奴さんはそう長いこと人斬りに従事していたわけじゃねぇ。まもなくして体を壊して死んだ。流行病だったために家族の元には返されることはなかったそうだ」

「流行病・・・」

「ああ、というのが表向きの話」

 わざわざ一拍おいてから、核心を突く一言を付け加える蓮角。それに隼人が反応するのをみて、また一段と顔を歪める。

「表向きとはどういう意味だ?」

「表向きは、そうだな・・・家族は江戸で指南役をしてる内に流行病に倒れて死んだと思っている。京での奴を知ってる者は、人斬りの合間に病に倒れて死んだと思っている。そんなところだ。刀で病魔は倒せないからなぁ」

「本当の所を言え」

「くくく・・・本当の所もやはり病死だよ。だが流行病なんかじゃねぇ。奴さんは精神を病んじまったのさ。何故だか分かるかい?」

 隼人は蓮角の問いに沈黙で答えた。ただ風が吹いてお堂さんの道沿いの草波を揺らし、ざわざわと不穏な音を立てる。

「奴さんはなぁ、くくく、間違えて自分の息子を殺しちまったのさ。人斬りの最中、異変に気がついて飛び込んできた男を、それとは知らずに思い切り斬り捨てちまった。なんとも残忍な話じゃねぇか、え?夜が明けて、素知らぬ顔で確認しに行ったのが関の山。そこで自分が何をしちまったのか思い知って、刀を握れなくなっちまった。自責の念に駆られて、江戸の終わりにとうとうお陀仏。世間を騒がせた人斬りが聞いて呆れらぁな」

 隼人は蓮角の物言いに強い不快感を抱いて、眉間に深くしわを寄せた。死んだと聞かされた時点で十分に揺らいでいた心が、今また大きく動揺している。

少なからず同情の念を抱かずにはおれまい。しかして同時に父を奪った辻の鷹。散々人を斬っていた報いがあったのだと思う一方で、知らずに家族に手をかけてしまったという悲壮が胸中に押し寄せる。

だが、いずれにしても・・・いずれにしても、だ。

「辻兄鷹は・・・死んだ」

 死んだのだ。仇討ちを決めて張りつめていた心が、急激にしおれていくのが感じられる。腰に帯びた馴染みの刀が重くなる。振り上げた拳が行き場を失ったのだという空虚が、どうしようもなく隼人に突きつけられていた。

 

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