ここ数日町を離れ、遠出していた隼人は浮かない顔で再び戻ってきた。幾分離れたところにある向こう隣の村にも剣術道場があるのを聞いて、尋ね歩いたその帰りであった。

収穫はこれといってない。辻兄鷹をわずかばかり聞いたことのある者がいただけで、何も掴むことは出来なかった。

隼人の足取りは重い。無駄足だったと思うほどに疲れは増す。

夕焼け間近の空がさらに哀愁を帯びて、隼人に紅い光を注いでいた。仰ぎ見れば帰巣の鳥、仇の鳥はいずこへ消えたか。隼人はため息をついて目線を下ろす。

(潮時か・・・?)

 そんな考えが胸中をよぎる。

今にしてみれば小池から聞いた話が、もっとも信憑性持っていた。その人物が江戸に行ったことがまず間違いないのなら、江戸に向かうのにもまた一理ある。東海道をさらに東へ・・・しかし今や目的の地は江戸ではなくなった。何という名が付いたといったか。いずれにしても剣客には住みづらい都になったと人は言う。ならべくなら江戸へ行くのは隼人としても避けたいところではあった。が、これ以上探ったところで、この町から何が出てくると言うのだろう。

行くべきか・・・、何にしても仇の居場所を突き止めなければ、刀を抜くことすらできないのだ。

(しかし・・・)

 気にかかることは他にもある。川縁で会ったのを最後に、意味深なまま立ち去った朱鷺子。彼女にはあれ以来目にすることだにしていない。

あの時の悲痛な心を隠した無理な笑顔が、隼人の中に強く残っていた。彼女をあのままにして立ち去ることなど出来ようはずもない。だが再び顔を合わせる時に、彼女はいつも通りの明るさを取り戻しているだろうか。

本当は会って確かめたい。しかしその術がない。今まで口約束をすることもなく、いつの間にかあの川縁の道の入り口で、互いを待つのが当たり前になっていた。隼人から朱鷺子に約束を持ちかけることは、一度たりともなかったのだ。今更会おうなどと口にはできない。ただ彼女に不審を思わせて不安にするだけなら、いっそこのまま会うことなく、町を後にする方がいいのだろうか。

刀を腰に帯びていながら、どうしても断ち切れないものが隼人の中に出来上がっていた。

 

 

 「あれは・・・」

 重たい目線を不意に持ち上げると、見慣れた川縁のこちらも見慣れた後ろ姿が目に飛び込んできた。結い上げたいつもの束髪が、少し俯き加減に前傾している。それで何をも思わないわけがない。隼人は考えるよりも早く、その後ろ姿に駆け寄った。

「朱鷺子殿・・・!」

 そう呼びかけると、彼女は肩をひどくビクつかせた。自分を待っていたのではないのだろうか。朱鷺子は振り向くことすら躊躇っている。

「は、隼人・・・様」

 ややあってから震える声で呟いて、ゆっくりと顔をこちらに向ける。泣きはらしたのか、目は真っ赤に潤んでいる。

「・・・何かあったのですか?このような所で・・・」

「そ、それは・・・」

 朱鷺子は何か言いかけて、しかし言葉が続かずに唇をかみしめた。やはり震えている。肩が、唇が、その指先が。まるで怯えているように、目線は隼人を捉えようとはしない。数日前にここで別れた時に見せた、無理な笑顔も今日はない。あの時よりもずっと酷い悲壮感。青ざめた顔に赤い目元が実に痛ましい。

「朱鷺子殿?」

「・・・教えていただけませんか、隼人様」

 胸元でぎゅっと拳を握りしめ、朱鷺子は切り出した。

「例えば仇討ちの相手がこの世にはなく、その家族だけが何も知らぬまま今も生きているのだとしたら、刀は・・・刀は、その家族に向けられるのですか・・・?」

「何を・・・」

「教えてください・・・!」

 すがるように朱鷺子は隼人の言葉を求めた。ようやく隼人を捉えたその目は、俯いていた間にずっと真っ赤に色を変えて、下瞼の縁でなんとか涙をこぼさずに保っていた。

「一体何があった、朱鷺子殿?!何故そのようなことを・・・?!」

 隼人が強く切り返すと、とたんに朱鷺子の表情は崩れた。苦しそうに息を詰まらせて、手の震えを止められずにいる。

「私・・・私は・・・、隼人様・・・」

 蚊の鳴くような小さな声、怯えるような表情で朱鷺子が呟くと同時に、風もないのにお堂さんの草むらがガサリと大きく揺らめいた。

 

 

 「くっくっくっく・・・」

 下賤な笑い声が響く。嫌でも耳から離れないそれを、聞き違うはずがない。隼人はいち早く気がついて、朱鷺子を自らの背後に押しやった。

「修羅場というには、ちと悲壮感がありすぎる。それじゃあ捻りはやれないな、え?」

「貴様・・・!」

 人の気持ちを弄ぶかのような言葉に、一気に隼人がいきり立つ。

「いつからそこにいた?!毎度盗み聞きとは卑怯な真似を!!」

「おっと、勘違いはいけねぇ。前にも言ったが、俺ぁただこの場所を気に入って最初からいたに過ぎねぇ。そこであんたらが勝手に話を始めたまでだ。え?違うかい?」

「貴様のことなど知ったことか・・・!大概にしろ、蓮角!」

「れ、蓮角・・・?!」

 その名を聞いて、朱鷺子はますます青ざめて数歩退いた。手記にあったその名、父に対峙し片目を斬られた人斬り。まさかこのような場所で居合わせるとは・・・!

 朱鷺子は恐怖におののいて、ガタガタと震えだした膝のままにさらに数歩退く。人斬りであった男が、何の意味もなしにこの町にいるはずもない。おそらくは辻兄鷹・・・父への仇を狙う者。そう・・・隼人と同じく、しかし彼とはまったく異なる殺気。

「朱鷺子殿・・・?」

 それに気がつき、肩越しに目線を配る隼人。その目に今にも倒れてしまいそうな朱鷺子の姿が映る。

「おや、門倉のお嬢ちゃんは俺を知ってなすったかい?こりゃあ光栄だ。」

「ひっ・・・」

 蓮角の不気味な片目を向けられて、朱鷺子はたちまちに射竦められ絶句した。その墜ちた瞳がより不気味さと恐怖を増長させる。

「朱鷺子殿、ここは俺が」

 隼人は朱鷺子を完全に自分の背中で隠して囁きかける。

「行って、早く」

 故意に語尾を強めて、無理矢理にでも朱鷺子を促した。そうでなければ朱鷺子の足は地面に根を張ったかのように、動くことすらなかったに違いない。

隼人は後方をどんどんと遠ざかっていく足音が、完全に聞こえなくなるまでずっと目の前の相手を睨みつけていた。上背のある体で、蓮角の視界を遮って微動だにしない。蓮角はといえば、相変わらず一人楽しげににやつくばかり。それがなおのこと、隼人の腹に沸き上がってくる怒りを炊きつける。

 

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