文久二年弥生十五日

 江戸へ来た本当の理由は、誰にも決して話すまい。

 それが命令でもあるし、私自身も話したいとは思わない。

 元よりこのような動乱期にあって、今更城中指南役などと安穏な成り行きもあろうはずがないのだ。

 暫くは江戸城下に留まる。準備が整い次第、すぐに離れることになろう。

 

 

文久二年弥生三十日

 一行というには、あまりにも人数が足りないものである。私を含め、三人のみで道中を行く。

 道々、郷里の町の近くを通るようだが、立ち寄ることはせぬ。

 小池殿には江戸へ指南役にと話してきたが、家内にはただ江戸へ行くとしか伝えてこなかった。少しだけ後悔している。

 我が子等は元気だろうか。娘はとても小さい。私のことは覚えてはおるまい。

 

 

文久二年卯月十三日

 とうとう摂津の国に着くが、とても慌ただしい。

秘密裏に幕府の問所を訪ねるが、その日のうちに目録を渡される。一通り目を通してみたが、予想以上に多い。知った名がないことが幸いである。

 

 

文久二年卯月二十日

 真剣を握ることは今までも十分にあったが、人を斬る感覚というのは実に嫌なものである。

 昨晩、初めて辻斬りに赴く。ただの道場での手合いであったなら大したものでもなかったが・・・

 斬った直後に役人が来て、場をすぐさま掃除していった。朝には何も残ってはいなかった。

 

 

文久二年卯月

 伏見の寺田屋で事件があったようだ。

 薩摩藩士が尊攘派を惨殺したらしい。それも同じ薩摩藩士を。

 まことこの町にはよく血が流れる。

 

 

文久二年卯月二十五日

 いっそ弱音を吐いて任を解いてもらいたいくらいだ。

 連夜人を斬るのは大変に気が滅入る。

 

 

文久二年皐月二日

 用の済んだ名は墨で消していく。

 こちらに来てからもうだいぶ消したと思ったが、見返してみればまだまだであった。

 これを全て斬り終えるには、何度辻に立たねばならんのだろうか。

 

 

文久二年皐月十日

 昨晩も辻に立つ。どうやら私のことは市井に知られ始めたようだ。

 尤もそれは、少しでもこの動乱に関わりのある者に限っての話だが。

 

 

文久二年皐月十六日

 最近は用心棒を連れている者が多い。

 ならべくなら犠牲は少なくありたいが。

 

 

文久二年皐月二十三日

 今日、私を通り名で呼んだ者があった。初めて聞く。

 私を「辻に潜む鷹」と、そう言っていたようだ。

 ますます辻斬りらしくなってきたということか。本名が露呈しないことには役に立つ。

 

 

文久二年水無月一日

 すこぶる順調である。

 この頃は特に大きな問題もなく、一刀のもとに始末できている。

 毎夜このようにありたい。

 

 

 

 朱鷺子は震える指先で、更に数枚めくっていった。「順調」だと書かれて以来、日記の内容はいつ誰をどのように斬ったかということで埋められていた。守秘義務があってか、日記には斬った人物の名は一つとして出てこなかった。しかし辻の様子は日を追うごとに詳しく書かれるようになっていく。まるで狩りを生業とする鷹のよう。いつの間にか人斬りを疎む父がいなくなっていた。

 

 

 

文久二年長月二日

 鷹の名も随分板に付いてきた。こちらから名乗る暇もなく、相手の方から私を呼ぶ。

 昨夜また一人斬った。風の強い日だったが、特に問題はない。

 斬った刹那に何か叫んだようだが、風の音に紛れて何かは聞き取れなかったし、また周りには聞こえなかったようだ。

 目録はようやく半分といったところか。

 

 

文久二年長月十一日

 闇夜の帰り際を待って辻に立つ。

 用心棒が二人ついていたが、どうやら親子であったようだ。とても腕の立つ剣客だった。

 昨晩は要人を斬ることは出来なかった。用心棒が一人残り、子供の方が要人を連れて場を去った。

 ただ用心棒だけを斬って長屋に帰る。無駄な夜だ。

 

 

文久二年長月十三日

 先日斬り損ねた要人を改めて始末する。子供の用心棒では力不足であったか、違う男を連れていた。

 無論両者共に斬り伏せる。

 今日は血が周りに飛びすぎた。後片づけもさぞかし骨が折れたろう。

 

 

文久二年長月二十五日

 近く東に赴く者がいるらしい。上からの命令か、それとも臆したのかは分からない。

 何にしても江戸へ行かせるわけにはいかぬ。

 私も明日京を一度出る。

 東海道上で始末しなければなるまい。

 

 

文久二年長月三十日

 昨晩自らを蓮角だと名乗る男が飛び込んできた。

 どうやら尾張以東を縄張りにしている人斬りらしい。実に嫌味な男であった。

 突然の乱入であったが、要人は始末し、蓮角とやらからは片目を奪っておいた。

 死にはせんだろうが、これで二度と私の邪魔はできまい。

 

 

文久二年神無月三日

 途中、京を出た者がまだいるのだと聞かされる。お陰で京には今暫く帰れぬ。

 宿場に立ち寄ることはならべく避けている。

 野宿も大概にありたい。

 

 

文久二年神無月七日

 もう一人の脱出者を発見し、後を追う。

 何のことはない。ただの里帰りだったようだが、用心に越したことはない。

 夜を待って出向く。

 

 

文久二年神無月十一日

 酷い雨の夜だった。

 何故かこの頃は辻に無闇に乱入してくる者が多い。先日の田舎人斬りに続き、昨晩にも見慣れぬ男が割り込んできた。

 無論容赦はせぬ。

 馬鹿な男だ。みすみす命を無駄にする。

 上背があり、太刀筋も悪くはなかったが、所詮敵にはあらず。

 大量の血が流れたが、雨が・・・

 

 

 そこから先に書かれていた分は、途中から衝動的に墨で塗りつぶされて、文字を読みとることができなくなっていた。そしてそれ以降は何も記されていないただの白紙。日記は雨の夜を最後に完全に途絶えて、父・小七自身の行く末をも語らぬまま終わっていた。

 

 

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