「つれない・・・!つれないねぇ、旦那」

ややあって、お堂さんの茂みから辰と六助が姿を現す。何か良い芝居を観た後のように、ニヤニヤと笑って悪趣味な一面を垣間見せていた。

「お互いを想うが故の、素っ気ない仕草。これが芝居の舞台の上なら、大入り間違いなしでさ」

「・・・いつからそこにいたんだ?」

「なに、最初からって訳ではないんで」

だが事情の始終が分かるところからはいたのだろう。二人のニヤつきは未だ直らない。隼人はそれを横目で見遣ると、呆れの中に多少の怒りが混じるため息をついた。目線は遠く、対岸に向けられたまま動かない。

「旦那、旦那。あっしらが悪かった。こんな出歯亀みてぇな真似、二度とはすめぇ。許してくんな」

隼人の様子に、六助がすかさず謝った。かつて兄貴と慕っていた男と隼人は、似ても似つかぬ対極なもの。ついその兄貴には平気でしていたことを、そのまま隼人にも同様にしてしまって、二人はぺこりと頭を下げた。すると隼人はもう一度ため息をつく。今度は仕方ないと言いたげな、許容のため息。

「それで、何か分かったのか?」

隼人は今一度目線を二人に戻して尋ねる。

「まぁ、大したもんが中々出てきやしねぇもんで。どうもこの町に縁のある人物らしいと言うことは分かったんだが、それが誰なのかを一人も知らないときた」

「旦那、こりゃ相当の徹底ぶりさね。辻兄鷹って奴は」

「・・・そうだな」

隼人もこの数日、辰と六助の情報収集に乗じて怠けていたわけではなかった。町の周囲はもちろん、少し遠出して夜更けに借り長屋に戻ったこともあった。それでも何も有力なものはでてこなかった。まるで辻兄鷹のことなど、最初から無かったような口振りで、誰一人知りもしていない。ここまでくれば近しいもの、或いは親類縁者の一人でも存在して知っていてもいいものを、それすら残ってはいなかった。一体どれだけ深く爪を隠したのだろうか。誰にも何も打ち明けず、身内の前では雀にもなりきっていたというのか。

隼人はそんな男の姿を瞼の裏に何度も想像してみた。単身の背中、背は小さいながらも逞しい両腕を持つ一方で、たった一人きりの哀愁を纏う。そして決して振り返らざるその面。

「・・・旦那?」

暫く瞳を閉じて思いを巡らせている隼人に、躊躇いがちに辰が声をかけた。

「・・・ところでお前たち、別のことを聞いても良いか?」

「や、なんでありゃんしょ?」

 六助が請け負って促す。

「蓮角という男を知っているか?」

「蓮角?!」

 辰と六助が同時に同じ反応を見せる。一瞬ギクリと頬を強ばらせてから互いを見合わせ、それからもう一度隼人を見遣った。

「旦那、もう一人仇討ちの相手がいたんですかい?」

 声を潜めて聞き返した言葉に、隼人は首を横に振る。眉間にしわを寄せて、僅かに嫌悪感を示している。

「蓮角・・・あいつぁ、辻兄鷹とはまったく対極にある人斬りでさぁ。確かにこの辺りを縄張りにしてやしたが、ひどく自己顕示欲の強い輩でね。自分の斬った後に、必ず特殊な刀傷を残していきやがった」

「特殊な刀傷?」

「へぇ、自分の斬った相手の腕っ節に、三回切っ先をあてがったみてぇなもんで。時には大声で名乗ったこともあったとか。人斬りらしからぬ行動ばかりが目立つ男だったんでさ」

「なるほど」

「奴は維新派でしたが、その奇抜な行動や性格が仇となって、今のお偉方には取り立てられやせんでした。それを恨んでいるという話も聞きましたが、今はどうだか。辻兄鷹と同じく行方知れずとなってますが、わざわざ探す物好きもおらんでしょう。出来るなら関わるな・・・、そういう奴でさ」

辰の言葉に、隼人はもう一度眉間にしわを寄せて頷いた。確かに承知していたとおりの人物だ。ただ一つ違うのは・・・

「・・・行方知れず、ねぇ」

 河原の草の盛り上がったところから、不穏な呟きが聞こえてきた。ゆらりと気だるく立ち上がり、馴染みの編み笠をわざと持ち上げて隻眼をさらす。

元人斬り・蓮角・・・、今話をしていた張本人が、相変わらず嘲笑を浮かべてこちらを見遣った。

「此奴・・・っ!!」

「旦那、ありゃぁ・・・」

驚きざわめきたつ二人を後目に、隼人は何も言わずただ鋭く蓮角を睨んだ。その頬を冷や汗が伝う。辰と六助が冗談半分に潜んでいたのとは訳が違う。聞かれていたのなら、せめて朱鷺子のことは外していたい。

「なぁるほど、なるほど。さしずめ自意識過剰な変人ってわけかい?俺ぁよ」

蓮角は自分に浴びせられた雑言さえ、楽しんでいるかのようにニヤニヤと顔を歪めていた。そうして口にした当の本人たちを萎縮させる。ありとあらゆる口八丁で、いちいち人を嘲るところは昔から変わらないらしい。くっくっくっ・・・と肩をふるわせながら、ますます顔を醜くくさせる。

「しかしその若さで舎弟を二人も抱えてるたぁ、なかなかやるじゃねぇか。なにかい?あんた、本当はそれなりに強い剣客だったのかい?」

蓮角はそう言って、右手は顎の無精髭に、左手は腰に差した刀の柄に宛てた。顔は相変わらず嘲りに歪んでいる。

「あんたには関係ない」

「ほ、こりゃつれないこって」

隼人はぴくりと眉値を動かす。立ち聞きしていたのならそう言えばいいものを、いちいち感に障る言い回しをするのが気に食わない。

「あんたの話には乗らないと言ったはずだ」

「そうさなぁ、だが別段お前を乗せようとして此処にいたわけじゃねぇ。俺もここが気に入ってんでね。お前たちが俺に気づかず、勝手に話をしていただけのこと。違うかい?」

「知ったことか」

隼人はますます蓮角を睨みつけて、ふと体の方向を変えると、辰と六助の二人にここを去るように目配せした。二人はそれに頷きつつも、隼人はどうするのかを同じく目で尋ね返す。

「・・・俺もすぐにここを立ち去る」

隼人は風に紛れて聞こえなくなるくらい小さな声で呟いた。真相はどうあれ、蓮角がたまたまここにいたに過ぎないと言い張るのなら、隼人たちとて長居は無用。元よりわざわざ場を同じくする意味もない。隼人たちはそれぞれに、ジャリッと僅かな足摺の音を立てた。

 

 

「そういや、ここにいたのは呉服屋の娘だったか?」

唐突に蓮角が言った言葉に、隼人の足が止まる。そして同様と怒りの混じった瞳で、もう一度蓮角を睨み返した。一番蓮角の口から聞きたくなかった人物、呉服屋の娘とは朱鷺子のこと。

「あの家の息子も、幕末にひどい斬られ方をしたっけなぁ。ありゃぁ、あの娘の兄貴かねぇ」

隼人に構うことなく、蓮角はさらに言葉を続けた。「兄は幕末の頃に斬られて死んだ」・・・、確かにそれは朱鷺子自身も口にしていたことだ。胸のずっと奥深くにしまいこんで、明治の空の下明るく生きている彼女が、まさか自分の兄のことを公言するはずがない。それを何故この男が知っている?

「・・・何が言いたい?」

 隼人は半身を戻して、さらに強く蓮角を睨んだ。自分を開けっぴろげにして誇張しようとする割に、蓮角はその心の内をなかなかに読ませようとしない。そうして相手をじらすことをまた楽しむ性質なのだ。隼人はそれを知っていて尚聞き返さないわけにはいかなかった。

「・・・くくくっ・・・」

まるで必死で笑いを堪えるように隼人を嘲けて、何も言わないまま蓮角は立ち上がった。背の高い草むらを、ゆらりと不気味に揺らめいて蓮角は遠ざかっていく。隼人は歯軋りがするほど強く奥歯を噛みしめながら、その背中を見つめていた。不穏な空気が心をざわめかせる。すると空までそれに同調したのか、ゴロゴロと雷の嘶きが空気を震わせていた。

 

 

 

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