時を同じくしてその頃、隼人は町の外れの茶屋にいた。繁盛している店のガヤガヤとした喧噪の中で一人、出された熱い緑茶をすすり、そしてため息をつく。

(もう方々訪ね歩いた…)

 この十日、朱鷺子に教えられた剣術道場を始めとして、情報の集まりやすい酒飲み場、刀鍛冶、寺院に至るまで訪ねて回った。しかしそれでも杳として尋ね人の行方を知ることはできなかった。

皆一様に首を振る。

もしや町ぐるみで事実を隠そうとしているのか?

だが、誰にもそのような…あの小池市三郎でさえ、それを疑う余地もなかった。自分が見当はずれな場所にいるのだとしたならまだいい。或いは尋ね人がその事実を誰にも知らせることもなく、今もどこかに身を潜めているとしたなら、これ以上どうすることもできない。

隼人は歯がゆさに奥歯を噛みしめた。

八方塞がり…せめて突破口の一つだに見えはしないものか。

 

 

  「旦那…旦那」

 不意にすぐ側で男の声が耳に入った。

その囁き声が自分を呼んだものであると気がつくには、額に手をあてがいうなだれていた隼人には幾分時間を要した。

「…誰だ?」

 ほかの誰もその声に反応しない様子に、隼人は首をうなだれたままに目線だけ鋭く動かした。

「俺たちでさ、旦那」

「ようやく見つけましたぜぃ」

 隼人は改めて振り返り、その二人の男を見遣った。

薄汚れた身なりは、どうみてもこの町の商売人ではない。継ぎ接ぎだらけの着物で、髪はボサボサのまま結われている。一人は手首にさらしを巻いた目の大きな男で、もう一人は落ちくぼんだ目に無精ひげの男。小柄な背格好は二人よく似ている。

確かに見覚えのある顔ではあったが、すぐにそれとは思い浮かばない。それでも記憶よりも心の方が先に反応し警戒し始める。

ということは、真っ当な方法で出会った二人ではない。

「覚えてありゃあせんかい?俺ぁ辰、こいつぁ六助ってんでさ」

「辰…六助…・、ああ、お前たちあの時の…」

 無精ひげの男が言った名前に、隼人はようやっと記憶に思い当たった。朱鷺子と最初に出会った日、彼女に絡んでいた追い剥ぎの手下二人であったのだ。つまり男が一人手首にさらしを巻いている原因は自分、あの時手首を筋を痛めさせた跡であった。

「このような所で何をしている?」

「いや、方々訪ねてやっと旦那に行き着いたところでさ」

「俺を?何故だ、お前たちには兄貴分がいたのではないのか?」

「兄貴は郷里に帰りやした。あの日旦那の剣をくらったことで、昔の熱情が思い起こされたってんで。もう一度真っ当な剣の道に戻ると言ってやした」

「そのことと俺に何の関係がある?お前たちは付いていかなかったのか?」

「兄貴は一緒に来るか、それとも他で生きるかを辰とあっしに聞きやした。けどあっしらと兄貴とは生まれが違うんで、兄貴の郷里に世話になるわけにはいかねぇ。それで旦那を探したんです」

「お強い旦那だったら頼りがいがあるってもんで。つまりはその強さに惚れちまったってことかもしんねぇ」

「…ということは、まさかお前たち…」

 隼人はいやな予感に眉間に皺を寄せた。そしてその言葉を継いで辰と六助は地面に両手をつく。

「お願いだ、旦那。旦那の側に俺たちを置いてくんなせぇ。何にでも役に立ちやす。俺たちのことを舎弟として使ってくりゃあせんかい?」

 そして二人同時に頭を深く下げる。

さすがの隼人も虚を突かれて、どうしたらよいものかと目線を泳がせた。このような申し出を一度たりとも受けたことはない。大体にしてそれと決意した日から、ほとんど一人で生きてきたというのに。

「無理だ。俺は根無し草だし、お前たちに構っている暇も余裕もない。他を当たれ」

 隼人はつっけんどんにそう突き放したが、二人の男は≠「やいやと同時に首を横に振った。

「旦那はお若いが、兄貴が男と見込んだお人でさぁ。兄貴と別れて他の地へ行く前に、旦那の生き様をこの目で見ておきてぇ。なぁに、生涯付いて回るとは言いやせん。ほれ、旦那の尋ね人。せめてそれを探す手伝いだけでもさせてくりゃせんかい?」

「しかし…」

 隼人は辰の申し出に≠サれでも駄目だと返す途中で思い直し、言葉を止めた。

もうあらかた探し回った。一人でこのまま続けるのにも限界がある。

或いはこの二人が思いがけず突破口を開くかもしれないと思いつつも、いや、自分の目的は自分の心の根底に深く関わりすぎているとも躊躇っていた。

 

 

 

 そこへすっかり聞き慣れた女性の声が響いてくる。

「隼人様ー!」

 朱鷺子が着物の裾もまどろっこしく駆けてくる。頬を紅潮させていたが、寂しげに眉尻が下がっていた。隼人はその姿を確認すると、ぱっと辰と六助に向き直った。

「お前たち、姿を隠せ」

「へい?」

「や、ありゃぁ、あの時の娘じゃないですかい」

「だからだ。混乱させたくない。早く」

 隼人に急かされて、辰と六助は茶屋の影に身を潜める。隼人は心を落ち着けてから、一度座り直した。その間に朱鷺子が彼の元へたどり着く。

「こ、こちらにいらしたんですね。良かった…」

 朱鷺子は膝に両手をあてがい、息を整えながら隼人に声をかけた。

「どうした?朱鷺子殿。このような所にまで」

 いつも落ち合う時刻でなければ、いつものお堂さんの入り口でもない。隼人はできるだけいつもの通りの声で返す。

「隼人様、私、不躾でなければ…」

「?」

 ただ無言のまま、言葉の続きを促す隼人。

「教え…・教えていただけませんか?隼人様のこと。私、思い知りました。隼人様のことを何も知らなかったのだと」

 本当はあの時、即座に隼人の人柄を母親に説きたかったのに。何も言えない自分が歯痒かった。自分は隼人の表面の所しか見ていなかったのだと、悔しかった。

朱鷺子は涙目で隼人を見遣る。走って赤らいだ頬と乱れた呼吸が、まるで泣いているかのように隼人の目に写る。

(どうして今日に限ってこう…)

 隼人は眉間に拳をあてがい、目を伏せた。

突然に辰と六助が現れて自分たちを使ってほしいと言ったかと思えば、朱鷺子が事情を知りたいとせがむ。

今まで隼人がどれだけ頑なに心の内を秘めてきたのか、朱鷺子たちは知らない。本来であれば二つの申し出は簡単に一蹴してきたはずだった。だが、ふと隼人の胸によぎる。もう限界だと言うことなのだろうか、一人で抱え込むのも。思えば朱鷺子とこれだけ親密になったことですら、隼人にしてみれば大きな変化であった。それは何かに導かれたかのように、ごく自然な流れだったのだ。

 

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