一行は暗い道を、エンダーがトロッコを運んできたと言っていた鉱山の入口に向かって歩いていた。ただでさえ明け方の未だ人々の寝静まった頃、その上鉄鋼の輸出が済んだ後とあって、イオ・チュリア山脈は不気味なほど静まり返っていた。夜の梟は泣き止んで帰巣し、朝の小鳥が起きるにはまだ早い時間。辺りには4人の歩く音しかしない。

「わぁ…」

カーサは近づいて見上げた坑道の入口の、あまりに急な勾配に思わず感嘆の声を上げた。ナジカの駅に降り立った時にも同様に感じたが、間近に見て改めてイオ・チュリア山脈の異質さを思い知る。この急勾配は自然のなせる技なのか、と。

「何にそんなに驚いてるの?」

エンダーが相変わらずの口調で尋ねる。

「だって…こんなに山の際が急なのって不思議じゃない?普通はなだらかに上がっていくものでしょう?でもここはまるで山を切り取ったみたいだわ。」

カーサの言葉にアルベールとシナは僅かに目を合わせた。

「…実は…その通りなんだよ、カーサ。」

アルベールは意味深に言葉を返す。

「“イオ・チュリア”は先住民族の言葉で“山の切れ端”を意味するんだ。この山脈はずっと昔、デフェラ大平原まで続いていた。けれど…」

「セシル…」

カーサはハッと気がついて呟いた。アルベールとシナは同時に頷き、この話を初めて聞いたらしいエンダーも気付かれない程度に僅かに動揺の表情を浮かべていた。かつて自らの与えた魔法で切り取られた山脈…カーサはいいしれない恐怖に駆られ、自らの両腕を抱いた。全身に鳥肌が立っている…魔法は使いようでこんなことをももたらすのか、と。

 

「そんな話初めて聞いたけど、誰がこの山の名前をつけたわけ?」

エンダーは動揺を隠すように若干冷ややかな声で聞き返した。確かに的確すぎる名前、経緯を知った者が付けたとしか考えられない。

「さぁな…だがルルイエがあった頃から存在していた民族だ。一部始終を見ていたとしてもおかしくはない。」

「イオ・チュリア…」

カーサは感慨深げに山の名を口にした。それを付けたのが誰であろうと、ルルイエの存在を裏付けるものに変わりはない。そしてこれはある種の戒めでもある。デフェラ大平原は今では渇いた何もない土地…おそらく山脈がなくなったことで気候変動が起きたためだろう。土地は永劫の存続のために環境に適応していくもの。それを顧みず無謀な変革を繰り返せば、世界は未来を待たずに衰え潰える。カーサはぐっと唇を噛み締めると、両腕を放してイオ・チュリアの勾配を見つめた。壁のようにそそり立つイオ・チュリアの尾根は、切り取られた苦しみを湛えてか、誰をも寄せ付けない圧迫感を持っている。しかしだからといって逃げるわけには行かない。力がこれほどまでに強大だからこそ。得てして力は使いようなのだ。

「行きましょう。」

カーサは目線を山から下ろし、自分を待つように控えていたアルベールたちを促した。今はただハネスゲルンとその先へ。自分に何が出来るのか、見極めるのがこれからでも遅くはない。

 

 

 

 

 

カーサの金髪だけが明け方の月光に映える中を、4人は更に進んでいった。道々の木々が疎らになり、人工的に削られた斜面が多くなってくる。カーサは段々と強くなってくる追い風を肌に感じていた。途端にヒョオオォ…と風の通る音が響き渡る。大きく口を開けた炭鉱が周りの空気を吸い込んでいた。より暗い炭鉱の中、月の光も入口付近にしか届かない。

「真っ暗…」

カーサはそれを見てふと呟いた。彼女には最初に心に浮かんだ言葉を、無意識に口にする癖があった。素直さ故の癖は昔から変わらない。尤もそれをよく知っていたのは、今は僅かとなったルルイエの民だけであったが。

「そんな声で言わなくても、ちゃんとランプくらいあるし。」

相変わらず冷ややかにエンダーは言葉を返し、屈み込んで風から庇うようにランプに火を点し始めた。カーサはすぐ傍らで、アルベールが何か言いたげな膨れ面でいるのを目の端で捉えていた。そしてクスリと気付かれないように微笑む。いくらむくれてはいても、アルベールにエンダーに対する憎しみの感情は微塵もない。そう…セシルにたいするそれとは違う、まるで子供の喧嘩。同じ時代を生きていたなら、好敵手として過ごせていたのかもね…。図らずも時代を越えて二人を出会わせた自らの力に、どこか複雑な心持ちがしていた。

「はい。」

エンダーは大きめのランプ2つに火を点し、その一つを父親であるシナに渡した。二つの明かりが月光による影を拡散し、複数方向へと伸ばす。

「待って、貸して。」

カーサは思い付いてシナの持つランプに手を伸ばした。そして包み込むように両手を沿えて瞳を閉じる。

 

どうか消えないで…もっと明るく照らして…

 

ランプの中の火の妖精に語りかけるように強く願った。火は柔らかさを失うことなく、その明るさを仄かに強めた。

「こっちも…ね。」

カーサは続いて目を丸くしているエンダーのランプにも手を添える。足元の影は今更に濃くなった。

「これが…凄いな…」

エンダーは疑いようのない目の前の事実に、思わず本音を呟いた。ガスの出力を少しも調整することなく、ランプは煌々と辺りを照らす。その光を一身に受けて、カーサは一層輝いて見えた。

「これで大丈夫よ。」

不意に顔を上げたカーサに、エンダーは自分の言った言葉や思いに改めて気付き、それをごまかすように“フン”と目を逸らした。それを見て微笑むと、カーサはそのままアルベールを見遣った。“大丈夫よ”…その言葉は同時にアルベールにも向けられていた。エンダーはただ強がっているだけ…決して自分を否定しているわけではない。

「さ、行こう!」

タイミングを見計らってシナが促す。トロッコの始発は炭鉱の中…まだ中に歩いていかなければ。

 

 

    

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