「準備なら出来たよ。」

数日後の夕刻にエンダーが部屋の端から誰にともなく口にした。その時炊事場に居合わせていたカーサとアルベールとシナは、同時に振り返って彼を見た。シナが包丁を手にしたまま勢いよく振り返ったので、近くにいたアルベールは思わずギクリとした表情を浮かべた。

「よし、じゃあ明日にでも行けるな。」

シナはニカッと笑って元のようにトントンとリズミカルな音を再開させる。

「シナ、準備って?」

「あぁ…エンに言って特殊なトロッコを入口付近まで持って来させたんだよ。それと手直しもな。」

「手直し?」

「うん…今回はポイント切替も俺らでやるしかないだろ?だからこう…チョチョイっと改造をな。」

「それはいいが、シナ。あまり刃物を振り回すなよ。」

「ああ…悪い悪い。」

シナはカラカラと笑って再び包丁を正統な動きに戻す。

「エン君が全部やってくれたの?」

カーサは振り返ってどこか次の言葉を待つようなエンダーに話しかけた。

「全部じゃない。手直しは親父と半分ずつやった。」

「でもトロッコはエン君が持ってきてくれたのね。ありがとう。」

「別に…」

エンダーはカーサの素直な笑顔に照れ臭そうに顔を背けた。カーサは彼の素直じゃない素直さにもう一度微笑んだ。

 

 

「ハネスゲルンにはどれくらいで着く?」

アルベールがシナに問う。彼とエンダーはどこか似ているものを持っているせいか、逆に馴染みにくい関係にあるようだった。

「普通に行けば二日半。でも今回は石を運ぶ訳じゃないし、間違えずに順調に行けば丸一日で行ける…多分。」

シナは最後の一言をバツの悪い目配せと共に口にした。例え道程が推測の域を出なくとも、ハネスゲルンにはモグラ道を使うしかない。

「それより伝承の日まではあとどれくらいなんだ?」

「おそらくはあと2週間前後…予想される誤差は3日。ちょうど最南端に着いた日か、数日後くらいに伝承の日を迎える…多分。」

アルベールはシナと同じ言い方で言葉を返した。その目は少し冗談混じりに慰めるようにシナに向けられている。

「随分…」

「随分曖昧なのね。もっとハッキリは分からないの?」

ほぼ同時にエンダーとカーサの言葉が重なり、エンダーは自分では刺のある言葉になってしまうところをカーサに任せた。

「うん…伝承には星の動きが関連してるんだけど、ここからじゃそれが見えないんだ。だから以前確認した星の位置から計算して割り出しているのさ。以前と言っても10年も前だから不安ではあるんだけど…」

「最南の星…なのね。」

「…うん。けれど余裕をもってハイアーの先に着けると思うよ。ハネスゲルンまで出れば1週間弱で行けるからね。」

アルベールは伝承に残る不安と、ハイアーの先に行き着く確実な日数への自信を言葉に込めた。

「しかし何にしても早く行き着くに越したことはない。セシルにこちらの動向を少しでも知られているなら尚更、な。やはり出発は明日だ。朝一番にここを発とう。」

シナは包丁を持つ手を一旦止めてカーサたちの方を見て言った。その真剣な表情に、カーサはただ静かに頷く。今はまだ伝承の日までに行き着けるか否かより…ハネスゲルンへの交通手段がどんなものかより、アルやシナたちの事が心配だった。とりわけ一緒に来ると言ったエンダーに何かあってはいけない。覚えていないがために中途半端にしか固まらない決意は、事あるごとにカーサに不安をもたらすのみであった。

 

「カーサ、大丈夫だよ。」

その様子を見てアルベールは声を掛けた。

「“道はどんな風にでも繋がっている”…だから辿り着けないなんてことはない。」

「アル…」

「そうそう、案ずるより生むが易しってな。意外と何とかなるもんさ!」

カーサはかつて自分が口にした言葉を逆に聞かされ、俯きそうになった顔をハッと上げた。自分で言っておきながら、その真意をまったく分かってはいなかった…けれど知ってか知らずか、あえて二人が同じ言葉を言ってくれたことがとても嬉しかった。誰も完璧ではなく何かしらの負い目があるからこそ、人との繋がりを大切に感じるもの。それぞれ皆が異なる足りないものを持っているから、互いに補い合って自分に自信を持つことができる。アルベールのしょい込みすぎな所も、シナの魔法を捨てたことへの負い目も、エンダーのつっけんどんな言い方も、私の記憶のなさも…それでいいんだ。

「さて、そうと決まれば俺らの準備もしないとな。飯も…ほら、もうすぐ出来る。」

シナはふき始めた鍋の火を弱めながら明るく言った。相変わらず危ない包丁の使い方をしている彼を見て、カーサは逆に安堵の表情を浮かべていた。戸口辺りにいたエンダーも歩み寄ってきてカーサのその顔を見ると、一瞬彼女と目を合わせ“やれやれ”というように肩をすくめた。カーサは今一度微笑んで振り返ると、アルベールに頷きかけた。共に行こう…私たちは一人ではないのだから。

 

    

 小説TOP(ルルイエ)へ