「悪いな、シナ。どうも昔からこの性格は直らないんだ。エンダーも気を悪くしただろうに…」
アルベールはさも申し訳なさそうにエンダーの出て行った扉を見つめた。
「気にするな。エンもああいう言い方しか出来ないんだ。ずっと治らんよ。それに…その性格だから碧の目のままでカーサに会えた、だろ?」
「…かもしれないな。」
そう彼は自嘲的に微笑む。
「永久なる魔法具の持ち主はあとどれくらいいるのかしら?」
カーサがふと気が付いたように二人に尋ねた。シナが先程口にした“人が足りない”とは、どこかルルイエの民を言い表しているようにも聞き取れた。
「永久なる魔法具を持っているか否かに関わらず、今も永らえているのはカーサと俺たちとロンザ、それにセシルといったところだろうな。」
「もうそれしかいないのか?」
即答するシナにアルベールは聞き返した。
「おそらくな。俺の聞いたところじゃ、ベルジニーもティタムもシンディも皆逝った。クームはつい最近…100年前だと聞いたな…。あとの奴らはどうなったか分からん。」
「あの…永久なる魔法具は全部でいくつ?」
「12個だよ、カーサ。それにプラス君の分。」
アルベールが間髪いれずにカーサに返す。その目が“それすらも忘れてしまったのか”といわないことがカーサには嬉しかった。
「それがもう5人、魔法具に至っちゃあと3つだ。…随分生きてきたんだな、俺たちは。」
シナは何か思い返すように遠くを見つめた。カーサはその悠久の間をずっと眠っていたけれど、シナやアルベール、ロンザはずっと生活してきたのだ。カーサには今の彼と同じ表情はどうしたってできない。
「シナ、一つ聞いてもいい?」
「なんだい?」
シナは遠くの目線をカーサに戻す。
「何故シナは魔法を…失くしたの?」
カーサの質問が部屋を満たす。その言葉の余韻が石造りの壁に吸い込まれていくように、沈黙が辺りを包んだ。シナは少し伏目がちにした黒い瞳を少しも動かさずに、組んだ手の先を見つめていた。カーサとアルベールはその口が開くのをただ待っていた。
「20年前にナジカに来て…所帯を持ってな…」
シナがほつりを口にする。
「初めてふと思ったんだ…このまま魔法を持ったまま生きて、いつか年下だったはずのカミさんや子供が俺より老いて先に死んでいったら…俺はその後どうなるんだろうって…。…一人を想像するのが怖くなったんだ。」
彼はなおも目線を少しもずらさない。
「そんな折、体の弱かったカミさんが大病を患ってな、医者にも十分に診せてあげることもできなくて俺は…おれは永久なる魔法を使ったんだ。何も躊躇わなかった。」
最後の言葉のトーンが下がった。僅かに見え隠れする彼の罪悪感が感じ取れる。
「…それじゃ奥さんは今も元気で?」
ここにはいないようだけど…と示すように、カーサは遠慮がちに辺りを見渡した。
「いや…死んだよ。7年前に事故でな。」
「あ…ごめんなさい…」
「気にしないでくれ、カーサ。こればかりは仕方のないことなんだ。カミさんは…」
そこまで口にしてシナの言葉が一度途切れた。最期の瞬間が途端にフラッシュバックする。
…『すまない、エナ…もし魔法具がまだあったら…っ…』
『い…いの…いいのよ。あの時から今まで…生きて…生きてこれた…それだけで十分…だから…』
「シナ?」
「あ…いや、カミさんは最期まで幸せだと言ってくれたから…それでいいんだ。」
アルベールに呼び止められ、あの時の雨降る夜道の風景から慌てて彼は戻ってきた。あの弱々しい微笑をシナは生涯忘れなかった。
「すまなかった、カーサ。」
「え?」
突然改まったシナの謝罪の言葉にカーサはきょとんとして言葉を返す。
「俺は悠久の約束を果たせなかった。自分の都合で魔法を捨てたんだ…カーサが覚えていなくとも、それは許される事ではない。」
「そんな…いいの、いいのよ。」
カーサはシナから目を離さないようにして首を振った。
「あなたがもし今も魔法具を持っていて、それに苦しめられていたのだとしたら…間違いなく私は“捨てろ”と言ったわ。『結果的にあなたたちを苦しめる事になってしまって…本当にごめんなさい』。」
そういうカーサの姿に、アルベールとシナは数千年もの昔と同じ影を見ていた。あの時…永久なる魔法具を与えた時と同じ言葉、肩に掛かる綺麗な金髪を前に垂らすように下げた頭…何もかもがあの時のまま。
「何を言ってるんだよ、カーサ。こうやって生きてこなけりゃ俺はカミさんにも子供にも巡り会えなかったんだぞ。それにカミさんの病気を治せたのもカーサのおかげだ。」
「…私の?」
シナに言われ、下げていた頭を持ち上げて彼を見遣る。
「ははは…そうきょとんとした顔をするなよ。一層微笑ましくなったな、カーサは。」
シナが父親特有の優しい笑い声を上げ、部屋を満たしていた物憂げな空気を一掃した。カーサが隣り合うアルベールを見ると、彼もまた押し殺すように笑っていた。
「ふふ…二人だけで面白がっているなんてズルイわ。そんなに変な顔をしたかしら?」
二人に促されるようにカーサも笑う。その笑い声がなんとも懐かしくカーサの心に響いた。
「さ、話は終わりだ。準備が出来るまで暫くはここに泊まっていけ。カーサはエリーンの部屋を使うといい。背格好が似てるから娘の服も着られるだろうよ。」
「ありがとう、シナ。」
その後、追加の買出しに出かけたシナを待ってエンダーを加えた4人で食事を摂り、カーサは久し振りのベッドに潜り込んだ。ベッドはとても質素なものだったが、この数日を思えば極楽のように感じられた。これでアルベールも少しは休める…カーサは安心したように目を閉じた。ふと先程の“カーサのおかげ”とシナの言った真意を聞きそびれたことを思い出したが、すっかり間を逃してしまったことと激しい睡魔で、カーサはたちまちのうちに夢を見始めていた。