シナの家は石造りのとても簡素なものだった。同じような造りの家が軒を連ねる通りの一角で、市場の喧騒がすっかり聞こえなくなるところにあった。通りの向こうにはイオ・チュリア山脈に続く山道があり、多くの鉱夫が踏みしめてきた荒削りな一本線が山を登っている。
「さ、入ってくれ。」
シナが古い木の扉を押し開けて二人を促す。家の中は石造りであることと薄暗いことも手伝ってとても寒々しく映る。
「ちょっと肌寒いな…あぁ、その辺に掛けててくれ。」
シナは扉と同じくらい古い木製の椅子が4脚並ぶ辺りを示して暖炉の前に屈みこんだ。とっておいた火種を火箸でつついて再燃させる。
「ずっとここに住んでいるのか?」
「いや…ほんの50年ほどだ。老いない体では定住できずにいたしな。バタロから他の大陸に行っていたこともあった。」
アルベールの問いに、その答えとなる長い時間をさも何でもないように返す。悠久の時を生きてきた彼らにとって、半世紀などたったそれだけの時間に過ぎない。カーサはそのやり取りを耳にしながら部屋を見渡した。天井は吹き抜け、木の梁がむき出しのままロープや布など色々なものが垂れ下がっている。炊事場には水道(出る水はイオ・チュリア山脈の湧き水だという)、その周りの壁面には鍋が掛かっている。一見一部屋しかないように見えた家は、奥にまだ二部屋続いており、一人で住むには大きすぎやしないかとカーサは感じていた。
「すまんな、もうすぐ暖まってくるから。カーサも掛けてくれ。」
シナに促されて部屋を見渡していたカーサもアルベールの横に座る。
「さて…何があったんだ?」
シナが最後に腰掛け、テーブルに片肘をついて前屈み気味に尋ねた。いかにもとりなれた姿勢…ずっと昔から変わらないのだろう。
「実はセシルに会ったんだ。」
「なっ…あの女にか?!」
シナは“セシル”の名にアルベールと同じ反応を示す。
「大陸縦断鉄道で列車強盗に遭ってな…聞いているとは思うが、あいつは今政府を裏で牛耳っている。」
「それで“通報を受けて取り締まりに来たら二人がいた”って訳か?」
「あいつはそれを“偶然”だと言い切ったがな…僕は信じない。」
「それが無難だ。」
シナはアルベールの言葉に深く頷いた。
「私たち、もうあの人に会うわけにはいかないわ。」
詳しい事は分からないけれど、とにかく今はアルベールのため。
「そうだな…確かに大陸縦断鉄道には戻れない。ハイアーへはどうしても使うとしても、ハネスゲルンまでなら避けるに限る。」
「何か方法を?」
腕を組み、悩みの溜め息をついたシナにカーサが答えを促す。
「うーん…ないことはない…が、難しいな…」
「何が難しいのさ、そんなこと。」
「?!」
突然背後から若い男の声がして、カーサとアルベールはほぼ同時に振り返った。奥に続いている片方の部屋から、20代前半と思われる青年がこちらを見ていた。肌は色白のそれが鉱山で汚れたような独特な色で、髪はシナやアルベールのものとよく似ていた。
「ここから秘密裏にハネスゲルンに行きたいならモグラ道を行くしかないじゃないか。トロッコを使えばそんな時間もかからないだろ?」
青年はそんな二人の視線を半ば無視するように強気な言葉を口にした。
「簡単に言うな、エン。今はちょうどハネスゲルンへの輸出が終わったばかりだ。次にトロッコを動かすのは一ヵ月後…到底伝承の日に間に合わん。」
「そんなの…勝手に動かせばいいだけのことだろ?どうせ次の輸出まで使わないままなんだから。」
「エン、要はポイント操作だ。一つ間違えばハネスゲルンどころか全く違う場所に出るぞ。出来れば内密に事を進めるんだ。誰かにポインターを頼むわけにはいかないんだよ。」
「それこそそこの人の出番なんじゃないの?力を与えればポイントなんて…」
「ちょっ…ちょっと待つんだ!」
二人の会話に驚いたアルベールが咄嗟に立ち上がって話を断ち切った。
「シナ!こいつは誰だ?!何故カーサや伝承の事を知っている?!」
アルベールは“エン”と呼ばれていた青年を指しながら問う。
「まぁ…落ち着けよ、アル。言ってなくて悪かった。こいつはエンダー、俺の息子だ。」
「む…息子?!」
アルベールはもう一度驚いて振り返った。少しつり目の茶色い瞳が強気な印象を持たせる。髪の色だけは見慣れたもの、ルルイエとの混血の証を示している。
「エンには全て話してある。死ぬ身となってからルルイエを語り残しておかないとと思うようになってな。なに…心配するな。息子はおいそれと秘密を露呈させるような男じゃない。」
「まあね。」
エンダーはそう言いながら部屋の入り口を離れ、残っていた一席に腰掛ける。
「…で、この人たちがそうなんだ。」
エンダーは少しつっけんどんな物言いをする。悪気はないのだが癖なのだろう。未だ思春期にあるような面を持ち併せている。
「そうだが…その前にエン、口に気をつけろ。カーサとアルベールはお前より年下に見えても実際はずっと年上なんだぞ。」
「分かってるよ。」
そう言いつつも彼は半信半疑な目線を二人に向けた。
「ったく…こいつは娘のエリーンと違っていつまでも子供でな。」
シナはやれやれと言わんばかりに溜め息混じりに呟いた。エンダーはそれに“うるさいな”と口を濁し、シナは更にそれを無視するようにエリーンがエンダーの3歳年下の妹で、今はバタロに嫁いでいったのだと説明した。