「ねぇ…ルルイエのこと、また聞いてもいい?」

陸橋の大音量を通り過ぎてカーサが話しかける。

「いいよ。…あ、でもちょっと待って。」

アルベールは立ち上がり、鞄を網棚に置くフリをして素早く辺りを確かめた。いくらバタロに向かうこの列車がマークされていないと踏んでいても、どこに入り込んでいるか分からない。相手はセシルだ…油断は出来ない。

「…さて、いいよ。ルルイエの何を話そうか?」

車内に一組の家族と数名の女性しかいないのを確認し、アルベールは前屈みに聞き返す。

「えっとね…ルルイエってどんな場所だったかを知りたいの。海に沈む前はちゃんと人が住んでいたんでしょう?」

「もちろん。」

アルベールは頷きながら、口の前に人差し指をあてがった。もう少し“ルルイエ”という言葉が列車の音に紛れるように、と。

「あそこはとても面白い場所だったよ。緑の泥土に一面が覆われていた。その全てが奇怪な…というか…上がっていたはずの階段をいつの間にか下りていたり、さっきまで立っていた場所が何故か天井に浮いているように見えたり…。全て外部からルルイエを守るための仕組みだった。」

尤も敵は内部にいたのだけれど…とアルベールは心中で自嘲的に呟いた。

「外部って?」

「ルルイエ以外の国のことだよ。」

「え…他の国もあったんだ…」

「そうだよ。まぁ…でもほとんどがルルイエに関わる七大遺跡の影に隠されているから、そう思うのも無理はないけどね。」

そう言って彼は軽く肩をすくめる。

「でも…そうしたらその七大遺跡はどうなるの?他の大陸にも…世界中に点在しているのに。」

「うん…確かに国はあるとはいったけど、ほとんどがルルイエの属国みたいなものだったしね。何しろ当時の技術や生活を支えていたのは君の魔法だったから。尤も自由に魔法を使えたのはルルイエの民だけだった。だからどの国にも何人かルルイエの民が常駐していて、魔法具の氾濫を抑えていたんだ。」

「…独裁国家だったのね、ルルイエって。」

カーサは残念そうな表情を浮かべる。

「いや、そうじゃないんだ。相互関係だったんだよ。ルルイエは緑の泥土に覆われていたために作物を作れなかったからね。魔法具や魔法の提供は他国から贈られていた作物に対するお礼だったんだ。魔法具の使い手を制限したのも安全に魔法を駆使するためだった。強大な力を生半可に使えば大きな痛手を負うことになるからね。だから各国で困難だと言われていた仕事はすべてルルイエの民が担っていた。七大遺跡はその功績の一つでもあったんだよ。だから一度も反乱が起きた事はなかった。外部の国から守るといったのも、実際には一部の過激派から守るという意味合いの方が強かった。」

「そっか…」

カーサは安堵の溜め息をついて背もたれに寄りかかり、嬉しそうに微笑んだ。彼女の様子にアルベールも前屈みだった体勢を直す。

「安心した?」

「うん。だって昔のルルイエって昔の私のことでもあるでしょう?私全然覚えていないから、そういうことから昔の私を考えるしかできないの。もしかしたらずっと眠っていた間に性格が変わっちゃっているかもしれないでしょう?」

カーサのふふっという冗談にアルベールも思わず微笑み返す。

「大丈夫、君は昔と変わらないよ。」

アルベールは柔らかな日差しに溶け込むように微笑むカーサに昔の面影を見ていた。大丈夫…忘れてはいなかった、僕もこの微笑を。

 

君はこうして変わらずにいるのに、何故人も人の世も移ろいでいってしまうのだろう…

 

 

 

     私だってなにもやってはいけないことを考えないわけではないのよ。

 

 

 

ふと頭にカーサの声が響く。しかし目の前の彼女は口を閉ざし、ただ窓の外を見ているだけ。あぁ…記憶の中のカーサの声だ…アルベールは遠い昔にも同じように微笑んだ過去のカーサを思い出していた。

 

 

 

   私も時にはこのルルイエをでて外へ出たら、どんな景色が見えるんだろうって考えるわ。ふふ…無責任よね。

   でも私は技術や力の源はあくまで善でなければならないと思うの。

   私が魔法具の恩恵に預かることが出来ても、魔法具を使えないのはきっとそう。

   一度大きな力を使うと、更なる高みを見たくなるのよ。

   それが向上心ならいいのだけど…何故欲望に姿を変えてしまうのかしらね…。

 

 

 

 

そう口にして悲しそうな弱々しい笑みを浮かべた…記憶の中のカーサ。今の君もきっと同じことを言うのだろうね。だからこそこれ以上セシルに会うわけにはいかない。あいつが見ているのは欲望の果ての高みだ。今再びカーサの与える力を手に入れたら…考えただけでもゾッとする。

 

 

 

 「あ、山が見えてきたわ!」

深刻に考え込むアルベールをよそにカーサが嬉しそうな声を上げる。進行方向を向いている彼女の目には、突如として連なる尾根が映っていた。ゴードウォールド以来、久し振りにとも感じられる平野以外の景色に自然と胸が躍る。

「あれがイオ・チュリア山脈だよ。」

「不思議な形…」

山脈の端があまりに急勾配だったため、カーサは思わず呟いた。まるでゼリー型で作ったケーキを何分割かして、それをそのまま置いたかのように見える。

「あの山脈が始まるところでデフェラ大平原が終わるんだ。」

「そして…ナジカの駅があるのね。」

「そう。」

アルベールは座席から窓の外を振り返るようにして、半ばイオ・チュリア山脈を睨みつけるように見遣った。もしハネスゲルンに続く道が途絶えていたら…元の道に戻るしかないだろうな…、しかし既にセシルの包囲網となった大陸銃弾鉄道に戻ってもしものことがあれば…。アルベールの頭は嫌が負うにも悪い方向へと考えてしまう。“守る”という立場は往々にして最悪の状況を予測してしまうもの…、それなら“守られる”立場がするべきは…

「大丈夫よ、アルベール。」

カーサはとびきりに明るい声で、アルベールの注意を今一度自分に向けた。

「道はどんな風にでも繋がってる。もし真っ直ぐにハネスゲルンへいけなくても、別の道は必ずあるわ。でも…そうやってアルがもしものことを考えるなら、私もちゃんと考えておかないとね。どうやって道を作り出す魔法を与えようかって。」

カーサは冗談めいてニコッと笑みを浮かべた。その笑顔に黒く闇がかかっていたようなアルベールの思考が晴れていく。

「うん、じゃあそうしよう。」

二人は目を合わせ、同時にふふふっと柔らかく笑いあった。

 

 セシルの言葉は何もかも受け入れがたかったけれど、ただ一つ肯定するならばカーサを“女神”だと言ったことだ。そう…彼女は女神、今も昔も変わらない。この慈愛が魔法具の使い手によって再び悪用されてしまわないように、必ずルルイエへ連れて行く。世界には今一度カーサのそれが必要なのだから。

 

 

 

    

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