夜になってやっと着いた次の駅で二人は佇んでいた。ただでさえ半日かかる道のりの、その途中で列車強盗に遭ったがために随分と時間をくわされていた。強盗たちを全員拘束し、政府の人間が隈なく列車内の安全を確かめ、それでも一度落ちた蒸気圧を再び上昇させるのにはさらに時間がかかったのだった。
「列車…来ないね。」
立ち疲れてその場にしゃがんだカーサが静かな線路を見つめて呟く。二人は今少し東へと進路を逸らすために別の夜行列車を待っていた。本当ならあの最初に乗った列車で終着駅へと行きたかった。時間と同じくらい旅費にも余裕などない。
「少し遅れてるみたいだね…きっともうすぐ来るよ。そうしたらとりあえず休もう。」
壁に寄りかかって少し疲れた様子のアルベールを見て、カーサは再びその場に立ち上がった。アルベールはもうずっと神経を削っている…そう感じていた、特にセシルに会ってから。私に疲れを癒す魔法が与えられたら…でも何にどのように与えたらいいのか分からない。いっそ万能の魔法使いだったら良かったのに…。
「どうかした?」
「え?…ううん、何でもない。」
カーサの少し落ち込んだ様子を気遣うアルベールに、彼女は笑顔で返す。アルベールもまた柔和に“そっか”と微笑み返した。今はこんなにも穏やか…だからこそ信じ難い、何かあったのだと思わずにはいられない…セシルとアルベール…いや、ルルイエで一体何があったのだろう。
「ねぇ…」
「ん?」
「さっき“ちゃんと話す”って言ってくれたよね?今…聞いてもいい?」
「セシルのこと?」
「うん。」
カーサは遠慮がちに小さく頷いた。
「…そうだね。早いうちに話しておいた方がいいかもしれない。」
アルベールは更に小さく呟く。壁に寄りかかっていた体勢をただし、変わらず穏やかな表情の中に僅かに緊張を宿した。静かなホームを目だけで素早く注視する。海からも山からも遠い大陸の真ん中、こんな片田舎の駅で深夜に列車を待つのは、何度見渡そうともカーサとアルベールの二人だけだった。
「…単刀直入に言えば、君がルルイエを出た理由がセシルにあったんだ。」
「あの人に?」
カーサは驚きながらもどこか納得していた。だから彼女の“覚えているか”の問いにあんなにも強く反応したんだ。
「さっきの列車の中で世界の七大遺跡にはルルイエが関わっていたって話をしたよね。石を簡単に切る魔法…重い物を容易く持ち上げる魔法…思ったとおりの彫刻を施す魔法…全て君が与え僕たちが使ってきた。最初は遺跡にも遺物にもならないような小さなものから、段々と七大遺跡のような規模にまで発展していった。何しろ君が力を与えた魔法具があれば困難な事ではないからね。」
アルベールはそこまで言って一度区切りをつけた。別の方面に向かう夜行列車が、遠くの複線の上を心地よいガタゴトという音を立てて走り去っていく。
「…だけどそういう大きな力は使いようだ。巨大な遺跡を造り上げるほどの力は如何様にも転用できる。セシルは…あいつは遺跡や神殿を造るために地形を変えたほうがいいと言い出した。山を一つ“切り取り”“持ち上げ”“海に運べ”ば、広大な土地が確保できてルルイエの民がより豊かに住めるようになると言って聞かなかった。僕たちはそれを反対したし、勿論君も許さなかった。いくら魔法があるからといって、人間が世界にそこまでしていいという証にはならない、と。でもあいつは君の言葉すら聞き入れなかった…ある日勝手に地形を変えてしまったんだ。今僕たちがこうしているこの場所…デフェラ大平原はその時にセシルによって創りだされてしまったもの。数千年前、この場所はちょうど山の山頂付近だった。」
「嘘…ここが?」
カーサは思わず自分の足元を確かめた。駅、線路、小さな宿場…ここにあるのはそれだけ。山も海もない、セシルがルルイエの人たちを住まわせようとした所…この何もない…何の変哲もないこの場所が。
「…君はその事をひどく嘆いた。そして間接的だったにしろ自分の力がそうしてしまった事を誰よりも後悔した。最も君を悲しませたのは、セシルの行動に便乗しようとする者が多かったことだ。セシルが一線を越えた事で、多くの者が自分もやってみたいと言い出した。だから魔法具を使う僕たちの意識が変わるまで、君は魔法を与えないと決意してルルイエを出た。辛うじて地形を変えることに反対していた僕やロンザを監視役にして…」
「それでこの石をあなたやおじいさんに渡したのね。」
カーサは首にかかる緑のペンダントを服の下から出して眺めた。アルベールはそれに頷く。
「でもどうしてセシルもこの石を持っていたの?地形を変えた張本人にも渡すなんて…」
今の私でも絶対にそんな事考えられない。
「そう…それが分からないとこなんだ。だからあの噂を聞いたとき自分の耳を疑った。けれどあの女のことだ…何人か僕たちと同じように永久なる魔法具を与えられた誰かから奪ったのかもしれない。或いはセシルと繋がっている者がいたのか…。何にしても油断のならない女だよ。」
アルベールは憎々しげに遠くを見つめる。きっと…おじいさんやアルベールは最初からセシルとは相容れなかったんだ。どこかあの3人が口論していたのを見ていたような気がする…記憶とは違う感覚。
「セシル…彼女は何か魔法具を持っているのかしら?普通に女性が身につけるくらいのアクセサリーしかしていなかったようだけど…。」
「いや…十中八九あいつも永久なる魔法具以外は持っていない。与えられた力は君が記憶を封じた時点で一度すべて消えたから…。ただ今はそれに代わる技術や文明がある。その意味であいつの立場は昔と全然変わっていないことになる。」
アルベールは口元に手をやり、苦々しげな表情を浮かべた。
「あの人の髪と肌の色…アルやおじいさんとは全然違っていたわ。」
「あぁ…でも元々は僕たちのような褐色の肌に黒髪だった。だが今は魔法を使わなくともあれくらい変えることもできるからね。ただ目だけはどうしようもなかったはずだ。この碧の目は互いを見分けられるようにと君が永久なる魔法具に条件付けしたものだから。」
「私が…」
過去の自分のことを聞くたびに胸がチクリと痛む。何故こんなにも覚えていないのだろう…こんな私がルルイエに行って何になるというのだろう…。背中合わせの私と私。今の私に背後にいる過去の私は見えない…過去の私には今の私が見えていたのだろうか。
「カーサ?」
アルベールは再び不安に駆られているカーサを気遣う。
「ねぇ、アル…」
「ん?」
「私…ちゃんと思い出せるのかしら…ルルイエのこと。」
「…多分…ね。」
「本当…?」
今にも泣きそうな顔でカーサはアルベールを覗き込むように見遣る。もしも思い出せなかったら…分からないままだったら…、私は一体どれだけのものを裏切ってしまう事になるのだろう…。
「もしも思い出せなかったら僕が全部教えてあげる。何も思い出せなくても君は君だ。ルルイエは必ず君を迎え入れる…一緒に行こう。」
“だから怖がらないで”とでも言うように、壁際のカーサの手をそっと取る。指に嵌めたリングと,乾いた音を鳴らす腕輪がカーサの手に触る。
「うん…ありがとう。」
カーサは繋いだ手をぎゅっと握り返した。小さな子供のように手を取り合う二人…この時“魔法”を与えたのはどちらだったのだろう。真っ直ぐに細い月を見上げるアルベールと、俯きながらも繋いだ手の暖かさに小さく微笑むカーサ。平原の夜を今再び列車の走る音が、その静寂を破るように段々と大きくなりながら響いてきた。