カイはそれからトゥークの麓の街に降りて、唯一の新聞屋に行く事が多かった。そこは過去の新聞を数年間分溜めている場所…図書館も本屋もない小さな町の貴重な情報発信元だった。ナタリーにはもちろん、町の人にも直接戦況を聞くことはできなかった。聞けば“何とかしてくれる”“どうにかしてくれるつもりだ”という目でどうしても見られる。それだけは避けたかった…エーイーリーでの負い目は未だカイの心を解き放ちはしない。

 

 それでもカイは記憶から生まれる使命感とは別に感じた求心力に従いたかった。今はただナタリーを助けたい…そのために戦争を終わらせたい。そう願えるようになっただけでも、今のカイには十分な進歩だった。

 

 

 カイは静かな新聞屋の椅子に腰掛けて手に持つ新聞を1枚めくった。ここに記されているどれだけが本当なのかは分からない。だが、だからこそ自分の今いる国・タツァールの戦況の悪さを感じられる。敵国は海の向こうの大国・ロッケル。地図を見ただけでも国も大きさ、資源の豊かさ、人口、技術…すべての面でタツァールが劣っているのが読み取れる。その戦争がもう5年。いくら記事を嘘で固めても、死に行く人は増えるばかりだ…ただ国を守ろうというその一心で。何とかできないものか…何とか…この力を使わずに…。

「最近あんたよく来るねぇ。」

ふと新聞屋の女将が話しかけてくる。未だ包帯を巻いたままのカイの右腕を気遣いつつ、マグカップに並々と注いだお茶を渡してくれた。

「ありがとう。」

カイはそういって受け取る。

「あんが高台のナタリーのところにいるんだろ?あの子にもやっと男手が出来たわけだ。」

「いや…私はただ世話になっているだけで…」

「大体みんなそう返すけどね、結局は同じ事さ。あの子はいい子だろう?」

「ああ、とても。」

「ちっちゃいマラちゃんを連れて最初に来た時には随分ボロボロだったけどねぇ。今じゃ逞しいものさ。」

女将はそう自分の言葉に頷く。逞しく…そう、けれどそれを支えているのはいつ届くかもしれない死への決意だ。

「リックやディインは元々この辺りの子なのか?」

「リックはね。だがディインとスーちゃんは違う。ナタリーがどこから連れてきたのか…どこにしたって境遇は同じだけどね。」

「…ここにもバガーが届くのか…」

「そりゃあね、どこにいたって避けられないのさ。あたしの旦那にも来たし、いずれあたしにも来る。どれだけのものを無くしてきても、失うものはまだまだ多いってことさ。」

女将は苦々しく声を上げた。ナタリーよりもストレートに戦争への思いを口にはしていても、これからまだ失っていくことは否定しない。

「戦争はまだ続くのか?」

紙面にはその日のバガーの犠牲者と加害の状況がおどる。

「さあねぇ…誰かが一言“戦争を終わりにしたい”といえば簡単に変わるのかもしれないけど、いかんせんその一言が難しくてね…。誰も裏切る事が怖いのさ。」

「裏切る…?」

「さ、あんたもこんな新聞ばっかり読んでないでリックやディインと遊んでやりな。こんなにいいお天気なんだからさ!!」

女将はナタリーのように一転した気風のいい笑顔に戻すと、威勢良カイを外へと促した。

 この世界の人々は何故動かないのだろう、そんな風に感じていながら。笑顔に隠す表情には悲壮感と共に怯えも見られる。きっと皆が動けば現状は変わるはず…だが突破口がない。声を上げ、戦争をやめようと意思を示す事を極端に怖がる。…それは今の私と同じ。私はまだこの世界で自らの赤い光を目にしてはいない。終わらせたい…助けたい、その気持ちに必要な何かをなんとしても踏み出さなければならないと分かっているのに。

 

 

 

 「カイーーーーーーーー!!!」

新聞屋を出てすぐにマラの声が飛び込んできた。ナタリーの家から迷いなく走ってきたのか、全速力で向かってくる。疲れを知らないのは子供だからか…?いや、そうじゃない…その表情は悲痛に染まっている。

「マラ!どうしたんだ?!」

カイはそれを見て取って駆け寄った。その背後の新聞屋からマラの声を聞いて女将が顔を出す。

「カイ…どうしよう…お願い…!!」

「落ち着くんだ、マラ。一体どうしたというんだ?!」

涙に言葉が遮られるならをカイは優しくなだめる。けれど本当は一刻も早く知りたい…マラがこんなに取り乱すわけを。嫌な予感が心を満たしていく。そうでなければいいのにと思いながらも、その確実性はカイの心を捉えて放さない。

「うぅっ…お姉ちゃんにアレが届いたの…。リックたちが昼寝している間に行くつもりなのよ…!あたし何度も行かないでって言ったけど聞いてくれない…!う…くぅ…!!」

マラは力いっぱい涙を堪えながら何とか言葉を繋げた。カイは…カイの心臓は冷たい鼓動を繰り返した。全身の血の温度が一気に2度も3度も下がってしまったかのように、体が内部から凍りつく。

「お願い…カイ!!お姉ちゃんを止めて!!あたしもうあんなの見たくない…!お願い…!」

マラはそこまで言うと泣き崩れてしまった。この子が一体何を見てきたのか…ナタリー、それでも行くというのか?!そんなの駄目だ…!

 

 

 カイは弾かれたようにトゥークの高台に向かって走り出した。その場からもはや一歩も動けずにしゃくりあげるマラをなだめる女将の声が少しだけ耳に入る。だがそれ以降の音は何も聞こえてこなくなった。何をするべきかただ考えているよりも、いざやらなければならなくなった時の方が思考が回る。不思議と何もかもが分かってくる…合点がいく。この国の人たちが本当に守りたかったのは、国の未来なんかじゃなかったんだ…!!

 

 

        

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