闇から再び醒めたとき、“ナタリー”と名を聞いた女性がまるで夢のように感じられた。相変わらず静かで柔らかな光が差し込む。ここはいつでも静かなところではあったが、日光と空気に新鮮味を感じる…今はきっと朝だ。
カイは小さな深呼吸と共に起き上がった。いつまでもこうしていたって気が滅入るだけだ。頭痛と吐き気が治まっても体は未だ重い。それでもカイはベッドから下ろした足を床につけた。その床の感触でやっと自分の存在を確認する…あの闇から醒めたところにいるのだ、と。
カイは昨日人知れず外し傍らに落としていた包帯を拾い上げ、右腕に巻きなおし始めた。もう痛みも出血もなかったがそれでも包帯を巻いたのは、この赤い痣を他の誰よりもカイ自身が目にしたくなかったからであった。肩口から巻き始めた包帯が徐々に痣を隠していく。そんなカイの手がふと止まる。手首に浮かぶエーイーリー…カイはしばらく険しい目付きでそれを見つめていたが、やがて同じように包帯を巻いていった。ベッドに腰掛け、包帯の具合を確かめるように固く握りこぶしを作る。包帯がキシキシとかすかに音を立てた。
…コンコン
小さなノックもここでは大きく響く。
「…はい。」
「あ、もう起きてらしたんですね。お早うございます。気分はいかが?」
カイの返事に扉を開け、ナタリーが顔を出す。
「大分よくなった。ありがとう…随分世話になってしまって。」
「とんでもない!」
ナタリーはそう言ってあどけない笑みを浮かべた。その笑顔は朝に光に溶け込んで余計に輝いて見えた。
「ご飯食べられそうなら一緒に召し上がりませんか?皆も待ってますし。」
「皆…?」
ナタリーに聞き返すと同時に3人の子供たちが走りこんできた。その誰もが10歳前後のようにみえる…首から2本の鍵らしきものを下げた一番年上と見られる少女も、13歳になるかならないかといったところだ。
「あー!!この人起きたんだ!!」
「人を指差しては駄目よ、リック。あなたもよ、ディイン。」
そうナタリーに窘められて二人の少年は突き出した手を同時に握りこぶしへと変えた。
「この人いつ起きたの?今?」
「いいえ、最初に目が覚めたのは昨日のお昼頃。」
「えー!!ナタリー昨日そんなこと全然言ってなかったじゃんか!!」
「だって…言えばあなた達絶対にこの部屋を覗きに来てたでしょう?カイは疲れていたのだから休ませて上げなきゃ…」
「ナタリーってばもうこの人の名前知ってるー!!ズルイズルイ!!」
リックと呼ばれた少年の“ズルイコール”にディインが加わる。部屋はこれまでにないほど賑やかになった。
「はいはい、分かりました!さぁ…いい子だから食卓に戻って。マラ、スーはあっちで待ってるんでしょう?リックとディインを先に連れていってくれる?」
「うん。ほら2人とも、行くよ!」
「分かったー!!カイって人、早くねー!」
「早くねー!!」
2人の少年は楽しそうにバタバタと足音をさせて部屋から飛び出していった。マラという名の少女がその後に続く。
「ごめんなさい。騒々しくて…」
子供たちを見送ってナタリーが切り出す。“ごめん”とは言っていても、その顔からは楽しげな雰囲気が零れている。
「いや…あれだけ底抜けに明るいと元気にならずにはいられないな。おかげで助かった。」
カイはそう言ってベッドから立ち上がった。あの2人の少年のやり取りが、随分と体を軽くしてくれていた。
「良かった。」
「…ん?」
「昨日はとても具合が悪そうだったから…もしかしたらお医者様を呼ぶべきかしらって心配してたの。この近くにはお医者様はいないから…」
「ああ…そういえば辺境だと言っていたな…」
カイは昨日の朧気な記憶の中から何とか情報を引っ張り出した。
「それも…あるんですけどね…」
ナタリーは微笑みながらも少し俯く…悲壮感を伴う表情。
「…戦争が?」
「…えぇ…。さ、行きましょう。全員が揃うまで食べ始めないようにって教えてきたから、あの子たち皆待ってるわ。」
ナタリーは小さく肯定すると、それまでの表情を一転して明るくし、カイを食卓へを促した。カイは少しばかり後悔した。ナタリーに嫌な事を思い出させてしまったような罪悪感と、そして世界を消して尚ここを救おうとしている自分を少し恥じて。