カイはその日、夕食を取らないままに就寝時間を迎えた。シャワーだけ浴びると髪が乾く時間も惜しんで床についた。ひどく疲れていた。それは皆同じだろうけど、心が回復しなかった。なのに…疲れているのに眠れない。暗い部屋が暗い炭坑を思い出させる。いつまでも頭に声が残っていた。あの炭坑の中に一体何人が取り残されたままなのだろうか。
何故あの時クリフォスの光は消えてしまったんだ、何故助けてあげられなかったんだ。
力があるのに私は無力だ。
「眠れないの?」
囁くような声がした。右隣りのベッドを使うエディがこちらを見ていた。
「…ああ。」
「僕もだよ。」
微かな明かりにエディがにこっと微笑んだのが分かる。
「ね、外に出てみない?母さんがよく言ってたんだ、眠れない時はベッドでうずくまるより外がいいって。」
「…そうか。」
カイは起き上がった。そしてエディも同様に起き上がると二人は外に出た。外は少し涼しい。それだけで気分がだいぶ変わる。カイはエディと共に第4炭坑の宿舎の脇を通り、鉱山とは反対側の山肌に向かった。そこは配属当日にエディが見つけたお気に入りの場所。麓のレゼ・トールの町が一望できる。
「僕はさ、なんでもかんでも聞きたがるってよく言われるけど、でも今度のことは本気で聞きたいんだ。」
いつになくエディは真剣だ。彼は振り向き、麓からカイに目線を移した。
「君は一体誰?」
エディの大きな瞳にカイが映っている。柔らかい月光が彼の表情を際立たせている。
「今日、第2炭坑の救助の時に見えたんだ。その右腕、光ってた。それは本当にただの痣?」
暫し沈黙が流れる。月光が流れる雲に遮られて、カイはやがて口を開いた。
「いや…」
カイの鋭く真剣なまなざしは、対峙する年若い少年を一瞬たじろかせた。
「これはただの痣じゃない。クリフォスの右腕だ。クリフォスは闇の象徴、邪悪の樹。そして私の存在だ。」
「違うよ!カイはそんな人じゃない。」
“邪悪”の言葉にエディがすかさず反応する。カイのまなざしに…カイの赤い光にどんなに畏怖を感じても、カイはカイだ、カイは悪い人じゃない。
「嬉しいよ、エディ。だけどこれが真実だ。私の右腕の赤い光は、あらゆるものを塵に変え消してしまう忌まわしい力を持っている。岩も弾丸も…そして人も…赤い光に触れれば一瞬で塵と化す。」
「でもカイは…カイはその力を悪いことには使わないよ!右腕が邪悪の樹でも…カイは…違うよ。」
エディは弱々しく、しかし覆すことのない言葉をうつむき加減に呟いた。カイは再び微笑むことができた。エディの存在はカイにとって光だった。
「そうだな、そう…ありたい。」
カイもまた呟く。
「…カイの父さんと母さんも、同じ力を持ってたの?」
再び月光がエディの顔を照らす。二人の周りは怖いくらい静かだ。
「…わからない。私に両親がいたのかも、私が元にどこにいたのかも。」
「故郷が…ない?」
「…ああ。信じられないかもしれないけど、この世にはこことは違う世界があるんだ。私はそうした他の世界からここに来た。」
「セカイ…ここと似た所や人が他にも…」
「そうだ。もういくつかの世界を回って来た。世界の姿を見つけるたび、私は違う世界に移動する。ここもいずれは…ね。」
カイは伏し目がちに右腕を見た。未だこの世界の姿は見えない。その日がまだまだ先ならいいのに…。
「そっか…。」
エディが視線を落として溜め息混じりに呟く。
「でも僕はそうなってもカイを忘れないよ。僕、カイの話を忘れたりするかもしれないけど、それだけは信じていいよ。」
「エディ…」
心に光が灯る。小さな小さな、しかし確実な光。赤などではない黄色にも白にも見えるそれを、カイははっきり見たような気がした。
「話してくれてありがとう。なんだか眠れそうだよ。君は?」
「私もだ。」
カイは柔和に微笑んでいた。ついさっきまでのあの重い心が嘘だったかのように。二人は来た道を戻り、部屋へ帰っていった。
エディ、君が変わらずいてくれたらどんなに良かったか…。