カイは教えられたとおりにレゼ・トールの北側に出た。山は一段と近い。鉱山地区に相応しく、鶴嘴やトロッコが無造作に置かれている。あちこちの地名が書かれた札ごとに貨車が置かれていて、それぞれが決められた量の石炭を積んでいる。おそらくはここから各地に石炭を供給し、国が利益を得ているのだろう。そしてレゼ・トールの町のように石炭に依存して生活している、それがこの世界の実状だ。

 カイからやや遠い所に炭坑が見えた。位置的に中がよく見える。炭坑は岩で完全に塞がっており、鎮魂の花々が疎らに供えられている。落盤事故だろうか。尤もそうでなければ強制動員などかけるものではない。

鉱山の奥まで歩いていくと、動員手続きの場所を示す看板があった。人の波も随分去った頃で、15〜6人が列に並んでいる。その列の先には机があり、男が一人なにか聴取していた。しばらくしてカイの番になっても、男は口調も抑揚も変化なしに事務的に話し始めた。

「名前は?」

「カイ。」

「ファミリーネームは?」

「…いや、ない。」

「ない?!」

男は初めて顔を上げた。

「孤児でもファミリーネームはつけられてるはずだが?」

「私は孤児ではないし、今までにファミリーネームがあったこともない。」

カイはきっぱりと答えた。しかしその裏で「孤児」の言葉に動揺していた。孤児?まさか…!確かに親の存在を知らないが、同時に孤児として育った覚えもない。育った覚え…?もはやそれすらも…。

「変わった奴だな。まぁいい。名前はカイ、とファミリーネームはな・し。」

男は首をかしげながら手元の用紙に書き込んだ。

「それで出身は?」

「さぁ…?この辺りじゃない。」

「なんだ、随分遠いのか?」

「…たぶん。だが何処かは言えない。分からないから…。」

「分からない?本当か?…それじゃあこの辺りで知ってる地名を一つ挙げな。」

「地名?レゼ・トール。」

「よし…レゼ、トー、ルっと。」

用紙の地名の欄に、一段と濃く強くハッキリと書かれる。

「…それでいいのか?」

カイは少し呆れたように、溜息混じりの声で言った。

「いいんだよ。出身ってのはつまり骸の送り先だ。お前が作業中に死ななきゃ問題ない。そうだろ?」

「そうか。」

男の飄々とした物言いに、カイは肩をすくめた。

「よし、お前は第5炭坑配属だ。そっちの道を行きな。次!」

男は紙をトントンと揃えて顎でカイの右側の道を示すと、早く行けと言わんばかりに後ろの人を呼んだ。

 

 

 しばらく歩いて第5炭坑に行き着くと、そこでは既に作業が始まっていた。その中にカイと同じような配属されたばかりの人も数人いて、早く作業に移らなければと戸惑っているようだった。

「君も今日配属されたの?」

カイは振り返った。少し小柄な10代後半と思われる少年が話しかけてきていた。

「ああ。君も?」

「うん。」

少年は頷く。

「これから部屋が割り当てられて、それで作業服に着替えるみたいだよ。君と同じ部屋がいいな。他の人はなんだか怖い雰囲気だし…。あ、僕エディ・マクウェルっていうんだ。君は?」

「私はカイ。」

「よろしく、カイ。そろそろ行かないとね。そのマント、念のため脱いでおいた方がいいと思うよ。何か隠し持ってると思われるし。」

「そうだな。ありがとう。」

エディは常にニコニコとしていた。目はパッチリとした二重で、少し無造作に伸びた薄い茶色の髪のこの少年には、その笑みがよく似合っていた。

 

 

 幸いにもカイとエディは同室だった。狭い部屋に6人が同居する形で、他の4人はあまり話したりはしなかった。個人のスペースは僅かにベッドの上のみで、一つ一つに作業服が置かれている。薄汚れたカーキのズボンに、黒のタンクトップ。だが数が不足しているのか、カイのところや所々でタンクトップしか置かれていない。

エディはそれまで履いていたズボンが炭坑作業に似つかわしくないこともあり、自分のベッドの上のものに履き替えたが、カイはそのままの黒のズボンに黒のタンクトップを合わせた。髪も黒、瞳も黒、服も靴も黒。本当に私には黒しか似合わないみたいだな。カイは人には分からない程度に自嘲的にほほ笑んだ。

「うわぁ…、どうしたの?この右腕。」

いつの間にか側に来ていたエディがいかにも痛そうなものを見るような声で言った。確かにこうして肩を出して見ると、クリフォスの赤はよく目立つ。ハッキリとしている球体はまだ3つだけだが、他の朧気な球体のせいで右腕全体が赤く見える。

「大丈夫、怪我とかじゃないよ。昔からある痣だから。」

昔から…、か。自分で言っておいてこれほど根拠のない言葉はない。自分がこの痣に気がついたのは、ラナに出会った頃のこと。自分の存在の始まりだって…。

 

 

        

   小説TOP(クリフォスの右腕)へ