外は土埃で霞がかっているように見えた。光の下でクリフォスは影を潜める。途端に体が重い。
「すまねぇな、カイ。助かった。」
「…礼には及ばないさ。」
多分…ウィゴがいるという枷がなかったら、カイはあの暗闇から出ることが出来なかった。あり得ない可能性を捨て去るまでは。
「お前ら無事か?!」
凸凹の地面に足を取られながらカロンが走ってきた。カロンはあの時外にいたのか、出口付近にいたのか、どこも怪我はしていないようだった。
「俺は足がダメだ…。」
「酷いな…とにかく固定しよう。エディはどうだ?」
「…いや、彼はもう…」
カイは虚ろな表情でエディの体をゆっくりと下ろした。光の下にあっても奇跡は起こるものじゃない。そこにエディがいるはずもなかった。
「は…冗談だろ?」
カロンはショックの余り、引きつったような笑顔でエディを見た。
「だってこいつが一番年下で…一番世話のかかる…そういう奴だぞ?今…何もしなくていいなんてわけが…」
「…分かってる。だけどもう…いいんだ。」
カイはカロンの方には決して顔を向けず、ただそこにあるエディの顔を見つめていた。血と土埃に汚れた少し幼い顔。助けてあげたかった…誰よりも。もう…私に無邪気に笑いかけてくれることは…ないんだな。
そんな悲壮感を轟音が破る。遠くに聞こえていても聞き覚えがあるのだけは分かる。さっきはもっと耳元で響いた。
「何の音だ…?!」
カイは顔を上げ、眼下に見えるレゼ・トールの町を見た。そこから同じく土埃が立ち昇っている。ここの落盤の影響があのように出るとは考えづらい。
「…第4炭鉱の奴らだよ。」
カロンが悲しみの混じる声で苦々しげに呟いた。
「第4?」
「落盤と同時に鉱山を出て行ったらしい。詳しくは分からねぇが…」
カイの頭にオックスやロアルトの顔がよぎる。過激な考え方…隔離炭鉱…クーデターを起こすといっていた。まさか…
「あいつら、この大変な時に何して…っておい!カイ!!」
ウィゴの言葉も聞かず、カイは走り出した。右腕のチリチリと焼け付くような感覚には気が付かないままに。
カイは普通の道を通りはしなかった。緩やかに鉱山から降りる道はレゼ・トールに出るには遠回りだったからだ。その代わりに断崖絶壁の僅かな凹凸を足場に跳ぶように降りていった。まるで高原に住む山羊が崖を移動する時のように。何故そんなことができるのか…焦りのせいか、使命感のせいか、それともクリフォスの力のせいか…何にしても今はそれを追及している場合ではない。またもレゼ・トールから轟音と土埃が上がる。カイは炭鉱を振り向きもせず、ひたすらに走った。
レゼの町を囲う柵の一角に出たが構わず乗り越えた。町は混乱に満ちて人々が逃げ惑っている。建物のあちらこちらが崩れているのが目に入る。もうこれよりも先に進んでしまっているんだ…町の先には経済府の立派な建物がある。カイは人々の流れに反して尚も走った。
彼らが何を考えているのか知っている…何をしているのかも。止めなければ…止めなければ無駄な死を更に増やすことになる…!!
「オックス!!」
カイは探していた人物を見つけ、足にブレーキをかけながら名を呼んだ。オックスが驚いたように振り向く。ロアルトは…おそらくこの集団の先頭にいるのだろう。50人近くにもなる第4炭鉱のクーデターは、非常にゆっくりと進みながらも確実に町を飲み込んでいく。決して衝動的な行動ではない。悔しくも統制が取れている。
「カイ…なんでここにいる?」
「それはこっちの台詞だ、オックス。何てことをしてるんだ…!」
カイは歯を食いしばるようにして問い返した。その表情はまた少しずつクリフォスに侵蝕されつつある。オックスは一瞬それにたじろいだが、目線を逸らし嘲笑を浮かべて口を開いた。
「何って…見りゃ分かんだろ。お前にはいつか話した事があったな…その時が来たってことだ。」
「こんな…こんな暴挙に出て何かが変わるとでも思っているのか?!」
「変わるさ!少なくともやらないよりはマシだ!!もう耐えらんねぇだよ!これ以上俺たちの人生を踏みにじられるのは!」
オックスの言葉にカイの右腕が怒りに震える。焼け付くような痛みは怒りに遮られてカイには届かない。
「準備を…していたのか?続発していた落盤事故に見せかけて、炭鉱内で落盤が起こるように爆薬を仕掛けたな?!」
「そうじゃなかったらどう鉱山から抜け出せっつうんだよ?!落盤の混乱にでも乗じなきゃ鉱山からは出られないだろ!」
オックスは悲痛に響く声を上げた。本当は…後悔しているのか…?ギリギリの選択を迫られた結果だったのか?オックスの声はそんなニュアンスを含むように震えている。確かに私は彼らの思いを知っている…彼らが踏みにじられているのだと感じる気持ちも分かる。だけど…だけど!!
「…君たちは自分が踏みにじられているのだと言ったな。経済府が自分たちの生活を無視していると…。」
カイは怒りをこれ以上ないほどに抑えていた。あまりの怒りの激しさに体がざわめくような身震いさえ感じる、頭がぐらつく。
「だったら何だよ?」
「君たちも同じように何人もの人を踏みにじったんだぞ!あの炭鉱から何人が帰らなかったと思う?!経済府のやり方を嫌っていながら…君たちはそれ以下のことをしたんだ…!分かっているのか?!」
カイの頭にエディの顔がよぎる。右腕の痛みには気が付いていないのに、心がズキズキと疼くのは感じていた。生きていて欲しかった…会えなくなることが前提でも。それを奪った人物が目の前にいる。それなのに心から憎む事は出来ない…!!それならばせめて分かって欲しい。分かり合うことがどういうことなのかを。
「それなら…どうしたら良かったんだよ?!」
オックスは再び悲痛な目線をカイに合わせる。
「お前のは…理想論じゃねぇか。話せば分かる、分かれば変わる…実際はそんな生易しくはねぇだろ?!無理でもしなきゃ物事は変わらないんだ!!」
「そうじゃない…それだけじゃないんだ。言葉や思いがどれだけ強いか君は知らないんだよ。理解しあえば戦争だって止められる…共存するようにだってなれる。ちょっとしたことでも大きく変わることは、君が考えているよりずっと多いんだよ。」
カイは怒りを抑えてゆっくりとした口調で諭した。泣き出してしまいそうな悲痛な表情で…詰まってしまいそうなほど震える声で。知っているから…ラナや子供たちやダルが世界を変えてきたのを見てきたから…可能性を信じたい、こんな状況に陥っていても。