カイは悩んでいた。本当のことを話すべきか否か、というよりもどこまで教えていいものかどうかと。この前ラナたちに話していたときとは違って、今は全く記憶がないわけではない。カイがここに来た理由は“世界を回って平和にしていくこと”そうハッキリしている。話すべきか話さざるべきか、カイは実のところ目が覚めて子供たちの姿を見たときからずっと考えていた。

「…私はどこの国から来た、という訳ではないんだ。」

カイの呟いた言葉に、ケイルもラルフもウィニーでさえもきょとんとしていた。

「あ、じゃあ出身国はどこですか?」

ラルフが尋ねる。

「君の教えてくれた4カ国のどこでもない。」

どんなに答えに窮する質問にも、カイは決して顔を下に向けなかった。

「僕知ってるよ。」

カイにずっと寄り添うようにしていたケイルが唐突に話し始めた。

「だって前にラルフとウィニーが教えてくれたもんね。テンゴクっていうところから来たんでしょ?」

ラルフとウィニーはその言葉を聞いて同じ反応を示した。ひどく驚いたという表情でもなければ、同意するという表情でもなく、何と言ったらいいのだろうか…強いて言うならば、近い過去の事柄をハッと思い出して“そうか”だとか“やはり”だとかいう気持ちが自然に顔に表れたようだった。

「天国?」

カイを死んだ誰かと重ねているのだろうか。確かにケイルのカイへの懐きようは、初対面の相手に対するのとは少し違うように感じてはいたが。

 

 

「ケイル、その話はまた後でな。それより4カ国のどこでもないってどういうことですか?」

ラルフはカイが目が覚めてからこれまでに見た中で一番動揺していた。

「実は私にもよくわからないんだ。特にどうやってここまで来たのか全く見当がつかない。前にいた場所もよく覚えていない。だからここに来た目的も…。」

半分は本当で半分は嘘をついた。実際は前にいたところがどんなところか知っているし、目的もある程度知っている。

「リトリアから来たんならそれでもいいから本当の事を言ってよ!これじゃあんたを信じてあげられない!」

ウィニーは今にも泣きそうだった。他人をこの場所に連れてくる時点でかなり神経質になっていたのに、返ってきた答えが“わからない”では無理もない。ラルフは立ち上がってウィニーの肩を軽く叩いた。

「すまないが、私もこれ以上嘘をつくわけにはいかないんだ。ただ一つ言えるのは、リトリアに加担する気は全くないということだけだ。」

カイの言葉にラルフは少しの間何も言わなかった。ほんの数秒の間、風が壁を通り抜ける音とウィニーが小さくしゃくりあげるような声が聞こえるだけだった。

「わかりました。今はそれだけ分かれば十分です。人に話したくないことは誰にだってありますからね。」

ラルフはカイがせめてもの報いに仄めかした半分の嘘の存在に気がついて、それを擁護するような皮肉するような言い方をした。

 

 

「ラルフ、日が暮れてきたわ。」

確かにウィニーの言うとおり、窓から見える他の建物の煉瓦は、西日を浴びてくすんだ朱色が鮮やかに見えた。

「そうだな。そろそろ帰らないとな。みんなも心配するし。」

それからラルフはカイの方へ向き直った。

「あなたはここにいてください。俺たちの本当の家に連れてはいけません。一緒に住んでる家族のこともあるし。この隠れ家だったら、余程のことがない限り見つからないと思います。ただ大きな音は絶対に出さないでください。窓にも極力近づかないで。何もなければ明日また来ますから。」

「わかった。色々とすまない。」

カイは世界を巡ることよりも、こんな風に誰かの手を焼かせなければならないことがたまらなく嫌だった。子供たちにこのような思いをさせてしまったと思い始めたこの頃から、自分がどの世界でも万能であったなら、とカイは最後まで叶うことのない願いを持ち続けることになった。

「ケイル、行くわよ。」

「…うん。」

ケイルはしぶしぶカイの傍を離れた。そして部屋の出入り口で待っているウィニーとラルフの方へ歩きながら、顔だけはカイの方に向けて手を振っていた(ケイルがなかなか手を振るのを止めなかったため、カイもずっと手を振らなければならなかった)。年長の二人はといえば、ラルフはケイルを見ていたが、ウィニーはカイのことを見ていた。何か考え込むような目で暫く見ていたが、カイが自分の目線に気がついていると分かると、フッと目線を逸らした。

 

 

 子供たちが音もなく去って行った後も、カイはそのまま座っていた。ぼんやりと部屋の中央から窓の外を見つめていたが、おもむろにマントをめくって自分の右腕を見た。右腕に巻きつくような赤いあざ。ちょうど肩の辺りに位置する物質主義(キムラヌート)の球体だけがやけにくっきりしていた。

他の球体はまだおぼろげな感じで、キムラヌートのような文字すら浮かんでおらず、ただいつもと変わらず“1i”“2i”という虚数だけが辛うじて見えた。カイは左手の指先で 肩口のキムラヌートにそっと触れた。

 

ラナ、そっちの世界はどうだ、森と共和国と王国、上手く和解できたのか…

 

自分の目的を達成せんとのプレッシャーからか、もう戻れぬ世界に思いを馳せてみる。この世界はこの前の森よりもずっと早く朱色の夕焼けが漆黒の夕闇へと変わっていった。

 

 

        

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