「その…隠された話とは…?」

「瑠璃姫を殺したのは兄上だという噂だ。」

「なんと…それは真でございますか?!」

「いや…あくまで噂だ。私とて人づてに聞いた話だ、どこぞで付いた尾びれやもしれぬ。」

公三郎は小さく首を振る。

「…何故そのような噂が…兄上様とてお亡くなりになった身ではありませぬか?!」

璃子は公三郎と違い、大きく首を振って震える声で尋ね返した。そのようなはずはない…そのようなはずが…!璃子の中の小さな記憶が必死に記憶を拒絶していた。嫡男の姿も名も、とうに忘れてしまっているのに。

「当時その場を見た者に言わせれば、瑠璃姫の血にまみれた局で一人、見慣れぬ子がうずくまっていたそうだ。背格好は紛れも無く兄上…しかし到底人とは思えぬおぞましい姿だったという。兄上が鬼だったのか、兄上に鬼が憑いていたのかは定かではないが…」

「しかし…恐怖でお姿が変わってしまわれたのかもしれません。目の前でお母上を殺されて、平然としていられようはずもございませんもの。」

胸元で握り締めた璃子の手が僅かに震えていた。目にはうっすらと涙が滲む。

「私もそう思ったがね。いかんせん私とて当時幼子だったのだ。真意は掴めぬ。」

公三郎は軽く瞳を閉じて肩をすくめた。信頼する公三郎の口にした信じがたい言葉。ご嫡男…鬼、そしてセイ殿。細い絹糸のような繋がりがあるように思われるのは、そこにいかなり理由があるからなのか…。

 

 

「では…では兄上様はお亡くなりになってはいないのですか?万が一にもご存命でいらっしゃるのですか?」

璃子は矢継ぎ早に質問を浴びせた。もし生きて山にいるのだとしたら、卒塔婆がないことにも…セイにも…理由が付けられる。

「いや、お亡くなりだ。少なくとも伊國の中では。」

「伊國の中では…?」

「父上が兄上を勘当したのだよ。鬼だったにせよ、憑かれていたにせよ、伊國家の嫡男にあってそのような疑惑…塵一粒とて残してはおけぬ。」

「それ故に兄上様は埋葬されなかったと?卒塔婆にも…」

まるで存在自体無かった事にするために。

「お可哀相だがそれが世間体なのだ。よしんばあの時生きていらしたとしても、もう何処かで果ててしまわれただろう。子の山で子供の骨があるのを見たという話も聞く。…尤もその骨は猿のものかもしれんがね。」

「さようで…さようでございますか…」

璃子は落胆し、小さく公三郎の言葉を聞き入れた。だがその中にあって未だ絹糸の繋がりは、切れずに璃子の中に残っていたのだが…。

 

 

 

 「さすれば璃子はどう思う?兄上が死して尚災いを呼び寄せているのか、死なずして災いをもたらしているのか…」

「それは…あの黒い面の鬼が兄上様ではないのかということでございますか?」

「万一にもね。」

「私は…」

璃子は言葉に詰まった。何も知らなかったならば、≠サう考えることも出来ますね、命あっても鬼に成り代わったなどお可哀相な方といった他人行儀で差し障りの無い言葉を返しただろう。しかし今は黒い面の鬼を…セイを知ってしまった。その正体を掴めずとも、災いをもたらす悪鬼ではないと身に染みている。セイ以外の真の鬼…それが存命の嫡男なのだろうか?いや、違う…それでは絹糸はぷっつりと切れてしまう。何かがおかしい…鬼山村に潜む話の根本的な部分から、真実が少しずつ歪んでいる…歪められている。私の中にもあるその歪みをなくさなければ、絹糸は跡形もなく消えうせよう。

 「…少し意地悪な問い掛けをしたね。この事はあまり深く考えぬ方が良い。忘れなさい。そなたの門限もそろそろ解いてやらねばな。」

「…忝のうございます。」

璃子はそう言って公三郎に一礼をすると、墓前に再度向き直って手を合わせた。

 

瑠璃姫様、どうぞ知恵をお授けください。

私は貴女様のご嫡男が鬼ではないと信じております。

 

そうして祈りを捧げると、璃子は先に踵を返して母屋に向かい始めていた公三郎の後をついていった。秋の涼しい風がまた一陣頬を撫でる。璃子はそれを感じながら、もう一度先祖代々の墓を振り返った。枯れた桔梗の花弁は、先程となんら変わらず無機質に風に乗って飛んでいく。あの花弁の行き着く先で…この風の吹く先で、セイ殿も同じく頬を撫でられているのだろうか。鬼の面を付けた、誰よりも信じたいお方。璃子はその心にしっかりとセイの姿を思い浮かべながら、更に遠くなっていた公三郎の背を追った。その胸に今再び主人の言葉を裏切る事を心に秘めて。

 

 

    

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