伊國家の敷地の隅にある先祖代々の墓に桔梗が揺れる。その中にはセイが摘んだものも含まれていた。璃子が摘んだものとなんら変わりなく、ただ風に吹かれている桔梗。璃子は自らが摘んだ桔梗に混ぜるように、どの墓前にもセイが摘んだものが含まれるように供えた。

あの時、何故花を摘んで手桶に差し入れたのだろう?瑠璃姫の名を知っていたくらいだ、彼女の最期をも知っていて、それ故の情けの手向けだったのだろうか。それとももっと別の誰かのためにだったのか。それが分からなかったが故に、璃子は満遍なく桔梗を供えたのだった。もしこの時セイを単なる悪鬼だと思っていたならば、迷いなく彼の摘んだ桔梗を捨てるところだったろう。鬼はその手が触れたものに邪気を潜ませて持ち帰らせ、遠隔から人を呪う事もできると聞いたことがあった。しかしセイに至っては、よもやそのようなことをするなどとは見えなかった。以前早生の栗を与えた時のように、邪気から璃子の身を守った時のように、到底鬼とは思えぬ暖かみのある手。彼の真意は一体いずこにあるのか…

 

 

 

「桔梗はちょうど見頃だったようだね。」

墓前で考え込む璃子の思考を遮って、風に紛れるように静かに公三郎が現れる。相変わらず菫色の着物がよく似合う、落ち着いた伊國の若旦那。璃子はしゃがみ込んでいた体勢から立ち上がり、少し横に逸れて墓前を公三郎に明け渡した。

「若様、えぇ…とても綺麗に咲き誇っておりました。」

「突然に花摘みを頼んで申し訳なかったね。瑠璃姫の命日は私の母の命日にも近い故、花を手向けたかったのだ。」

「そうですね…そうでございましょう。」

そう…大奥方とその嫡男がなくなって数日後に、愛妾だった公三郎の母も死んだのだ。彼女は狂死だった…鬼を見て気が触れたのだと誰もが囁いた。°Sが…我が子が…と最期まで公三郎の身を案じる言葉を呟いて逝った。一時は瑠璃姫以上に喜一郎の寵愛を受け、その間に生まれた男子とあらば母が溺愛しないわけがなかった。尤も瑠璃姫付きの小間使いとして仕えていた璃子はほんの小さい頃に共に遊んでいた以外に、幼い日の公三郎母子に関わる事は滅多になかったのだが。

「若様のお母上もきっとお喜びですわ。」

璃子はそう言って更に小さくひっそりと建つ墓石を見遣った。そこにも桔梗が供えられている。妾は代々の墓には入れない…けれどこうして敷地内に眠っている。全ては公三郎の一存。セイ殿は花摘みを申し付けた者が命を狙っていると仰ったけれど、よもや公三郎様がそのようなことをなさるはずがない。いや、その話もセイ殿の憶測に過ぎないではないか。大旦那様も若様もただ墓前に花を手向けたかっただけ…

 

 

 「もしや…もしや若様…」

璃子はふと気がついて思わず口に出した。あの時花を手桶に差し入れた、それは情けなどではなく純粋に花を手向けたかったのでは…

「どうしたね?」

聞き返され、璃子は改めてまじまじと公三郎を見た。セイ殿の白い短髪、剛健な足…どう考えても若様とは一致しない。何よりあの冷たい物言いを、若様がなさるなど到底想像もつかない。けれどあの懐かしい感じは何だったのだろう。

「いえ…何でもございません。度々申し訳ありません、若様。」

「ふふ…おかしな璃子だね。だが何かあればすぐに私に言いなさい。お前には世話になってばかりだからね。」

「そんな…勿体無いお言葉でございますわ。」

公三郎はそんな璃子に柔らかく微笑みかけると、自らの母親の墓に一歩近づき、その中の桔梗を一本瑠璃姫の墓前へと移して静かに母屋へ帰っていった。あまりに何気ない行為で、普段ならば気にも留めなかったかもしれない。さもなくば、亡き後の正妻を立てるために供えられている花の本数を調整したのだとも捉えたかもしれない。いずれしても璃子には何故公三郎がそのようなことをしたのかわからなかったが、それと同時に一つだけ敏感に気がついていた事があった。

 

公三郎が特に選んで移し変えた一輪…その桔梗は紛れもなくセイが摘んだものだったのだ。

 

 

    

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