「るり子姉さまは、山神さまの木がお好きなのですね。」

瞳を閉じて手を合わせた璃子を見て、同じく木に向かって手を合わせる清二郎が口にする。

「えぇ、大好きですよ。清二郎様は如何ですか?」

「わたしも大好きでございます。」

そう言って互いに目を合わせ、にっこりと微笑みあう。

「この木が生えることになった発端には…清二郎様、貴方の御名の由来になった方が関係しているのですよ。」

「清十郎兄さまがですか?!真でございますか?!」

この上なく敬愛する義兄の存在を感じ取って、清二郎は目を輝かせた。彼は公三郎のことも勿論義兄として敬ってはいたが、それは清十郎に対するものの比ではない。伊國とは絶縁し、長らく悪鬼によって名を封じられていたために、清十郎のことを詳しく話せるものはもはや璃子だけとなっていた。そのため清二郎は寝しなの夜話のたびに、璃子に清十郎の話を聞かせてほしいと懇願していたのだった。

「一体どのようなご関係なのですか?」

清二郎は合わせていた手を璃子の腕にかけて急かす。

「それは……まだ内緒でございます。」

璃子は清二郎の膨れっ面を承知で今一度真実を隠した。清二郎はまだ数え四つの幼子…真実を知らぬことよりも、中途半端に話して曲解されることの方が恐ろしい。かつて鬼山村と呼ばれていたものを、悪鬼の手から救った良い鬼が、未だ山神らとともに生きていると話す一方で、それを死んだものと話してきた清十郎と重ねさせるには清二郎には早過ぎる。そして清十郎もまた、今明かされることを望みはしないだろう。

 

 「父上もるり子姉さまも、わたしにはまだ早いとそればかり。」

「まぁ、そのようにご立腹なさらないでくださいな。早いと申し上げるのは、いずれの時にお話する約束でもございます。」

「では必ずやお話くださるのですね?!」

「えぇ、致しますよ。ですから…この木を大切になさってくださいね。清十郎様や公三郎様をお思いになるように、私が嫁いでも…」

「そのお話をなさるのはまだ早いですよ、るり子姉さま!」

璃子の言葉を断ち切って、清二郎は甲高い声を上げた。璃子は驚いて目を丸くして清二郎を見つめ返す。

「約束です。」

清二郎はニコリと笑って言い切った。いずれの時にかの約束を“早い”という言葉に当て込んで。

「さあ、参りましょう、るり子姉さま。公三郎兄さまがお待ちです。」

「はい、清二郎様。」

璃子も柔和な笑みを浮かべて、手を引く清二郎に従った。公三郎の最期を知り、清十郎が決して戻らぬと言った時には三神村の行く末を案じずにはいられなかったが、今は清二郎にそれを覆す光を見ている。山神らよ、貴方がたもきっと同じようにお思いの事だろう。三神村は再び栄える。

 

 

 

 

 窪地に佇む公三郎の墓には、今ではしっかりと地に根を張った山神の分木が茂っていた。柔らかな木漏れ日を受けながら、その葉が二人を迎えるように揺れる。璃子はあれから彼岸の度に必ずこの場所を訪れていた。本当の公三郎と過ごした日々など、ほんの一握りにも満たなかった。頭の中には未だ悪鬼が成り済ましていた成人姿の公三郎が残っているが、それでも幼い日の彼を忘れたことは一度もなかった。

かつて年上だった死んだ者を差し置いて、自らは歳を重ねることのげに哀しきかな。璃子は今年、幾分遅れながらの婚期を迎えた。幼いままの公三郎の魂も、輪廻転生の輪に乗った頃であろうか。骨は地に還り、魂は再び現世に生まれゆく。決して変わらぬ世の営み。

「るり子姉さま、ご覧ください!」

墓に近づき、その目に見慣れぬものを捉えて清二郎は駆け出した。璃子は慌ててその後を追って窪地に下りる。

「一体どなたなのでしょう?花がそなえてございます。」

清二郎の指し示す先には、誰が摘んだか秋桜が数輪供えられていた。だが言わずとも分かる…それは紛れも無く清十郎が供えたもの。この墓を知る数少ない参拝者の、心ばかりの供え物なのだと伝わってくる。璃子は目を見張り、ただその秋桜だけをその瞳に映していた。確かに今まで幾度かこのような形で、山に生きる清十郎の存在を垣間見ることはあったが…一体いつ供えたものなのだろう、摘まれて間もないようにも見える。尤も清十郎が摘む草花は、断ち切られて尚生きているようであったが。

「きれいですね。どこの秋桜でありましょうか?」

「そうでございますね…」

璃子は清二郎の横に屈んでその秋桜にそっと触れた。三神村の名を取り戻し蘇った山々には、あちらこちらでこのような花が咲き誇っているのだろう。それは清十郎しか知らない場所…こうして璃子と清二郎が墓参りに来ることを見越して、間接的に教えてくれている。山にはまだまだ知られていない場所があるから探しにおいで、と。

 

 「きっと山神様がお遣いの鬼をよこしてくださったのでしょう。」

「あの良い鬼をですか?」

「えぇ、この秋桜がいずこに咲いているのか、探しに行かなければなりませんね。御礼を申し上げなければ。」

「そうしたら良い鬼に会えますでしょうか?清二郎はお会いしとうございます。」

清二郎は目を輝かせて璃子に問う。

「いずれの時にか。」

今は無意識に感じている良い鬼への思いが、義兄に対するそれと全く同じであることに気付く日も、そう遠くはないでしょう。その日を思って璃子は柔らかく微笑んだ。傍らできょとんとしている清二郎が、今に驚愕した表情を浮かべるかもしれないと思うと、とてもほほえましく感じられた。

「何がそんなに面白いのですか?」

「いえ、なんでもございません。さ、桔梗をお供えして帰りましょう。あまり遅くなっては父君が心配なさいます。」

「はい、るり子姉さま。」

清二郎は訳が分からないながらも手桶から桔梗を取り出すと、秋桜に寄り添うようにそっと置いた。それを見て璃子は手を合わせた。山神に抱かれているのは、公三郎とて同じこと。ゆっくりと育つ若木が満足そうに枝を揺らす。

 

 

 

公三郎様、そちらにいらっしゃるのですか?瑠璃子は次の大安に嫁ぎます。

それでも貴方を忘れは致しません。

 

 

 

そして切に再会を願う。輪廻の輪に乗ったなら、またお会いすることも出来ましょう。

 

 

    

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