アンナとダルク、二人は互いを支え合うようにしてそれから数日を過ごした。二人がそのように惹かれあうのは恋愛感情によるものなどではなく、ひとえに同じく胸に秘めた哀愁ゆえであった。死の足音を聞くアンナの心はダルクが和らげ、生きることに物憂げなダルクの心はアンナが癒した。それでも未だアシュリーは真実を口にできることもなく、ダルクもまた自らの遍歴を話そうとはしなかった。このまま真実に気のないふりを続けるのも、相手を傷つけることになるのだろうか?いっそ“何故”と問い掛けて、その荷をなくして差し上げたい。幾多もある様々な形の優しさのどれを選ぶのが正しいのか、今神から与えられるものがあるのなら、その答えを何よりも望む。

 

バン・ダルク先生、貴方は一体誰?

 

その一言が限りなく遠い、足元に引かれた線のずっと先で哀愁に佇む闇を纏う白い人。ねぇ先生、私に残されている時間はきっと貴方のためだと思うのよ。だから教えて欲しい、夢に出て来て欲しい。いつか私が天使となって貴方の元に舞い降りて、その時にやっと貴方を救えるのだとしても、私が救いたいのは今を苦しむ貴方だから。何度も…何度も、あたたかいスープや陽射しを勧めてみる。決して温まることのない、その冷たい体に。それを一番疎んじているのも、きっと貴方なのでしょうね。どうしたら貴方がご自分の事を話してくださるのかしら?貴方の傍らで私はただそればかり。けれどその考えを押し隠すのも、もう終わりにしようと思うのよ。残された時間の少なさ故に。

 

 

 

 

 

「…お葬式かしら?」

アンナは哀しく響く教会の鐘の音で目を醒まし、“おはよう”の代わりに呟いた。また意識を失っていたのか、実際には朝の挨拶が似つかわしくない時間であった。いつものようにアンナの側に控えていたダルクは、今日は珍しく窓辺に立ってアンナに背を向けている。

「鐘は誰がために鳴りましたの?」

「……さぁ…」

その一言がどこか意味深に聞こえたのは、この知りたがりの気持ち故か。ダルクは未だこちらに向き直らない。

「先生、私外を見たいわ。」

アンナがそう言うと、ダルクは何も言わずにやっと振り向いて、立ち上がるアンナを介助した。相変わらず白く冷たい体…熱で少しほてっているアンナには心地よくもある。尤も普通の人であれば、そのあまりの冷たさを気味悪く感じるだろうけれど。

 

「…見えるかい?」

「えぇ。」

アンナは窓の桟とダルクに体を預けて、城下を見下ろした。高台にあるプラム城からは村が一望できて、城の反対の外れにある小さな墓地も見て取れた。そこに集まる幾人かの黒い服…皆土中の棺に花を手向け、涙を流している。

「神様の御許に召されるとは言っても…別れはやはり辛いでしょうね。」

その言葉は二つの方向に向けられる。遠く墓地にいる親族と、それから自分自身へと。

「所詮慰めでしかないのかしら?神父様のお言葉に救われる事は多いけれど…」

そう呟くアンナにダルクは目線を落とした。日毎アンナは痩せ細っていく。とうとうその愛らしい顔にもその影響が現れて、落ち窪んだ目元や少しこけた頬に胸が痛む。体はひどく辛いだろうに、それでも尚気丈に振る舞う。最近アンナが目覚めているときに姿を見せない母・アシュリーも、それを見るのが耐えられないのだろう。別れを惜しみながら、同時に苦しみから解放してあげたいと願う。互いに優しさを選び続けたまま、結局は後悔してしまう。いつでも人の最期とはそうだった。せめてこの呪われた身でも、それを緩和できたならと生きてきたけれど、幾度も辛酸を舐め続けていつしか無駄と思い込んでいた。アンナ…優しさを隠しきれない君を見て以前の気持ちを思い出した私は、今何よりも君を救いたくてならない。この身で出来る事など限られているけれど…

 

「先生?いかがしましたの?」

アンナが細く美しい髪を揺らしてこちらを見る。碧い瞳にダルクが映る、吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳。

「……いや、何でもない。」

ダルクは何かを言いかけて、やはり思い直して口を閉ざした。言葉に人を救う力を宿せるなら、罪を被せることも同時にできよう。アンナを救うには真実を話さなければならない、しかし話して罪を背負わせようものなら元も子もない。話すことで罪をばらまいてしまうことを、ずっと恐れてきた。誰も聞いてはならない、知ってはならない。ダルクは自らの闇を言わないでいたのではなく、言えずにいたのだ。いくらその身に影を落とそうと、生来の優しさを捨てきれずに心を痛め続けてきた。いっそ心の奥の奥まで悪魔になれたなら、どんなにか楽だっただろう。

「…死別、か…」

ダルクは小さく映る墓地を見遣って呟いた。アンナはその白く美しい横顔を見つめる。

「人が最期に犯す優しい罪だ。」

そう言ったダルクの瞳が、いつもより少しだけ紅く見えた。

 

 

     

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