意識の混濁からアンナが目覚めると、外はすっかり夜の装いであった。いつの間にかアンナは自室のベッドに寝かされていて、太陽とはまた一味違う柔らかなランプの明かりで部屋は満たされていた。貧血による吐き気は大分治まり、今アンナにのしかかっているのはいつもの熱と気怠さだけ。だがそれもいつになっても慣れることはない。

「…バン・ダルク先生?」

アンナは静かな部屋に名を呼んだ。しかし返答はない、独りきりの沈黙の部屋。辺りを見渡してもなんら変わったものはない。部屋に飾られた花のただの花びら一枚でさえ。

「夢ではないのよね…」

アンナは自分に確かめるように呟いた。意識を日に何度も失うようでは、現実も夢に思われ、また夢も現実のように思われた。けれどあの冷たい肌の感触を確かに覚えている。何があろうと決して暖まることのなかった、あの感覚が夢であったはずはない。城の中のいずこかにいるのか、それとも他に帰る場所があったか。明日もまた来る…だろうか。この弱った体にも残っていた好奇心、それの向く先がダルクその人であった。

 

コンコン…

 

控えめに部屋の扉をノックして、音を立てないように慎重に使用人が入って来た。アンナはまだ起きたばかりでぼんやりしていてノックに返答することができず、また使用人も未だアンナが眠っているものだと思っていたらしい。不意に互いの目が合い、使用人は一瞬ドキリとして「申し訳ございません」と慌てて頭を下げた。

「お目覚めになっておいででしたか、お嬢様。お具合はいかがですか?」

「いつもと同じよ、良くも悪くも…」

アンナは未だ少し虚ろな意識のままで、力無く呟いた。虚空を見上げた瞳は、ただランプの明かりを跳ね返すだけ。何もかもが夢だったと思えるならば、いっそこの病気そのものが最初から夢であったら良かったのに。夏の盛りから今の今までずっと長い眠りについていて、未だ目覚めぬ夢の中。…それが現実だったらどんなに良いか、意識が戻るたびにアンナはそう思わざるを得なかった。

 

 

「…ダルク先生はお帰りになったの?」

ややあってアンナはベッドサイドを片付けている使用人に尋ねた。使用人は手元の小瓶をカタリと鳴らして振り返る。

「はい、奥様がお泊りになってはいかがかとおっしゃったのですが、先生は宿をとってあるから…と。明日またおいでになりますよ。」

「そう…良かった。」

彼が夢ではなくて。

「奥様がお喜びでした。バン・ダルク先生といらっしゃる時のお嬢様が楽しそうにしてらしたので。ご興味のわく方でしたか?」

「えぇ、とても。」

それが誰にとっても良いことだとは限らないけれど。アンナは母の心持ちを思って、目線を誰もいるはずもない暗い窓の向こうへと向けた。星が瞬くのは、そこに誰かの魂が宿るからなのかしら…?私がいつか星になったら、この城から一番よく見える位置で輝きたい。

「星が綺麗に見えますね。」

使用人はアンナの目線を追って、それを遮らないように静かに切り出した。

「明日もきっと晴れますよ。そうしたら……お嬢様?」

返答をしなかったアンナは、顔を窓に向けたまま再び眠りに入っていた。まるで今日の分の体力を全て使い切ってしまったかのように、スースー…と静かな寝息を立てる。使用人はそれを見て、エンジ色のカーテンを極力音を立てないように閉ざし、アンナの肩まで毛布をかけると、ランプの明かりを最小限まで小さくして部屋を後にした。

 

 

     

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