暫く外出していた二人の狛犬も戻り、双姫神社はいつもと変わらない穏やかな午後だった。
皐月に入って陽気は益々暖かく、湿気を伴わない爽やかな風が実に心地良い。昴も午前中はひこばえを傍らに、拝殿でしゅくしゅくと雑務をこなしていたが、あまりに気持ちのいい空に何をするでもなく境内へと出ていた。双姫神社には相変わらず参拝客など皆無で、すぐ脇を走っている国道からの騒音も聞こえては来ない。まるで世俗から切り離されたような空間、もはやこの双姫神社が他の人の目に見えているのかすら疑いたくなる。
「昴くん!」
そこへそんな疑念を吹き飛ばすように、明るい男性の声が響いた。年齢は昴より少し上、茶色い短髪に大きなガタイがひどく対象的に映る。そして彼はそれに違わぬ性格をしていたのだった。
「…こんにちは、友泰さん。」
「なに?!何で今一瞬嫌そうな顔したの?!」
「してませんよ。それより今日は何を持ち込んだんですか?」
「やだなぁ…そうやっていつも俺が厄介事を持ってくるみたいにさ。」
「そうじゃなかった事があったとでも?」
「はっはっは……いぃや…」
友泰と呼ばれた男性はおどけたふりをして笑うと途端に声のトーンを下げて、「ごめん…昴くん」と小さく呟いた。彼は自覚の薄い霊能力者のような性質を持っていて、昴以外には友泰だけが双姫神社の面々と面識があるのだった。しかしそれが災いしてか、更にいうなら自覚の薄いことが一種の油断となって付け込まれるのだろう。何かというととても厄介な、しかも昴にしか解決できないような事を抱え込んで、その度に双姫神社を訪れる日々だったのだ。
「少しは自覚を持ってください、友泰さん。そう何度も付け込まれては、あなたの体がもちませんよ。」
「うーん…そうは言っても、どうやったら捕まらずに済むのか、分からないんだよね。」
「まったく…お人よし過ぎなんです、友泰さんは。とりあえず入って下さい。そんなものをいつまでも持っていたら、余計に狙われますよ。」
昴はそう言って友泰を拝殿へと促した。
「またお主か、友泰。」
足を踏み入れた途端に、ひこばえのかわいらしい声が響く。拝殿の欄間に腰掛けて、足を少しパタパタと揺らしながら、ひこばえはこちらを見下ろしている。
「やぁ、ひこちゃん。」
「懲りない男じゃ。どうせならもっと割の良いものを持って来ぬか。おかげで昴はいつも骨折り損じゃぞ。」
「え…俺ってそんなに厄介…?」
ひこばえの言葉に友泰は怖ず怖ずと昴を見遣った。たとえ何度何を持ち込もうと、昴は“まったくお人よしだ”と注言するだけで、それが毎度どれだけ大変なのかは一言も漏らすことはなかったのだ。
「…おかげで蔵の中の物が増えるのだから、くたびれ儲けというわけでもないですよ。」
「蔵の中?…あぁ、いつもあそこにしまってたのか。でも増えると何かあるというのかい?」
友泰がそう問い返すと、昴はまた流し目に彼を見遣ってニコリと意味深な笑みを浮かべただけだった。
「さ、何を持ってきたんです?」
昴は一瞬の沈黙の後、友泰に座るよう促した。ひこばえは相変わらず上方から見下ろしている。何か不可思議に思いながらも拝殿に座り込むと、友泰はハンカチに包んだ小さなものを取り出した。
「…これなんだ。」
解かれた中にあったのは、一本の古いかんざし。朱塗りのところを見ると、出所は大地主の旧家か、嫁入り道具のように見受けられた。
「……これをどこで?」
昴は何かを見咎めて、僅かに眉間にシワを寄せて尋ねた。
「地元の骨董屋でさ、俺こんなんだし、いつもは入ったりしないんだけど、気がついたらそれを会計してたんだ。それでまた“あぁ…やっちゃったぁ…”って。」
「これを持っていて、何か不審な事はありませんでした?」
「不審なこと?うーん…そういえば水が変な色に見えた…かな?あ、でもそれはただの見間違いかもしれないけど…」
友泰がたどたどしくそう言う途中で、ひこばえはふわりと降りてきた。そしてかんざしをじっと見つめた。昴と同じような眼差し、睨むほどに強い目線。
「何かは分からんが、早いとこ手を打った方が良いのぅ、昴。」
「…そうだね。」
「そ、そんな…大丈夫かい?昴くん…」
「何にしても、入ってみないと分かりません。友泰さん、今ちょっとやってみますから、拝殿の外に出ていて下さい。」
「う、うん…」
昴に言われるがまま、友泰は拝殿を出て境内に下りた。薄い障子一枚で仕切られた双姫神社の中と外。それだけなのに、友泰には大分遠いものにすら感じられた。いつもなら物を預かるだけ預かって、友泰の帰った後にひこばえの力を借りていた。それが今日ばかりは、友泰を外に出してすぐにときたものだから、友泰は境内の中心に立ってただ拝殿を見つめるばかりであった。
「準備はいいかえ?昴。」
ふーっと長めに息を吐いてから、昴はそれに頷いた。
「気をつけるのだぞ。すこぶる良い物ではない。」
「うん、分かってる。」
「では参るぞ…』
そしてまた遠退いていくひこばえの声、双姫神社の拝殿の中が霞に見えなくなっていく。
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