私は本当に祥助様との結婚を心待ちにしていたのです。そうすることが父や松江叔母様のお顔を立てることでもありましたし、何より私に誠実であろうとする祥助様のお心が大変に嬉しかったのです。お会いするたびに顔を真っ赤にして俯いて、口ごもってしまう私を、少しも疎むことなく支えてくださる、そんな私でも良いのだと…そう仰った祥助様の優しさが身に染みたのでした。
本来なら先日の伊集院家でのやり取りも、喜ぶべきはずのものだったのでしょう。御母堂様のお言葉に真正面から対峙してくださっていたのですから、私が一切合財に絶望する必要はないと分かってはいたのです。それでも刃は未だ抜けぬまま、私は祥助様にお会いすることに怯えておりました。祥助様は大変にお優しい方ですから、私があの庭で全てを聞いたのだとお知りになったら、きっとご自分を責めてしまうと思ったのです。私はそんな祥助様のお顔を拝見するのが、とても怖くて仕方がありませんでした。いつかお越しになることを想像するだけで、胸が張り裂けるような思いだったのです。そしてそう思ったまま、私はまた庭で佇むほかなかったのでした。
そう…今までと同じ、何も変わらない。あの時見合いの相手が自分だと言い出せなかった私と、何一つ違ってはいないのです。気遣う心は、実際に気遣うことができてこそ意味のあるもの。いくら臆病な私が携えたところで宝の持ち腐れに過ぎないと、そう思わざるを得ませんでした。けれど…
椿は綺麗に咲きますよ
そうおっしゃった良太郎さんのお言葉が、今の私を支えてくださっていました。そして思い出すたびに疼くこの心にも、十分に気がついておりました。それは祥助様を想う時と同じ痛みでありながら、ずっと落ち着き払っていて心地よいもの。暖かくて柔和な陽の光。あの帰り道でのことを思うと気まずいものもあるというのに、私はむしろ良太郎さんにはお会いしたい気持ちでいっぱいでした。良太郎さんも大変にお優しい方、あの帰り道でのことでお気になさることもございましょう。ですから私の気持ちは何とか落ち着きましたから大丈夫です≠ニ、一言御礼を申し上げたかったのです。そうしたならば、あぁ…良太郎さんはどんな微笑みをお浮かべになることでしょうか。私は何度も想像してみたのです。
月日がまた少し経って、世間は桜がちらほらと咲き始めた弥生の終わりとなりました。私はあの帰り道で「桜が羨ましい」と呟いたことを思い返して、桜を見上げておりました。小さな花が大樹にたくさん咲き誇っています。それぞれが皆、違う思いで咲いてくる花だというのなら、美しくあろうと思って咲く花と、あるがままに自由に咲く花とでは、一体どちらが栄えるのでしょうか。…どちらが幸せなのでしょうか。そんな答えは出ないまま、私は一人悶々としていたのです。
「…その答えはどちらも≠カゃないですかね。」
七枝屋の弟子として再び藤宮を訪れていた良太郎さんは、私の問いにあまりにも簡単にそうお答えになりました。
「どちらも=cですか?私はてっきり、良太郎さんは後者をお選びになるのだと思いました。」
「ははは、そうですね。どちらかといえば、そんな花の方が好きですけど。」
良太郎さんは剪定の手を緩めながら、まるで子供のように朗らかに笑いました。段々と暖かくなる日和、腕まくりをして作業する良太郎さんの背中を、私はただ見つめておりました。単身痩躯の小柄な体も、木々を見つめるその時には大きなものに感じます。良太郎さんにとって庭の草花は、わが子のようであって、恋人のようであって、両親のようであって…。だからこそ、私は植木職人としての良太郎さんの眼差しを大変好んだものだったのです。
良太郎さんはあえてあの時のことを、一言だに口にはしませんでした。折よく数日会わなかったことで、落ち着いて互いを見ることができたからなのでしょう。「あの時の椿はどうなりましたか」、そんな問い掛けでさりげなく話をするつもりでいたのですか、私はそんな良太郎さんのお気遣いに甘えて、何もなかったかのように振る舞いました。本当は少し痛みを思い出してでも、御礼を申し上げなければならないと感じていながら。
「何故どちらも綺麗とお思いなんですの?」
私はゆっくりとした口調で尋ね返しました。瞳は未だ背中の「七」の文字を見つめたまま、次に切る枝を見極めている良太郎さんの邪魔にならないようにと。良太郎さんはまた小さく唸って、パチンと枝を一本切り落とします。
「そうですね…。美しくありたいと思うのも、あるがままにと思うのも、花の自由だからですかね。自由に伸び伸びとした植生の花ほど、美しいものはありやせん。勿論それには少しの犠牲も必要ですけど。」
そしてまた一本、枝が木から落ちました。少しの犠牲…私が払わなければならない犠牲とはどのようなものなのでしょう。せめて誰の心も傷つけないものであれば良いのですが。