それからさらに数日後、私が女学校から帰りますと、庭には冬の間中幹に巻かれていた筵(むしろ)があちらこちらに剥いでありました。藤宮の庭に関することは、全て七枝屋の統べるところでしたから、私は良太郎さんが再びお出でになっているのだとすぐに分かって、玄関へは向かわずに筵を辿るようにして庭を歩いて参りました。何故そんなにも良太郎さんにお会いしようと思ったのか、この時は考えもしませんでしたし、そうすることがごく自然なことであるようにも思われました。きっとそれは良太郎さんが、誰の心をも和ませてくださるからなのでしょう。女学校で気の置けない学友と仲良く話してはおりましたが、祥助様とのことがあってか、それもこの頃は張り詰めるような思いで、そんな私の心を解き放ってくださるのは良太郎さん唯一人なのだときっと分かっていたのです。足は自然と良太郎さんの元へと急ぎます。

 

 

 

「こんにちは、良太郎さん。」

 

私は松の冬支度を解いている良太郎さんを見つけて、逸る心でご挨拶申し上げました。良太郎は走り寄る私にいつものように屈託なく微笑んで、「こんにちは、椿お嬢さん」と返して下さいます。

 

「今日はお一人でいらしましたの?」

 

近くに七枝屋の老統領の姿がないことに、辺りを見渡しながら尋ねます。

 

「へぇ、親方は苗木を仕入に行きましたんで。春にはこの庭に新しい花が増えますよ。」

 

「まぁ、嬉しいわ。」

 

私が笑うと良太郎さんもまたにっこりと微笑みました。相変わらず無造作なざんぎり頭が風に揺れて、柔らかな陽射しに笑みが映えます。無邪気≠ニいう言葉が幼子にしか当て嵌まらないという概念は、もはや虚言のように思われてなりません。誰がこの微笑みに邪気なるものを感じることがありましょうか。その柔和なお心と微笑みに、私の胸はまたとくんっと打つのでした。

 

 

 

 

「…じき桜の季節ですね。」

 

良太郎さんは近くの桜の木の枝先が、僅かに膨らんだ蕾で薄く紅色がかっているのを見て呟きました。

 

「この庭は本当に親方の言っていた通りでした。」

 

「あら、なんとおっしゃっいましたの?」

 

私がそう尋ねますと、良太郎さんはますます嬉しそうに微笑むのです。

 

「藤宮家の庭の花は、そりゃあ見事に咲くのだと。春になったらどこの庭園よりも見物だと言うのです。だけども僕は、他のどの花にも先んじて寒空の下に咲いた梅の花を見た時点で、庭の全てを知った思いでした。…もう散っちゃいましたけどね。」

 

そうしてまたふふふ≠ニ良太郎さんが笑いましたので、私もそれにつられるように、思わず顔を綻ばせました。何とも心地よい時間…花を見上げた時と同じように、心の蟠りが姿を消していきます。けれど同時に先日の祥助様のお言葉が頭をよぎりました。「梅の花は散ってしまったけれど、来年咲くのが楽しみになった。花が散るものならば末永くあるよう守りたい」…私にはそのお言葉が、祥助様の結婚へのご意志であるように感じられました。ですから私は祥助様に「はい」と頷いて、全てを委ねたいと思ったのです。心も、この生涯さえも。

 

 

 

 

 

 

では良太郎さんは?日頃から草花に接している良太郎さんも、同じようにおっしゃるのでしょうか?

 

 

 

私は意地悪にも良太郎さんのお心をも知りたくなって、尋ねてみることにしたのです。

 

「色は匂えど、散りぬるを…。この世に常世の花があったなら、さぞかし美しいのでしょうね。良太郎さんもこの梅がそうであったらと思いまして?」

 

良太郎さんは私の言葉にまた一枚筵を剥ぎ取ってそれを地に置くと、「うーん…」と少し考え込むように梅の木を仰ぎ見ました。

 

「美しく 咲けども花の むじょうにも散るらむ=c僕の父がそう言ってました。尤もそれは、早世した母のことを言ったんですけどね。」

 

「…それでは…お父様は大変に悲しまれたのでしょうね。」

 

予期せぬ良太郎さんの返答に若干戸惑いつつも、私には良太郎さんのお父様がそう呟いたお姿が見えたような気が致しました。決して涙は見せず、しかしその丸めた背中に

哀愁を漂わせ、一人位牌の前で酒を酌み交わしている…そんな様子が、まるで実際に見ていたかのように浮かびました。そう…それは私の父も同じだったのです。実母の亡くなった時の記憶と言えば、そんな父の姿が強く残っているのでした。私は当時のことを思い起こす度に、ひどく心が締め付けられたのです。いっそ父が私やヨネと同様に、涙を流していたのならどんなにか良かったか。幼いころの朧気な記憶の中の父の背中が、長く私の中で悲しさを表す象徴でした。けれど良太郎さんは私のその想像とは裏腹に、尚も微笑んで言葉を続けるのです。

 

「そう思うでしょう?でも父はそう詠んだ後、だからこそ大変に美しかった≠ニ言ったんです。母も懸命に生きていましたから、その分だけ死さえも美しく思わせたんでしょうね。この梅も他の花も同じですよ。人の一存で縛り付けちゃ可哀相です。花は何かに優ろうとするでもなく、人に見られるためでもなく、ただ花の気の向くままに懸命に、綺麗に咲いては散るんでさ。」

 

「花の…気の赴くままに…?」

 

私は良太郎さんのお言葉にそれ以上何も返すことができず、ただ唖然と見つめるばかりでした。しかし良太郎さんはといえば、そんな私ではなく梅の木に目線を合わせたまま微笑んでいらっしゃるのです。春風がその茶色味がかった奔放な髪を揺らします。

 

 

 

 

 

「色は匂えど、散りぬるを、我が世誰そ、常ならむ。それを哀れむ人もいますけど…」

 

良太郎さんはそう呟きながら、ゆっくりと目線を私に合わせて言葉を続けました。

 

「常ならんからこそ、自由なんじゃないですか?僕はそんな花が大好きなんです。」

 

そうしてまたにっこりと微笑む良太郎さん。私はその笑みに大きく胸が高鳴ったのを感じました。それこそ祥助様とお会いしている時と同じほどに。けれど不思議なのは、その心が高鳴っているにも拘わらず、火のようにいきり立つことがなかったことでした。私の心はまるで静かな泉のようで、涌き水のごとく嬉しい気持ちがこんこんと湧き上がってくるのです。

 

「また綺麗に咲きますよ。」

 

良太郎さんはまるで我が子を見つめるように、もう一度梅の木を見上げました。そのお言葉はきっと、私が散り切った梅の花を嘆いていると思ってのことなのでしょう。けれど私はそんな良太郎さんの優しさに気がついても、御礼の言葉だに申し上げることができませんでした。

 

 

 

 

皆誰しも花が変わらずあるように願うものだと、そう思っておりました。祥助様もそれを願いながら、せめて守りたい≠ニおっしゃったことが大変に新鮮に感じられて、私の心に焼き付いていたのです。或はその言葉の裏の真意に、一人舞い上がっていたのかもしれません。けれど良太郎さんは散ることも花の自由だと、だからこそ美しいものがあるのだとおっしゃったのです。

 

 

 

相反するお二人の見解のどちらが正しいのか、私にはまったく分かりませんでした。いえ、一方に正しさを見ようとしたことが、そもそもの間違いでもあったのでしょう。花の散るのを守りたいと言った祥助様と、それすらも許容する良太郎さん。対する私はと言えば、いずれ散るものならば、花開く直前の頃が一番胸躍るものと思っていました。いつまでも花が咲かないままの方が、ずっとそんな心持でいられるのにと思っていたのです。或は花の一生に、自分を重ねていたのかもしれません。蕾の頃は咲くことを夢見ていられるのに、咲いてしまえば終わりだなんて考えて、現状から一歩踏み出すことを恐れていたのです。何も変わらない毎日を嘆いている一方で。けれど…

 

 

「来年の花の咲くのが楽しみになりましたわ。」

 

良太郎さんのお考えにふっと心が楽になるのを感じて、私は心の底から思ったことを思わず口にいたしました。来年の梅の花を見るときはきっと今年とは違っている…そう思うと、開花を心待ちにしないわけがなかったのです。良太郎は私の言葉に、それはそれは満足そうに笑みを浮かべて、ただ力強く頷いて下さったのでした。

 

 

 

    

 

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