「そういえばヨネ、先程…」

 

「椿さん!」

 

私は長い廊下の先の襖を開けて顔を覗かせている女性の声に、物言う口を止めました。凛としたお声は私を叱責するものに他ならず、少しつり目でほっそりとした印象的な顔立ちで、こちらを見ておいでです。

 

「よくまぁ…大きなお声でお喋りの過ぎますこと。慎みなさいな。」

 

「…はい、申し訳ありません、お継母様。」

 

継母(はは)は私の言葉が終わるか終わらないかというところで、ぴしゃりと襖を閉じてしまいました。継母は名を総子(もとこ)といって、父の後妻でした。彼女は実母が存命であった頃からの父の愛妾で、実母の亡くなった折そのまま藤宮に迎え入れられたのでした。父は総子さんが、幼かった私の母代わりになればと思う節もあったのでしょうが、まこと血縁あらざる事の大きなこと、総子さんの言葉に母としての愛を感じることはありませんでした。私は小さくため息をつきます。

 

 

 

 

 「お気になさってはなりませんよ、椿お嬢様。」

 

ヨネはひそやかに私に囁きます。私はそれに微かに微笑み返しましたが、ヨネはこのような時、決まってこう申すのです。

 

「あれは名前に花を持たぬ故、花の気持ちが分からんのです。それなのに百合から生まれた椿の事を、どうして分かりましょうか?」

 

「そう…ね。」

 

私の実母は名を百合江といいました。さる華族の長女として生まれ育ち、十五の折に藤宮家との政略を踏まえた上で嫁いで来たのです。けれど私が幼かった頃のある冬の日に、小さな風邪をこじらせて、あっという間に亡くなってしまったのです。ヨネは元々藤宮家の女中ではなく、母の実家に仕える者でしたから、母を小さな頃から知り、またその結婚のいきさつもよく知っておりました。だからこそ父の真意を知ってはいても後妻の総子さんが疎ましいことこの上なく、実母亡き後を我が物顔でいることが大変に許しがたいのです。けれど…

 

「…けれど、お継母様もお可哀相な方だと思うのよ。」

 

藤宮家は一種の習わしのように、名前に花や植物の名を持つものを迎え入れたり、生まれた子に名付けることが常でありました。亡くなった祖父は柳吉郎(りゅうきちろう)、同じく祖母は竹、父は蓮太郎といった上に、前妻は百合江、継子の兄妹は蘭太郎と椿、本来藤宮家とは関わりのないはずの女中でさえ、奇しくも名を米(ヨネ)と申せば、一人それから外れている疎外感は大変なものでしょう。総子さんはご自分の事を決して明らかにすることはありませんでしたが、その生まれはどこか小さな農村だろうとヨネは言うのです。両親に間引きされ、女郎屋に入れられたところを父に見初められて、愛妾になったのだろう…他に帰る場所などとうにないのだろうと。祖父母は父が華族出身の母と婚姻関係であることが、藤宮財閥の将来を左右するとお考えでしたから、総子さんには普段から辛く当たっていたのでしょう。二人の命日が近づく度に、譫言のように祖父母の位牌に許しを乞い続ける継母の姿は、幼心に胸を締め付けるものでございました。そう…それを幾度となく見ていた私は知っていたのです。いくら私に厳しくなさってはいても、継母が身を斬るように必死になって、愛し愛されようとしていたことに。そのように一途なお心に、父も見初めたのでしょう。

 

「お嬢様はお優しゅうございますな。」

 

「いいえ…」

 

いいえ、私はただの世間知らずに過ぎません。生まれた時には家は既に財閥で、私は所謂箱入り娘でございました。何をせずとも祖父母や両親に愛され、ヨネが世話をしてくれていました。嫌と思うことが何一つなかったということは、自然とすべてを愛していたことに他なりません。そうやって何不自由なく育ち、継母の味わった苦心や努力を何一つ経験することなどありませんでした。継母からしてみれば私など、いくつになっても赤子同然なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 不意にボーンボーン…と大時計の鐘が三つ鳴りました。

 

「…本日はお琴の時間にございますな。もうじき先生がお見えになりましょう。」

 

「そうね。」

 

私は少し早足で自室に向かいました。木扉に据えられた真鍮の取っ手に手をかけます。

 

「着替えたらすぐに参ります。先生がお見えになったら、いつもの部屋にお通しして。」

 

「畏まりました、お嬢様。」

 

ヨネはまた深々と頭を下げました。彼女は私が部屋に入るまで頭を上げぬことを知っていましたから、私はお願いね≠ニ言い足して扉を閉めました。

 

 

 

 

こうして毎日毎日、私は何かの習い事。華道・茶道・箏道・日本舞踊…そうして様々な道を嗜む事が、私の義務でございました。けれどいつまでこうして過ごすことでしょう。私は今年で十六、母・百合江が藤宮に嫁いできた齢を過ぎてしまいました。父の庇護の下、退屈と申しては罰が当たりますが、何か物足りない心持ちであったのです。例えば継母のように、苦しみながらも誰かを一途に想うことにすら夢を見ていました。

 

 

 

毎年同じ時期に花は咲き、散っていきます。そして冬を越し、また同じように巡るのです。私も同じ輪廻の中におるのでしょうか。私は広い部屋で一人ため息をつきました。同じ花なら思いを全て種に託して、どこか知らない庭へ参りたいものです。それが叶わぬのなら、違う種の舞い込むことを。そうして何か一つでも心躍ることを待ち望む毎日だったのです。

 

そんな梅の盛る頃、安寧な日々のことでございました。

 

 


 

 

 

 

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