轟音とともに時間の感覚が戻る。竜はあたしに触れる直前に方向を変えて、つんのめるように砂漠に倒れこんでいた。グッ…グッ…と苦しそうな短い声を繰り返し、その場から動かない。必死で衝動を抑えるように小刻みに震えている。カルラは不審そうにしながらもニロを止めた。尤も2人を乗せて疾走していたニロはそれ以上走ることが出来ないほど疲労していたのだけど…。

 

 あたしはニロから滑り降りた。そして震えて動かない竜にそっと近づいた。四方から「近寄るな」「危険だ、下がれ」といった声が聞こえてくるけれども、それには従わなかった。だってこんなに苦しそうな竜が…ハイゼが目の前にいるのに。

「ハイゼ…?」

あたしは指先でそっと竜の体に触れた。しかしすぐにその手を引っ込めた。灼熱の竜の皮膚に生身で触れられるはずがない。あたしは一定の距離を保ったまま竜の前面へと歩を進めた。竜は突っ伏したように屈みこみ、尚も苦しそうな声をあげている。

「ハイゼ…しっかりして。大丈夫…?」

あたしの声は震えていた。頭ではこれがハイゼなのだと認識していても、ついさっきまで牙を剥いていた猛獣に体が自然と震えだす。竜は顔を上げない、咆哮もしない。攻撃的な空気を既に失っている。この竜にはまだ二面性があるんだ…可能性がある。

 

 

 不意に叩きつけるようなダァンッ…ダァンッ…という音が繰り返され砂埃が舞う。竜が苦しさに耐えかねて尾を何度も何度も強く砂に打ち付けていた。体も微かな震えから大きな揺れへと変化していた。あたしは無意識に竜の背面へと後退りした。しかしそのせいで竜がいきなりはためかせた翼に体を持ち上げられ、数メートル先に飛ばされてしまった。

「ゲホ…ゲホッ!!」

みぞおちに翼が食い込んだのと、飛ばされて砂が口に入ったのとであたしは咳き込んだ。けれど間髪いれずに起き上がって竜を見ると、竜は体を持ち上げより一層激しく暴れていた、短めの咆哮を何度も繰り返しながら。誰もそんな竜には近寄れない。それ以前に暴れて巻き起こる強風が人々をその場から動かそうとさせない。

あたしは竜から目を逸らさなかった。もし少しでも…ほんの一瞬でもあの人を垣間見れるならどんなにいいだろう…。竜はそんなあたしの視線に気がついたのか、朱色の瞳をこちらに向けた。物悲しい目…胸を切なくさせる。そして口が微かに動いた…

 

 

ミツキ…

 

 

「ハイゼ!!!」

あたしは瞬間的に立ち上がった。強風に立ち向かって何とか前へ進んだ。砂が巻き上げられて小さな針のようにあたしの体に刺さるような痛みを与える。竜はまさに飛び立とうとしていた。今までとは一転して、まるであたしから逃げるように…。

「待って…待って!!!」

あたしはあらん限りの声で叫んだ。

「いるんでしょう?!…心が…ハイゼの心があるんでしょう?!お願い…完全な竜なんかにならないで!!!」

竜はあたしの声を無視するように翼をより強くはためかせた。徐々に竜の体が地面から離れていく。物凄い風に目を開けていられない…これ以上前に進むことも出来ない。でも届けたいの…少しでも声を。

「ハイゼ…もういいの、あたしもう…」

風と砂が言葉を遮る。でも聞いて、あたしの声を。

「あたしもう元の世界に帰れなくたっていいの!だからお願い…!!元の姿に戻ってーーー…!!!!」

あたしはこれほどの大声は今まで出したことがなかったと思う。でも…それでも竜には届かなかった…竜は一瞬のうちに高度を上げ、小さな点となってから砂漠の真ん中に向けて飛んでいってしまった。後には潰れたオアシスと同じような砂の起伏とあたしたちだけが残された。

 

 

 あたしは途端に力が抜けてしまった。放心したように座り込み、そして悔しくて…悲しくて砂に突っ伏した。顔を誰にも見られないようにして、強く歯を食いしばって涙を耐えた。泣かない…絶対泣かない。もしこの涙をこらえる喉の痛みにも何かの意味があるのなら、可能性よ、どうかまだ消えないでいて…。

「ミツキさん!!」

「ミツキ!」

「お嬢!大丈夫か!?」

次々と光姫の元へ駆け寄ってくる。突っ伏したまま顔を上げない光姫が泣いているのだと思って、誰かが優しく背中をさすってくれていた。この手の大きさ…きっと料理長だ…。でも…あたしは泣いてなんかいなかった。あたしにはこんなにも支えてくれる人たちがいるんだ。ここで一人でメソメソしてたら皆に悪い。ハイゼがこんなことになって辛いのはあたしだけじゃないんだから。

「…ごめんなさい。もう大丈夫。」

光姫は上半身を起こして起き上がった。誰の目にも涙をこらえているのが分かる表情で。

「行きましょう、リゼットさんのところに。あたし…一秒でも早くハイゼを助けたい。」

光姫の手は堅く決意に握られていた。

 

あたしたちはまだ真実に続く道の入り口に立っているだけなんだ。入り口に立てていることを幸いに思わなくちゃ。入り口の必然は出口があること。この先に何があっても必ず辿りつけると信じていいのだから。

 

 

 

     

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