次の朝は日の出前から出発の準備に追われていた。ルベンズの荷物とともに数名がバザールに残るとして、それ以外の16人のルベンズのメンバーとサイフェルトが連れてきたカルラを含む7人の盗賊、そして光姫とオクルを加えた24人と1匹で南東の岩山を目指すことになった。日の光のない砂漠の朝はとても寒い。光姫はマントの下のオクルで何とか暖を取っていた。
「ミツキはあたしの後ろに乗りなよ。」
焦げ茶色のニロを引き連れながらカルラが囁いた。
「あ…うん。」
それまで何かを相談しているサイフェルトとバーディンを見ていたミツキはカルラの方に振り返った。
「リゼットさんの所までどれくらいなの?」
「さぁ…あたしも詳しい場所は知らないんだ。知ってるのはサイだけなのよ。南東の岩山までは昼過ぎには着くと思うけど、そこからどのくらい距離があるかによるわね。聞いてこようか?」
「ううん…いいや。昨日“夕方には着ける”って言ってたしね。」
「そうね。…さぁ乗って。もうすぐ出発みたい。」
カルラは辺りの様子にニロを座らせて光姫を促した。少し大きめのニロには二人用の鞍がつけられていて、光姫はその後ろに腰掛けた。この大所帯の中で女性はあたしとカルラだけ。一人同性がいるだけでだいぶ違う。アルフや料理長といても安心はするけど、やっぱり相手が同性なのとは訳が違う。カルラみたいに引っ張って行ってくれる人だと尚更、ね。だって同じ女の子なら抱きついても後ろめたくないもの。
あたしはハイゼの背にもそうしてきたようにカルラにももたれかかった。息をゆっくり吐いて一度止め、もう一度吸い込んだ息をぐっと飲み込んだ。大丈夫…リゼットさんに会えば何かが変わる。ここでは全てに意味があるのだから。
日が昇り、背後のバザールが陽炎の向こうにすら見えなくなり、一面は砂に囲まれていた。サイフェルトは太陽の位置と地図とを見ながら慎重に先頭を進んでいる。砂漠の真ん中ほど風は強くないけれど、遠くから独特な風鳴りがする。単なる砂の平地ではないんだ。この音の先にきっと岩山がある。今はどんなに目を凝らしても見えないけれど…。
「嘘だろ…。」
すぐ近くのサイフェルトが呟く。同時にバーディンさんやテオさんも息をのむ。カルラでさえ何かに驚いてニロを止めた。
「何かあったの?」
あたしはカルラの肩越しに前を覗き込んだ。そこには砂の起伏が出来ていた。風で出来たのとは違う、抉られたような何かで削られたような小刻みで深い起伏。嫌な予感がする…体がザワザワと落ち着かない。
「ここはね…ここには小さいオアシスがあったの。でも潰されてる…。」
カルラが微かに震えるような声で呟いた。オアシスが潰れるという事がどれだけ大変なことなのか、あたしはよく知らない。でもルベンズや盗賊たちの反応は尋常じゃない。何か大きな力が働かないとあり得ないんだ、こんなこと。それにこの胸騒ぎ…まさか…まさかこれって…
「マズいな…。起伏部分がまだ新しい。」
テオレルが足踏みするニロを落ち着かせながら口にした。目線は起伏から決して逸らさない。睨みつけるように、動揺している空気が伝わってくる。
あたしははっとして空を見上げた。いつだったかと同じ、何かあるわけでも気付いたわけでもなく、とにかく自然に見上げていた。その先に…やがて雲のない空に点が現れた。茶色い点…あぁ…涙が出そう。ハイゼ…そんな姿のあなたを見るのが怖いのか、それともそれでも嬉しいのか、心が安堵と不安 と正反対の感情で満たされていく。
「ハイゼ…」
背後で小さく聞こえた声にカルラが振り返り、そして上空のそれに気がついた。もう翼の形がはっきり分かるところまで来ている。
「来てる!竜よ!!」
カルラはその言葉のすぐ後に指笛を鳴らした。全員がその音に危険を察知し、各々が散らばるように駆け出した。カルラも手綱を強く持ちニロの腹を強めに蹴って走らせた。急に走り出したニロに瞬間的に体が遅れたけれど、何とかバランスを保ってあたしはカルラに掴まった。不規則なニロの足並みはタイミングが取りづらい…お尻が痛いけど落ちるよりはマシ…我慢しなくちゃ。
やがて地鳴りがして地面とともに大気も揺れた。走るニロの上から振り返ると、今まさに竜が地面に降り立ったところだった。尾をしならせ、翼をばたつかせて、辺りを見渡すように首を動かしていた。飴色のたてがみが見える…それにオレンジの混ざる瞳。ハイゼ…もし駆け寄ってあなたを抱きしめたら元に戻るんじゃないかって考えを、どうしたら拭い去れると思う?あたしは会いたいの…今はただそれだけ…。
「ハイゼ…!」
あたしは小さく微かな希望を添えて名を口にした。後ろを振り返っているあたしと竜の目がふと合う。遠くあたしを映す瞳…悲しい…寂しいのはあたしだけではないの?
…だけどそんな思いはすぐに覆された。竜は体の芯まで響くような咆哮をすると、その目を攻撃的な色に染めてカルラとあたしの乗るニロめがけて這いつくばって追いかけてきた。体を大きく左右に振り、物凄い速さでこちらに向かってくる。“もしかしたらあたしに会いに…”なんて考えを持つことはもはやできない。今あたしたちを追いかけているのは完全な竜…怒りと激しい憎しみを抱えているのが分かる。あたしを忘れてしまったの?他人行儀な竜の姿で今まで見せた事のない顔をしている。
「…んであたしらを追ってくるのよ!?」
カルラが憎々しげな声を上げる。低姿勢を保ってニロを全速力で走らせていても竜には敵わない。どんどん双方の距離が縮まっていく。竜の大きく開けた口から鋭い牙がのぞき、灼熱の吐息が強く吹きつける。ニロはひどく動揺し、全速のまま蛇行を繰り返した。その分のタイムロスが大きく響く…、竜がすぐ後ろに迫ってきている…!止めて、ハイゼ!あなたにそんな事させたくない…!!
「止めるんだ!御頭!!」
不意に並走してきていたテオレルが剣を抜き、出来うる限りの力を込めて竜の顔の側面に振り下ろした。しかしそれで傷つくような竜の皮膚ではない。逆に剣は鋼鉄の皮膚に弾かれて、テオレルはその反動で二ロごと倒されてしまった。自らの乗るニロの走るスピードでテオレルの姿はすぐに見えなくなり無事を確認することは出来なかったが、幸いだったのは少なからず振り下ろした剣の効果があったことで、竜が立ち止まったことだった。
竜は顔を振り、剣の当たった部分を気にしていた。目を瞬かせるような仕草を繰り返しているようにも見える。もしかして…意識を取り戻した…の?
しかし残念なことにそう感じたのはただの思い過ごしだった…。竜はまたしても光姫の方を睨みつけると、翼をはためかせて今度は低空飛行で近づいてきた。何としても光姫を捕らえる…そんな考えが読み取れる。地を這うよりもずっと早い。カルラが一度緩めたニロの速度を再び上げる間もなく、竜は2人に追いついてしまった。あたしもカルラも息をのむ。
本当に一瞬の出来事だった。瞬きの次の瞬間には竜が目の前にいたのだから。鋭い牙が目前に見える…近づいてくる。まるでスローモーションの中にいるみたい。竜は確実にあたしを狙っている…そして間違いなくあたしを捉えることができる…この距離なら。…逃げられない、もう…。だけどこんな時なのに怖いとも悲しいとも違う涙がこみ上げてくる。恐怖を紛らわすための涙か…目の前が霞む。でもそうじゃない。ハイゼ…ハイゼ…お願い、気がついて…!
「ハイゼーーーー!!!!」
あたしは衝動的に名を叫んだ。さらに時間が止まって感じる。竜を目前にして鼓動が聞こえた。あたしのじゃない…耳元でよく聞いた愛しい鼓動。あなたが…いるの?