あたしは背後から射している光に向き直った。黒く暗い靄の中で灯っていた光は、あたしがハイゼと言葉を交わしていた間にどんどんと大きくなり、やがて長方形へと姿を変えていった。竜の力が閉ざされていた道をこじ開けてくれたのかな…?四角い光はあたしの背丈を越えたところで成長を止めた。
それはあたしがずっと求めていたはずだったもの…高校の旧校舎、入るときとは逆に史書部屋から図書室に出る扉。元の世界に続く…行けばもうここには戻れない。扉の意味は…決別。
あたしは一度軽く目を瞑って小さな深呼吸をすると、一歩を踏み出した。その足が再び地に付いたとき、血液が逆流したかのような痺れが走ったのを感じた。たったの一歩だったはずなのに、随分扉が近づいたようにも思える。竜の咆哮は巻き上げる風の音と混ざり合って、いつしか歌のようなものに変わっていた。穏やかでいながら、どこか不気味ささえ感じる歌声。荘厳とはきっとこういう事をいうんだわ。
靄の向こうは既に見えなくなってしまった。こっちの世界とも元の世界とも隔絶された、世界の狭間にあたしはいる。あんなに黒かった靄は扉の光を受けて、さながら朝日に染まる雲の上。靄があたしの周りを囲っていたはずだったのに、気が付けばあたしは天地の区別もつかないほどの広い空間に立っていた。足元も…もう砂ではない。もしも空を飛べたら、これと同じ感覚を味わえるかもしれない。そう思えるほど透き通った空間だった。
…これが本当のあなたなの?
あたしは竜に囁きかけた。けれど何も返っては来ない。やっぱり…結局竜は竜。話なんて出来ないんだ…そう思った。
…チガウヨ。
光姫は不意に聞こえてきた声に驚き、辺りを見回した。どこまでも何も見えない空間。誰がいるというの?
…コレハホントウノ…
「誰…誰なの?!」
しかしそれはあたしの問いには答えない。
キミダヨ。
「え?……きゃっ!!」
あたしは最後の言葉の意味を噛み砕くことができなかった。光の扉がいきなり迫ってきて、あたしは光に飲み込まれてしまった。何もかもが強い光に真っ白く染まる…何も見えない。あたしはその場から微動だにしていないのに、何故かすごい勢いで動いている感じがしていた。あまりの眩しさに目を開けていられない。けれど依然かなりのスピードで動いているのは分かる。それが自分なのか周りなのかは判断が付かないけれど。
光の扉に飲まれた瞬間、あたしの周りからは飴色の気配が消えてしまった。あの世界はもう遠く離れて、あたしの後ろかそれとも前か、それすらも分からない。体中が暖かくなって痛みが引いていくのを感じる。それが逆にあたしからあの世界の何もかもを奪い去っていくようで居た堪れなかった。傷が癒えない方がいい時だってあるのよ。確かにあの血だらけのままで元の世界に帰るわけにはいかなかったけれど、矛盾している事が時に正しく思えたり受け入れられたりするのは、人の心だからこそなのね。忘れた方がいい事を忘れたくないと思うことも、一緒にいたいのに帰る決意をすることも。
ハイゼ…あたし元の世界に帰ったら恋の出来ない女になるわ。全てを知って、あなた以外の人を選べるわけがないでしょう?あたしはただこの想いを来世に持ち越すだけ。
それを絶対に忘れないから…今改めて言うわ。
さよなら。