「ミツキさん…御頭ぁ…!!」
アルフは落ちてくる二人に思わず走り出した。
「アスベラ!何とかならねぇのか?!」
「分かっておる!」
サイフェルトの要求に多少苛つくような声をしながらも、アリアは同じように口元に指をあてがった。
「そこで止まれ、アルフレッド!そなたを中継する!!」
この距離では魔方陣を引けたにしても強力にはできない。アスベラやそれに準ずる者以外を媒介にするのは難しいが、中継くらいなら…。アリアは立ち止まって振り返ったアルフに向かって指を指すように突き出した。アルフの体が一瞬赤く光り、それがすぐに2人の落下地点に向かう。
「重の方に逆らうこと!」
アリアは唱え、手を上へ払う。途端に先行した赤い光が魔方陣を象り、ある種の上昇気流となって光姫とハイゼを包み込んだ。2人の落下速度が急激に下がる。逆さになっていた体もゆっくりと横向きになり、そして足から先に降りる体勢へとなった。
これで2人が落下の衝撃で死ぬようなことはない。アリアを初めとする誰もが安堵の表情を浮かべた。
「だが…あれをどうするんだ…?」
テオレルが尚も険しい表情で呟いた。その目線の先には未だ咆哮を繰り返す竜の靄がある。まだ完全に竜が消えたわけじゃない。それにミツキさんが帰るという目的だってまだ果たされていない。穏やかな心を吸収できなかった竜は余計荒々しく見える。後生だから…2人がちゃんと別れの言葉を交わすまで、絶対に邪魔してくれるなよ…!テオレルはそう強く願った。
やがて光姫とハイゼはアリアの魔方陣に守られるようにして、ゆっくりと地に降り立った。だがすぐに崩れるように2人は座り込む。お互いひどく息が上がっていた。特に光姫は体へのダメージが大きい。出血に顔は青ざめ、痛みに体が震えた。ともすると意識を失ってしまいそうだった。
「ミツキ…」
ハイゼがそんな光姫を優しく呼ぶ。ハイゼも久しぶりに動かす自分の体が重くてたまらなかった。体を起こそうにも肘を付いて頭を地に付けないで入るのが精一杯だった。その上目の前の少女が傷だらけで…そうしたのはあくまで自分で…それを思うと余計に心苦しかった。
「大丈夫…か?」
「…うん。」
光姫は静かに微笑みながら頷いた。
「俺が…やったんだよな…、こんな…」
初めて見るハイゼの悔恨の表情。下から覗き込むように悲しく淀むオレンジの瞳。あたしの方が胸を締め付けられる。
「いいの…いいのよ、もう。ハイゼ…良かった…会いたかった…!!」
光姫は溢れそうな涙を隠すように、ハイゼに額を合わせた。ハイゼはそんな光姫を引き寄せるようにして唇を重ねた。最初は触れ合っただけ…けれど徐々に強く重ねていく。外国映画の場面のように、一時だって唇が離れないように何度もキスを交わした。ハイゼが光姫の頭に手をあてがう。その手に光姫の髪が絡む。静かに暖かい涙が、光姫の瞳からどんどんと溢れてきた。涙を堪えて口元が震えても、それでもキスをやめなかった。
…これが最後だと分かっていた。この生涯でハイゼと再びまみえることはない。本当はずっとずっと一緒にいたいよ…!どうしてあたしたち一緒の世界に生まれることができなかったんだろう…?!このまま帰らずにいたい…でも分かってる…今あたしが帰らないとあの竜の靄を消す手立てはない。あれがまたいつハイゼの心を求めるかも分からない。元の世界には、あたしを育ててくれた何もかもがある。それを今更投げ打つなんて こともできない…。あたしは帰らなければ…。
でも…でも!最後の最後に少しくらいワガママになってもいいでしょう!?本当はあたしもあの説話の女の人と同じ…ハイゼと一緒にいたいの…!
「…っ」
ダメ…涙が止まらない。ハイゼの手に…頬に…あたしの涙が何滴も残っている。ハイゼは何も言わずにあたしの涙を指で優しく拭ってくれた。揺らめく視界にハイゼの悲痛な表情が映る。誰も別れを望んでなんかいないのに…。
「あたし…行くね…」
震える声でもう取り消せない言葉を口にする。言いたくなかった言わなくてはならなかった言葉。それでもあたしは精一杯微笑んでみせた、瞳にいっぱいの涙を湛えたまま。ハイゼもそれに応えてくれる。
「…分かってるよ。」
お前が本当は帰りたくないことぐらい。俺だって引き止めてやりたい…。“一緒にいよう”の一言がどうしても言えない…こんなに望んでいながら…!
「泣くな…」
ハイゼは光姫の頬を包むように当てた手で、何度も彼女の涙を拭った。声を押し殺すように大粒の涙を堪えきれない光姫の姿がとても儚かった。
「…また…会えるんだろ?」
ハイゼは真意を隠して光姫を諭す。その言葉の半分を自分に言い聞かせるように…。
「…うん…!っ…ハイゼ…!」
光姫は堪えきれずハイゼの頭を抱え込むように抱きしめた。そうだ…これで終わりじゃなんだ…、何度でも何度でも繰り返し巡り合える絆が、あたしたちの間にはあるんだ。
忘れないで…あたしは元の世界に帰るでも行くでもないの…
「行って来るね…」
光姫はそうハイゼの耳元に囁きかけると、名残惜しむようにしながらも立ち上がった。