最初にあの伝説を聞いたとき、なんて残酷な話だろうって思った。お互いに想い合っていたのに…助けたいって思っていたのに、竜は異邦人を…異邦人は人としての心を…殺しあうことしか出来なかったなんて酷いって…。
けれど今は違う考え方が出来るの。愛する人を死なせたくなかった異邦人と、本当はずっと一緒にいたかった竜。自分の気持ちを貫き通せたなら、あの人たちはそれでも幸せだったんじゃないかな…?純愛な物語なのだと…少しだけ思えるんだよ。単なる結果論だとしても、ね。
でもハイゼ…あたしたちはきっとそうじゃないと思うの。自分の身を犠牲に出来るのは誰にでも出来ることじゃない、とても尊い事。でも尊い事がいつも正しいとは限らない。相手の気持ちを受け入れて、少しは自分のことを考えたって何も悪くはないでしょう?あたしがここで帰る事を諦めてハイゼを死なせたくないって思っていたら、ハイゼが竜として過ごした苦しみは報われないと思うの。
あたしだって同じぐらいの苦しみくらい背負いたい。ハイゼの思いにちゃんと応えたい。…だから何があってもあたしを止めないで。あたしも…あたしを止めない、躊躇わない。
あたしは紅い魔方陣の上で閉じていた瞳を開けた。砂漠から海に向かって強く風が吹き込む。フードは頭にかけていても強い風でめくれて意味がない。あたしは再度しっかりと三日月のブローチでマントを留めた。…そして遠く東の空に小さな点が見え始めたの。
竜が近づいてくる。この魔方陣に呼ばれているのは竜の心…竜は赤に近い鋭い目で攻撃的に咆哮を繰り返している。あれは…ハイゼじゃない。あたしは自分でも驚くくらい冷静に竜を見つめていた。
「あの野郎…今はほとんど竜じゃねぇか…。」
苦々しげにサイフェルトが空を見上げ呟いた。
「お嬢…どうする気だ…?」
誰もが不安の表情で2人を見上げる。既に下に降りてきていたアリアも、いかなる時でも魔方陣を出せるよう体勢を整えながら見つめる。
風が吹いて一瞬だけ髪で光姫の視界が遮られる。けれどそれを手で払う必要はない。近づく竜の巻き起こす風があらゆる方向から吹いて、髪は踊るように上下左右に揺れた。光姫はそれでも尚静かに竜を見つめるだけだった。
何も思うことがなかった…思えなかった。無心とはこういうことをいうのかと感じていた。今まで沢山色んなことを考えてきたから、瀬戸際になっても揺るがずにいられるよう、神が与えたものかもしれない。ただ心の深遠で愛しい名を繰り返していることだけが分かる。
…あたしの中にはいつもあなたがいるからね。
竜はとうとう光姫のいる岩山の目の前までやってきた。荒々しく攻撃的に身を翻すことをやめない。でも…近づくごとに竜が苦しそうなのが伝わってくる。
魔方陣のおかげで竜からあたしは見えないけれど、感じているんだ…破壊衝動に駆られる人物がここにいることを。それが見えないから苦しいの…?それともハイゼの心が止めようとしているから…?どっちにしたってあなたが苦しむのなんて見たくないよ…!
「ハイゼ…」
あたしは震える声で呟いた。竜の中のあなたにはあたしの姿が見えている?あたしの声が聞こえてる?悲しい咆哮が絶えず辺りの空気を震わせている。
お願い…お願いだから…苦しまないで…!あたしがすぐに助けてあげるから!