「ミツキ。」
不意に肩を叩かれあたしは振り向く。
「カルラ…」
「どうするのか…決めた?」
「うん…大丈夫。」
あたしは曖昧な返答をした。まだ全てを決められたわけじゃない…本当の言葉がまだ残ってる。
「いい事教えてあげる。孤児院で聞いた話だけど。」
「何?」
「“信じても叶わないことはある…けれど意味があるなら物事は変わる”。あたしもミツキの考えは間違えてないと思うよ。頑張って。」
「うん…ありがとう。」
あたしはカルラに抱きついた。カルラはまたあたしの背を軽く叩いてくれる。その振動がどれほど支えになるか分かる?いっぱいになった胸が緩和されていくような安心感…あたしは静かに目を瞑った。
「さ、サイのところへ…。」
サイフェルトはあたしのすぐ後ろに来ていた。振り向いてその目を見て…あたしは何も言えなくなってしまった。初めてこの目を合わせた時はとても怖かったっけ…。それから暫くは目を合わせられなかった、あの人の…ハイゼの影を重ねて…。
ここにいろって言ってくれた…泣いてもいいよって慰めてくれた。色々な思いが交錯して“ありがとう”の一言がなかなか言えない。
「前はあいつより先に会いたかったけどさ…」
唐突にサイフェルトは空を見上げるように微笑みながら切り出した。
「今は感謝してるんだ、あのタイミングで会えた事に。何でだと思う?」
「…どうして?」
あたしはやっとの一言で聞き返した。この場にはあまりに不釣合いな落ち着いた声で。
「それはさ…」
サイフェルトは少年のような笑みを浮かべると、おもむろにあたしを抱き寄せた。あたしはやや見開いた目を瞬きすることができない。
「こうして別れることが出来るからさ。今のあいつには出来ないだろ?」
「…ふふっ、そうだね。」
サイフェルトの少し皮肉を込めた冗談に思わず微笑み返す。瞳に涙が滲む。
…大丈夫だよ
心がそう呟くのが聞こえた。だってあたしを立ち上がらせる力がこんなにもあるのだから。ほんの数日前には考えられなかったくらいに、あたしは強くなれた…そう思いたい。それは全部…皆のおかげだよ。あたしこの世界に来れて本当に良かった。
「さ、あいつが待ってる。あれでも一応いないと物足りないんだ。…頼んだよ。」
「その言葉…聞けて嬉しいわ。」
あたしは右のこめかみに走るサイフェルトの傷に触れた。
「最後までありがとう。」
あたしはサイフェルトからゆっくり離れると、ニロをしゃがませて待っていてくれたアリアさんの元に駆け寄った。本当は名残惜しい…何度だって振り向きたい。ずっと一緒にいられることを幾度となく願った。…だけど…これがあたしの決意だから。
「行ってきます!」
あたしはニロが歩き出して遠ざかり始めた皆に大きな声で告げた。あたしが皆への言葉として最後に選んだのは“ありがとう”でも“さようなら”でもなく、“行ってきます”の一言だった。
昔ね、聞いたことがあったの。“行ってきます”という言葉は“行って、来る”っていう帰る事を前提とした約束の言葉。あたしはまた戻ってくるよ、この世界に。その時は香坂光姫じゃない他の誰かだとしても、あたしたちはきっとまた会えるから。
だから悲しまないで…寂しく思わないで。ただ待っていてくれるだけでいいから。