「あの上ですよ、ミツキさん。」
朝早く西のアスベラ家を出発したあたしたちは、テオさんやサイフェルトたちが目星をつけていた崖を目指していた。東から登った太陽が仰角45°くらいまで登った頃にそれは見えてきた。
そこは西海岸を折り返して初めてサイフェルトたちに出会った場所。黄色い岩肌が午前の日光に明るく映える。元は荒れた盗賊の道だったその場所は、西海岸のはずれに端を発し砂漠に続く岩山で、周りへの被害を最小限にするなら確かにこれ以上の場所はない。あたしが見る最後の景色もやっぱり砂漠なんだ。一握りの砂でも持って帰りたい…帰れるなら、ね。
「ミツキ、ここから崖上に上がっていく。私のニロに乗り換えなさい。」
一際立派な黒いニロに乗ったアリアさんが傍らで促す。
「あたしらだってあの上くらい簡単に行けるよ、アスベラ。ギリギリのところまで一緒に行く。」
「…カルラ。」
あたしは頭にかかるフードを下ろしながらカルラを見た。アリアさんに少し拗ねたような表情を向けていたけれど、一瞬だけあたしを見たその目は優しかった。
「気持ちは分かるがそれはならぬ。例の魔方陣には少なからず竜を呼び寄せる効果がある。全員が撤退しない内に竜が来れば由々しきことだ。ミツキが帰れなくなる危険性を孕んでおるのだぞ。」
「でも………。…じゃあここであたしらとはお別れなのね…。」
カルラは反論しかけて止めると、溜め息混じりにアリアさんの意見を受け入れた。確かに正直に言えば、あたしもすぐ側まで来て欲しいとは思ってなかった。もちろん悪い意味合いではなく。皆に怪我させたくないし、あたしを止めて欲しく…ないから。
「…そんな風に言ってくれて嬉しいわ、カルラ。…本当にありがとう。」
泣きそうな顔をカルラの背中に押し当てる。辺りから鞍の擦れる音がして、他の皆がニロを降りているのが分かる。あぁ…あたし皆の顔をちゃんと見れるか心配だ…。
「さ、ニロを降りな。あたしも降りるから。」
「…うん。」
あたしはゆっくりとニロを降りた。途端にアルフが駆け寄ってくる。
「ミツキさん…」
「アルフ、今までありがとね。あたしアルフとは幼馴染みたいに感じてたわ。一緒にいて…すごく安心した…。」
「そんな…俺だってそうです。どうか元気で…。」
そう口にするアルフの顔は、柔和は言葉とは裏腹に浮かない表情をしている。
「……ダメだ俺、他に言葉が思いつかないや…。もっと言いたいことがあったはずなのに…。」
アルフは今にも泣き出しそう。
「そういう時はこうしたらいいんだ!」
そう言って料理長が長い腕を広げてあたしとアルフを抱え込んだ。あたしたち3人の体が1箇所に集まる。少しキツいくらいがちょうどいい。触れ合う体温が心に安堵を与えてくれる。
「料理長…」
「元気でな、お嬢。おいたんはここまで一緒に来れて嬉しかったぞ。」
「あたしも…あたしもだよ。」
静かに涙が零れる。その涙がすごく暖かいのがよく分かるの。寂しくても不思議と前向きになれる別れがあってもおかしくないよね。だって…会えなくなるって思いよりも、会えて良かったって思いのほうが強いんだもの。
「…無事に帰れよ、お嬢。」
ふと耳元に震えるような声で料理長が囁く。いつの間にかアルフの腕があたしの肩を抱いている。こんなにも息が苦しいのは、2人が力をくれているからなんだわ、きっと。
「…ありがとう。あたし頑張れそう。ハイゼのことはあたしに任せて。」
「分かってる。お嬢の好きなようにしな。」
料理長はあたしの言葉を決して否定しなかった。あたしの考えをまだちゃんと知らないアルフもそれは同じ。
「そうだ…アルフ、これ。」
あたしはマントの下から赤い校章の入ったバッヂを外して出した。
「持ってて。あたしがいた証に。」
「…いいんですか?」
「うん、あたしにはこのブローチがあるから。」
そう言ってあたしはあの三日月のブローチを翳した。いつだってその黄色い石の中心に集めた光をあたしにくれたブローチ。飴色は…ハイゼの色。
「オクルのこともお願い。…ほらお行き。」
オクルは緑の目を不思議そうにくりくりさせたけれど、あたしの気持ちが分かったのか、キィッと小さな声で鳴くと料理長の肩に飛び移った。
「テオさん。」
あたしは傍らの細身の男の名を口にする。彼がこんな時でさえ一歩引いて静かに別れを迎えているのは、決して薄情だからなんかじゃない。芯の強い証拠。
「信じてますから、ミツキさん。」
「はい。」
テオレルが口にしたのはたった一言、それだけ。でも十分…それがテオさんの心の言葉。あたしも沢山のことは言わないでおくね。この気持ちが言葉にしなくても伝わることなら、他に余計なものは要らないはずだから。