その瞬間、あたしは駆け寄って抱きつきたい気持ちになった。崖際でサイフェルトたちと合流して建物内に入ると、すぐにアリアさんが迎えてくれた。
「ア…アリアさん…。」
「ミツキ、やはりこの日が来たな。」
顔立ちが同じでもやや背の高いアリアさんがあたしの肩に手を置いてくれる。その後ろで予想通りサイフェルトやカルラは驚いたような納得したような表情をしていた。アリアさんは改めて見ると少し大人になった自分のような、そんな影を重ねてしまう。だから…今のこの状態を乗り越えた自分を重ねるから、なんだか安心する気持ちになるのかな…。
「…やっぱり何か知っていたんですね?」
あたしの問いに少しだけアリアさんの顔が曇る。
「…すまなかった、ミツキ。正直に話そう、確かに私は知っていた。ミツキが帰るにはどんな方法しかないのか、誰がその方法に気付いて実行するのか、何もかも知っていた。…にも関わらず私はそなたに教えなかったのだ。本当にすまなかった。…辛かったろうに。」
「いいんです…いいんです。だってそうしてくれたからまた戻ってこれたんですもの。それにその事を知ってたらあたしきっと何も出来なかったから…。」
今にして思えばこうなったことがいい事だって考えられる。何も絶望することなんかない。
「アリアさんが教えてくれたように、あたしたちリゼットさんに会いました。…これからどうしたらいいのかも聞いてきました。アリアさん、力を貸してくれませんか?」
「勿論だよ、ミツキ。さ、とりあえず皆も共に奥へ来なさい。こんな時だが歓迎いたすぞ。」
そう言ってアリアさんと側に控えていたウォルトンさんが奥へと促す。あたしたちはあの儀礼の吹き抜けを横目に見て、分割されている建物同士を繋ぐ廊下を渡り、それまであたしやテオさんでさえ来たことのない建物の上部に位置する部屋へと通された。
いわゆるプライベートルーム、アリアさんの書斎のような場所だった。部屋の奥にはとても大きくアンティークな木製の机があったが、部屋の入り口からその机までの間は随分あって、実際の大きさと最初に見た印象上の大きさにはだいぶ誤差が生じていた。少し暗めの照明がゆれる室内にはその机のほかに多くの書籍や接待用のソファなどが置かれていたが、どれもそれなりに大きい割にはこの部屋では随分こじんまりとしているような印象を受ける。
「まぁ掛けなさい。とにかく今後のことについて話さなくてはな。」
あたしたちは各々ソファなどに腰掛けた。アリアさんたちを含めて十数人入っても尚この部屋には余裕が感じられる。
「まずは…ミツキ、本当にやるのだね?」
「ええ。」
アリアさんの確認にあたしは短く答えた。もう長々と言葉を続ける必要はない。
「ルベンズも承知の上か?」
「あぁ、覚悟は出来てる。それにミツキさんがやるというのだから私たちもそれに従うつもりだ。」
「なるほど…ところで盗賊がこの屋敷内にいるとは何とも不思議なものだな。そなたたちもルベンズの若頭のことが気掛かりなのか?」
アリアさんはサイフェルトたちを見やりながら半ば冗談交じりに尋ねた。
「まさか。俺たちが気掛かりなのはミツキだけさ。こっちにも色々と事情があってね。」
「フ…まぁいいだろう。その人数で仕事しようと思うほど愚かではないようだからね。補助要員にはちょうどいい。」
「言ってくれるな…さすがアスベラの女ボスだ。」
「褒め言葉として受け取ろう、盗賊の首領よ。だが口は慎め。ここが西のアスベラの拠点であることを忘れるな。」
アリアはサイフェルトを静かに一喝して立ち上がると、少し離れた本棚へ向かい古い装丁の施された本を1冊手に取った。その間にサイフェルトは“同じ顔でも全然違うな、偉そうな女”とカルラに囁いていた。
「場所の目星は付いておるのか?」
戻ってきたアリアがテオレルに問う。
「東への裏ルート辺りを考えている。あの岩上なら十分な高さもあるし、砂漠に面した方を選べば人気も少ない。」
「悪くはないな。」
アリアは本をめくりながら呟く。イマイチ場所を理解していないあたしに、初めてサイフェルトたちに会った辺りだと料理長がこっそり教えてくれた。
「ミツキ、ご覧。これが例の魔方陣だよ。」
「これが…」
あたしが見たページには、とても複雑な模様で隙間なく埋め尽くされた円形の魔方陣が書かれていた。円の中心には竜のようなエンブレム、そこから外に向かって4列それぞれ模様が異なって配されている。他の魔方陣にどんなものがあるのかはよく分からないけれど、これを敷くのには余程の技術と力が必要なのだけは伝わってくる。
「私も今まで使ったことがないから、一体これにどれくらいの威力があるのかは分からぬ。だがこの本に書かれていることに間違いがなければ、おそらく数分間は竜から身を守ってやれるのではないかと思う。いかなる魔方陣も意味なく敷くことができぬのでな、一発勝負になるが依存はないか?」
「ないです…ただ…」
あたしは唇を噛んだ。心が無意識に歯止めをかける。
「ただ?」
「…まだ猶予はありますか?迷ってるわけじゃないんですけど、出来ればもう少し時間が欲しいんです。」
「時間か…。若頭自身のことや周辺への被害のことを考えれば早いことに越したことはないが、竜が大人しくしている間ならまだ大丈夫だ。幸いにも最近は身を潜めているみたいだからな。」
「だけど…ミツキどうして?」
カルラが心配そうに尋ねる。自分から言い出したくせに中々答えが見つからない。ただ心がそう命じたからとしか言いようがない。だけど何か見えないハッキリしないものを掴んだような感覚がある。
「…ごめんなさい…よく分からない…んだけど、何か分かりかけてきたような気がするの。…なんて言ったらいいのか…」
けれど…言葉に表れなくても心の中に何かがある。それがまだ光はあると告げている。声なき言葉…形なき光、だけどちゃんと宿ってる、この胸に。
「…分かった、いいだろう。このまま竜に動きがなければ2日待つ。それ以上は待たぬし、明日でも竜が動けば決行する。いいね?」
「はい。ありがとう、アリアさん。」
これで…これで決まった、あたしに残された猶予が。たった2日しか残されていない…だけど逆にどこか落ち着いた気分にもなる。いつ来るか分からない恐怖に怯えるよりも、はっきり分かっている方がずっといい。たとえ耐え難いことが待っているにしても。
さぁ…これがあたしの最初で最後の大仕事。
覚悟を決めて
可能性を信じて
光を見据えて
ハイゼ…あとはあなたへの思いだけだよ。