「ミツキさん。」

次の朝、まだ完全に心を決められていないままに出発の準備をしていたあたしをバーディンさんたちが呼び止めた。まだ肌寒さの残る岩山の麓、ここから一番近いバザールに戻るより、真っ直ぐ西へ向かったほうが早いというルベンズやサイフェルトたちの全員一致の意見の元、あたしたちは西へ向けてニロに沢山の食料を積んでいた。おかげで老婆が保管していた大切な食料は一気に減ってしまったのだが。

「…どうかしたんですか?」

浮かない表情のルベンズにあたしは問い返した。料理長やアルフが唇を噛んでいる。

「…ミツキさん、ここでお別れです。」

「え?」

突然の別離の宣言にあたしは耳を疑った。

「私たちはもうキャラバンに戻らなくてはなりません。このまま西へ戻ったらキャラバンは成り立たないんです。もう東への猶予もほとんど残されていないし…。」

「そ…そうですよね…。」

あたしは自然と頭を垂れた。困惑の瞳に涙が浮かぶ。今まで考えたこともなかった…いつも一緒にいてくれたから。この人たちはキャラバン、それが生活を支える仕事。決してあたしを帰すために結成されたものではないのに、いつの間にかそうだと感じてしまっていた。なんて自分勝手な考え…!寂しさと恥ずかしさと悲しさが心の中で入り混じる。

「ハイゼが東に行くって言ってたんですもんね。そうじゃないと…」

目にどんどんと涙が溜まっていく。無理やり作った笑顔は途端に無意味なものになる。“泣かない”って決めたことが最近全然守れないや…。バーディンさん、テオさん、料理長、アルフ、コラーナさん…皆みんな…もうこれ以上会うことはなくなるんだ。どっちの結果になってもこれが今生の別れになるんだ。そう考えた瞬間、涙がボロボロとこぼれ始めた。

「…ごめんなさい…っ…あたし最後までこんな…」

光姫は両手で顔を塞いだ。体が悲しみに震える。涙を止めようなんて考えが浮かばないほど、止め処なく涙が溢れ出した。最初に砂漠で助けられてから今まで何があったのか必死に思い出そうとしてる自分がいる。こんなに別れが辛いだなんて知らなかったよ…!“いつかまた会える”なんて可能性を塵ほどにも信じてはならないなんて…!

「お嬢…」

料理長の声も震えてる。別れを惜しんでいるのはあたしだけじゃないんだ。そのことがどんなに有難いことなのかあたしはよく知ってる。心からそう思うことがどれだけ難しいことなのかも。

「あ…ありがとう…ございます、今まで…。あたし…すごく幸せでした。本当に…本当にありがとう…。」

これが精一杯の言葉だった。“ありがとう”だけじゃなくてもっと他の気の利いた言葉が言えたらいいのに…。拭っても拭っても涙が止まらない。子供の頃でさえこんなに泣いたことはきっとないわ。あたしは何度もしゃくりあげるようにしてひたすら泣いた。そうしているのが一番楽だったの。この涙は流してもいい涙なんだって感じてた。

 

 「〜〜〜っ!もうダメだ!!!バーディンさん…!俺ぁもう我慢できねぇよ!!」

突然料理長の大きな声が響く。あたしは驚いて涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

「俺も一度西に戻る!!お嬢に付いて行くよ!だって…だってこんなお嬢を置いていけってのか?!俺にはできねぇよ…とても無理だ…!!」

料理長は豪快に首を横にブンブンと何回も振って、あたしに歩み寄った。数十センチも背の高い料理長が屈むようにしてあたしを抱きしめる。

「俺ぁ頭が良くないからよ、一つ覚えに飯しか作れねぇ。でもそれでお嬢が少しでも元気になるなら俺は何だってやるよ、何だって作る!な?お嬢いいだろ?!」

「でも…そしたらキャラバンが…」

「分かってる…!でも俺は…」

料理長はそこまで言うと姿勢を戻して振り返った。

「俺がそうしたいんだ、バーディンさん。」

真っ直ぐにバーディンさんを見て、料理長は目を逸らさない。下から見上げる状態では料理長の表情を読み取ることが出来ないけれど、とても真剣なのは言葉を通して伝わってくる。

「お、俺もです!俺もミツキさんと西に行きます!!」

その料理長の様子にアルフも同調した。手を上げるようにしてルベンズのメンバーの間からやっと出てきて、料理長と同じくバーディンの方に向き直った。

「アルフ…」

「俺、ミツキさんのことも御頭のことも気になるんだ。こんな状態の俺なんていつも以上に役に立たないですよ。それならいっそ西に行かせてください!」

アルフは少し冗談めかして懇願した。バーディンさんは二人の様子に目を丸くしていたけれど、やがてその目がいつもの冷静さを取り戻すと、真一文字だった口をゆっくりと開いた。

「…分かった。二人がそうしたいなら私は止めん。行ってその目で私たちの代わりに確かめて来い。」

「ああ!ありがとう、バーディンさん!」

料理長は力強く言葉を返した。

「料理長…アルフ…」

一度止まりかけてた涙がまた流れ出した。でもさっきまでとは異質の涙。一緒に来てくれることが…そう言ってくれたことが、あたしの揺れる心を抑えてくれるの。この人たちがいてくれなかったら、あたしはこの世界で生きていけなかったよ。与えられた必然の出会いがハイゼとの間だけではないのだと、あたしはそう思うんだ。

「もう泣かないで、ミツキさん。まだ何もかも終わったわけじゃないんですから。」

「うん…うん…!」

あたしは1回目の返事で涙を拭い、2回目には顔を上げて微笑んだ。涙に揺らめくように映るアルフの顔があたしを安心させてくれる。

 

「全てが済んだらお前たちは西海岸の拠点で待っていろ。東海岸を折り返してから次のマグルットまでに通常通り西へ向かう。時間がかかるが仕方がない。それが一番確実だ。」

「分かったよ。」

「それから…テオ!」

バーディンは料理長に指示した後、光姫の目を盗むようにしてテオレルを呼んだ。

「お前も料理長たちと共に西へ行け。」

バーディンの声はやっとテオレルに届くぐらいに潜められている。

「私も?」

「あぁ。サイフェルトたちを信用してないわけじゃないが、あいつらは盗賊だ。用心するに越したことはないからな。」

「なるほど…分かった。」

サイフェルトたち自身が何かするというよりも、盗賊ということで被るかもしれない事件の方が心配だった。全くないとは言い切れない。自分のよく知る剣の使い手を同行させるのは一種の保険のようなものだった。

「バーディンさん…?」

光姫はそんなバーディンに歩み寄った。

「あぁ…何だね?」

「バーディンさん、最後まで本当にありがとう。もう他に何て言ったらいいのか…」

今は自己嫌悪に陥るくらい言葉が浮かんでこない。

「分かっているよ。あんたには辛い選択になってしまったが…どうか御頭を宜しく頼む。」

「そのことなんですが、あたし…」

そこまで言ってふと口が止まった。願い事は人に話すと叶わないって言うでしょ?…だけどこれは願い事じゃない、これはあたしの決意だ。口にすれば強くなる言葉。

「あたし、ハイゼを元に戻したいって考えてます。あ、反対はしないで。あたしも元の世界に帰れてハイゼも無事に済む方法を考えてるんです。きっと何かあるような気がして…」

バーディンさんはそんなあたしを真っ直ぐに見ている。どうか駄目とは言わないで…。

「…ミツキさんがそう言うなら私たちも信じます。」

バーディンはややあってから確たる言葉を告げた。

「しかしもしもの時はあんた自身を優先しなさい。それがルベンズの願いだ。」

「…はい。」

光姫は柔和な微笑を浮かべて静かな返事をした。その目にはまた涙が溜まりかけていた。

 

 

     

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