朝になってあたしの顔を見た誰もが、驚いたような安心したような表情を浮かべた。昨日の真っ黒な心は少し晴れて、今は随分すっきりしてる。本当は怖い…寂しい…色んな負の気持ちが入り乱れてる。でも背中に誰かの手のぬくもりが残っているような気がする。後押ししてくれた温度を感じるから真っ直ぐ前を見ていられるの。
そうでなかったら、あたしはもう一度あの部屋に入ることはできなかった。微かにパイプの匂いの残る、悲しいイメージにとらわれたあの部屋に。
「本当にやるんだね?」
リゼットは改めて確認した。
「やります。」
昨日は口にするのが怖かった言葉。でも今は少しだけ覚悟を固める言葉になってる。もう後戻りは出来ない…しない。ただ一心にハイゼの願いに応えるだけ。
「ではよくお聞き。竜に対峙するには下準備が必要だからね。」
そう言ってリゼットは座った体勢を整えた。いつもより背筋を伸ばして、いつもより厳しい目つきで。
「まず場所だが…これには断崖がいい。竜が空中にとどまるのに隙が生まれるからね。ならべく人気のない高い場所が望ましい。お前たちならいくつか心当たりがあるだろう?」
「えぇ…仰るとおり。」
バーディンの言葉に全員が頷いた。
「だが場所よりも重要なのは方法さ。いいかい?竜に対峙する時には生身ではいけない。結界を張る必要がある。」
「結界…ですか?」
「言うなれば魔方陣のことだよ。完璧に竜の攻撃を防ぐものではないが、少しの間おまえの姿を隠し、言葉を確実に届けることが出来る。竜がその気になれば簡単に見破られてはしまうがね。」
「ババァ…魔方陣なんか扱えたのか?!」
「私がかい?まさか!そんなことができるのは…」
「アリアさん…」
あたしは思わず口にした。あたしによく似た、毅然とした態度の凛々しい女性が頭をよぎる。
「アリア…?それに魔方陣って言ったら…アスベラか?!ヒメ、何でそれを知ってるんだ?」
「だって…あたしにリゼットさんの所へ行くように言ったのはアリアさんだったんだもの。」
「驚いた…。私ぁてっきりキャラバンの誰かの提案だとばかり思ってたよ。」
ルベンズを除いた全員が目を丸くしている。それほど有難いことだったんだ。アリアさんとの…アスベラとの繋がりというのは。
「一体何があってアスベラと知り合ったんだね?」
「いや…ミツキさんにはアリア・アスベラに対してちょっとした貸しがあってな。だがそれなら助かった。まだアスベラは貸しを返してないはずだから…。」
違う…違うよ、テオさん。アリアさんは残しておいてくれたんだ、あの時の貸しを。きっと何もかも見抜いていたんだ…こうなることを予見できていたのかもしれない。それなのに教えなかったことで頼る道を示してくれていたんだ。人工的な必然性…あたしはそれに従わなくては。アリアさんが“来い”と言ってくれたのだから。
「…アリアさんなら結界を張れるんですね?」
「もちろんだ。セラの結界なら十分な力を持ってる。」
あたしの問いにリゼットさんは力強く請け負った。
再び西へ…そしてハイゼの元へ。どうかそれまで揺るぐことのない気持ちでいさせてください…。今だって本当は逃げ出したい…本当はこのまま竜に対峙しないでいたい…。泣いて大声で“嫌だ”って叫べたらどんなにかいいだろう。でもね…でもそんなあたしを突き動かしているのはハイゼ…あなたなんだよ。ずるいかもしれないけど、だからこそあなたに力を借りたいの。
「なんにしてもアスベラとの間に繋がりがあるなら好都合だ。アリアといえば西のセラだね?そうしたらまずお前は西に向かい、アリア・アスベラに会いなさい。彼女のことだ…既知のことかと思うが、それでも今まであったことを全て話すのだよ。」
「はい。」
「そして高い断崖を探してそこに結界を張ってもらう。後は竜が来るのを待つだけさ。竜の愚かな心が必ずお前を見つけ出しやってくる。…その後のことはお前の思うようにしなさい。私にこれ以上の指図はできない。」
「…はい。」
あたしはとりあえずの返事をした。ハイゼの前に立って本当の言葉を伝える、これは唯一確実なこと、そして今のあたしが一番望まないのはハイゼをあのままにしておくこと。でも結果を考えるとどうしても決定的な覚悟を決められない。
もし仮に覚悟を決めていたとしても、少しでもいい方に転ぶことを望むのは何も悪いことではないでしょう?優柔不断だって言われてもいいの…、ワガママだって言われても我慢する。だからいざとなるその時まで可能性を信じさせていて。