その夜、何とか部屋に戻ったあたしはクッションの山の上でずっとオクルを抱きしめていた。何か物事を聞いたりやったりした時は、必ずしもそれが良かったとも悪かったとも言い切れないことが多い。大体はその中間を指し示して悩まされるのが普通だ。今回もそう。あたしを待ち受けるであろう暗く重い結末に心を黒く染められていても、会うべくして会う絆によって出会えたことが心を明るく照らしている。あたしの中には今まさに光と闇が混在していた。
あたしは本当にどうしたらいいんだろう…どうしたいんだろう…?選べない結末…決行の決断。自分がどうしたいかなんてもう知らない。近い未来を考えるよりいっそ時を戻したい…。西海岸の町にいた頃まで戻ってあの幸せをもう一度やり直したい。不可能だと分かっていても強く望んでる。
だって…たとえどっちの結果に転んでも、人間のハイゼはいなくなるんだよ。結果としてあたしが殺してしまうんだ。あたしが率先して犠牲になったってそれは同じ事。それに…正直に言えばあたしはまだ死にたくない…元の世界に帰りたい…!でもハイゼを助けたい…生きて…元に戻って…会いたい、もう一度抱き寄せて“いいよ”って言って欲しい…。
だけどその望みの半分以上を捨てなければならないんだ。こんな気持ちであの人に対峙して何が変わるというの?だけどこうしている間にもハイゼは苦しんでる…逃げるわけには行かない、早く決断しないと…。でもどちらの結末を望んで向き合えばいいの?
「ミツキ…」
固く目を瞑っていたあたしはカルラの声に顔を上げた。その途端にオクルがあたしの元を離れて毛繕いを始めた。知らず知らずの内に強く抱きしめちゃってたのかな…ごめん…。
「ミツキ、大丈夫?」
「…ダメかも。ごめんね、嘘でも平気って言えないや…。」
「その方がいいよ。」
カルラは沈みがちなあたしを受け入れてくれた。ふと見れば彼女の後ろにはサイフェルトやルベンズの皆が集まっていた。あの話を聞いた今、皆はどんな風に考えているんだろう…?ルベンズにしてみれば御頭を失わなければならないんだ、きっとあたし以上に悩んでいるよね。
「ミツキさん、私たちで話し合った事を伝えます。」
テオレルが一歩進み出て床に膝を付いた。あたしもクッション山を降りて彼に向き合う。テオさんはあたしと同じ悲愴の表情…でもどこか整然としてる。
「きっとこの上なく悩んでいたでしょう?あんな選択を迫られて…。でももういいんです。」
ミツキの不安が大きくなったり小さくなったりする。テオレルにしては珍しく前置きが長い。誰かと悩みを共有するのはとてもいい事…でも嫌な予感に体が震える。
「ミツキさん、どうかあの御頭の前に立ってください。怖いのはよく分かっています。でも御頭を今の状態から救って欲しい。そして貴女は迷うことなく一心に自分が帰ることを望んでください。」
「でもそんなことしたらハイゼが…」
「貴女を帰すためなら御頭もきっと本望です。それにあの人のことだからこうなるのを知っていたのかも…覚悟は出来ていたんだと思います。」
唇がわなわなと震えだす。それを堪えるように唇を噛みしめ俯き、痛む喉に唾液を無理やり飲み込んで、再び光姫は口を開いた。…そうかもしれない…、そうすることが今のハイゼに報いることになるのかもしれない…でも…
「嫌…」
あたしの声じゃない…、心のままに口が動く。
「いや…いや!!そんなの耐えられない!!!」
光姫は両手で頭を押さえて、小さな子供のように体を震わせた。やっぱりダメ…!理屈は分かっていてもハイゼを消すことになるなんて絶対に嫌!そんなことできない…!!
「お嬢…聞いてくれ。」
料理長がそんな光姫の側に座りより、背中に手を置き囁いた。
「俺たちだって御頭が死ぬのは嫌だ。でも同じくらいお嬢を失いたくないんだ。御頭の心が竜に負けてお嬢も人間としての御頭もどっちも失くすより、せめて御頭を失ってでもお嬢を無事に帰したい、そう話してたんだ。」
光姫は頭を抱え込んだ姿勢のまま動かず、料理長の話を黙って聞いていた。少しだけ体の震えが止まりつつあった。
「今の御頭と話ができていたらきっと同じことを言うよ。御頭が竜になってまで叶えようとした願いを聞いてやってくれないか?」
その言葉を聞いた瞬間、あたしの目からボタボタと大粒の涙が零れ落ちた。ハイゼの願い…それはあたしを元の世界に帰すこと。あたしはいつだって彼に報いてあげたかった。そうすることが一番の報いになるのかな…あたしにとってもいい事になるのかな…?
「…分かったわ、料理長…。」
潰れそうな声と共に光姫はゆっくりと顔を上げた。緩くウェーブしている光姫の髪はくしゃくしゃになっていた。
「…だけど少し考えさせて。そんなに時間はかからないから…」
また光姫の瞳から涙が零れ落ちた。本当に悲しい重い涙は頬をつたらないものだ。握り締めた手の甲には大粒の水滴がいくつも残っていた。
本当はね…本当は、考える必要なんて最初からないんだ、分かってる。ただ“やる”という決断を口にしたくないだけ。まるで自分のスペースだけを残して周りが断崖絶壁になっているみたいに、たとえいい状況でなくても打破したくない…そう思う時があるんだ。陸に架かる吊橋がボロボロで、それでも無理に渡ろうと動けば足場が崩れてしまいそうな緊迫感。それならいっそ動かずにいた方が得策だと思ってしまう。
自分も時もこのまま止まっていればいいのにね…。
ハイゼ…どんな結果になってもあたしは自分が許せないと思うの。後悔したまま生きるのも死ぬのも、同じくらい辛いと思うんだよ。