「だが、これで終わりというわけじゃない。これだけではお前はまだ帰れない。」

「ええ、分かってます。」

光姫は涙を拭う。この世界の来訪の意味が分かったのはとても大きい事。でもそれだけじゃないことはうすうす気付いていた。それにもし仮にすぐ帰れることになっていたとしても、あたしは絶対に帰らなかった。ハイゼをあのまま放ってなんておけない。

「ここから先は聞き耳を立てる必要はない。入っておいで。」

大きな声で扉の向こうに呼びかけて、リゼットは天井からぶら下がっていた紐を引いた。何の仕掛けか、扉は重たそうに開いておずおずとサイフェルトやキャラバンの皆が入ってきた。

「どうせ何も聞こえなかったろうに。」

「ああ、全くだよ。ってミツキ!どうした?おいババァ、ミツキに何してくれたんだコノヤロウ!!」

サイフェルトは光姫の涙にすばやく反応しリゼットにくってかかった。

「ううん、何でもないの、サイフェルト。」

あたしは再度涙を拭った。けれど綺麗な涙はそう何度も拭う必要がないみたい。あたしは微かに眼窩に涙を溜めたまま笑いかけた。こんなに心が満たされてるなんて本当に久しぶりなの。サイフェルトもカルラもアルフも…みんな この涙を心配しなくていいよ。

 

 

 「さて…全員が揃ったところで竜について話そうか。対処法の前にまず竜について詳しく知る必要があるからね。」

リゼットはまた吸い込んだパイプの煙を吐き出しながら切り出した。

「お前たちが今まで竜をどのように認識していたのかは知らないが、この世界で竜というのは実は実体なく特定の場所に常に存在している。多くは宗教がかった建物の中だし、誰の目にも映るというのもではないがね。普段はある意味で魂や神といったものに近い 。だが何者かに受け入れられることで初めてその実体を現すのさ。」

宗教がかった建物…やっぱりあの場所もそういう所だったんだ…。竜の潜んでいた廃墟、唸り声が聞こえた…あれはハイゼが竜を受け入れた証だったのかな。

「…竜なんて伝説だと思ってたよ、ずっと。まさか本当にあり得たなんてな、いくら目の前に見ても話を聞いても信じられないよ。」

料理長が皆の意見を代表するように口にした。あたしはすぐ側にいるはずの料理長に顔を向けることも出来なかった。来訪の意味が判明して少しばかり心が落ち着いていたのに、また少しずつ体が強張り始めていた。嫌だ…これ以上話を…真実を知ることが、今のあたしにとっていい事になりえるのだろうか。

 

「つまり…つまりだ、今回は御頭が竜の器になったと…?」

テオレルが恐る恐る尋ねた。もちろん彼は自身で目にした竜の正体を疑っていたわけではないけれど、やはり光姫と同じように心のどこかで否定していた。ただひたすらそうでなければいいのにと思いながら。しかしリゼットは容赦なく話を進める。

「そういうことさ。十中八九竜になった男には何かしらの願いがあったのだろうね。なぜなら竜の力をもってすれば大体の願いは叶えることが出来るのだから。お前の連れているオクル、それがお前に懐いたのもあながち偶然ではあるまい。竜は神殿の中で眠りながらも願いを持つものを引き寄せる力を持っている。オクルや砂漠の動物はえてしてその力を感じ取りやすいのだ。オクルは竜に気付き、男はオクルに気付いて自然と竜に呼ばれたと言っても過言ではないね。だが男はおそらく途中で竜の存在に気が付いたはずだ。だからこそ自分の体のどこかに竜を潜めて伝説の言葉を呟いた。自分の願いを叶えるために。」

 

竜を潜めた…?あぁ…あの首飾りの中にだ…。確かにいつもの違う色をしていた。それについたての向こうから聞こえた話し声。どんな…どんな気持ちでその言葉を口にしたの?こんなことになることを知りながら…。

 

「だが竜になったからといって全ての願いも叶う訳ではない。竜になった者は自身のための願いを決して叶えることは出来ない。その者は竜になってしまっているのだから。竜の力にすがるには誰かのための願いを抱いていなくては発揮 されないのさ。そういう意味ではあの若者の判断は正しかったね。お前を帰すには竜の力をなくして成し得ない。」

 

体がまた微かに震えだしそう…。“ハイゼはあたしを帰すために竜になったんだ”っていう思いが再び頭を支配する。そうだ…この世界に散らばっていた共通の言葉…“キャラバン”と共に行き着く“バザール”に潜む“ドラゴン”があたしを帰す…そういう意味だったの…?

ハイゼは西海岸で最初に あたしを元の世界に帰すと約束してくれた。あの本を読んだ時にあたしを帰せると確信したからだったの?あの竜の地下空間に行った時にはもう覚悟が出来ていたの?そうだとしたら気付くべきだった…!後悔の波が何度も心に打ち寄せる。

「だが問題はこの後さ。」

リゼットは更に静かに話を進める。今やリゼットの他には誰も口を利くことが出来なくなっていた。

「あの若者が竜になっただけでは願いは叶えられない。お前も分かっているとは思うが、あの竜の中にはまだ若者の心と竜の心とが混在している。そして必死にせめぎ合っているのさ、互いの心に負けないようにと。」

あたしの頭にあの時の竜がよぎる。潰れたオアシスで襲いかかるその直前にそれを止めた竜…。苦しそうにもがいて体を震わせて…最後にはあたしから逃げるように飛び去っていった…。あたしの直感は間違ってはいなかったんだ。あの瞬間のあの竜はハイゼだったんだ。

 

「だけど…まだあの竜の中に御頭の心があるというのなら、何故あちこちのバザールやオアシスを襲ったんだ?御頭は…そんなことを好んでするような人じゃなかったのに。」

バーディンがリゼットに対してやっと口を開いた。確かに一理ある。ハイゼの心があるなら元がどんなに凶暴な竜でも少しは抑えられるんじゃないのだろうか。それとももはやハイゼの心が負け始めている証なんじゃ…ううん、そんなこと考えちゃダメ。ハイゼはきっと負けない、背を向けたりなんかしない。

「確かに竜になった男は元々そういう性格だったんだろうね。だからこそ暴れ方がひどくなるのさ。言っただろう?心がせめぎ合っていると。相反する心が一つの体に存在するからこそ大人しくしてられないのだよ。」

リゼットは一度言葉を止めて手に持っていたパイプを傍らに置いた。

 

「竜の心が最も望むのは一番愛する者の破壊。その牙で噛み砕き、爪で引き裂きたくてたまらない。だが男の心はそれを決して許さない。男の心が望むのは愛する者を守り、願いをかなえる事。この二つがせめぎあっているから竜はその余波として無差別な破壊を繰り返すのさ。それでせめてもの安らぎを得られるからね。」

「そんな…」

あたしの息はひどく乱れていた。鼓動も冷たく体中に響いてる。ハイゼは必死に守っていてくれたんだ…、あたしを竜の心から。そうだとしたら…あぁ…なんてあたしは許されざる存在なんだろう。ハイゼを竜に変えて、苦しませて、今もこうして守ってもらっている。そのせいで望んでもいない攻撃を強いられている上に、沢山の人が怪我をしたり命を落としたりしてる なんて…。

その全ての根源があたしなんだ。あたし…あんなに簡単にこの世界に出入りしているべきじゃなかったんだ…、こんな結果になるのなら!来世のためだって言ったって…ハイゼ…あたしたちきっと出会うべきじゃなかったんだよ…!

 

     

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