石造りの建物が美しいゴードウォールドの町の外れの修理屋は、修理屋のくせに看板の立て付けが悪かった。少しの風ですぐにキィキィという錆び付いた音を立て、それでも尚辛うじてぶら下がっているのが不思議なくらいだった。この看板がいつもそのままなのは、「こういうのは大工の仕事だ」と言い張る昔気質の親方の影響だったが、実の所それは既に梯子の上で満足な作業ができなくなっている自身の老いを隠すためで、半ば意地になっているが故に暫くは気だるい音が響き渡る運命にあったのだった。

本当のことを言えば町の者はそうした親方のささやかな自尊心に気が付いていたし、親方も町の者が気が付いていながら何も言わないでいてくれることを知っていて、だからこそ 町の高台には修理屋が一軒だけにも拘らず、いつも賑やかだったのである。

 

 

 この修理屋には、老いて一層目付きの険しくなる親方の他に女の子が一人いた。やや色黒で堀が深く、白髪の中に濃い茶色の髪が混じる親方とはまったくの非血縁関係にある事が一目で分かるほどの白い肌と金髪、胸には大きめの緑の石のペンダント、そして息を呑むほど透き通ったエメラルドグリーンの目を持つ女の子だった。 

…カランカラン

オーソドックスに扉に据えつけられたベルが午後一番のお客の合図を店内に知らせる。

「いらっしゃいませ。」

薄暗い店内のカウンターから女の子が声をかけた。この埃を被った品物が所狭しと並ぶ店内で動くものといえば、女の子のほかには壊れたままでいきなり動き出す仕掛け時計だけだった。

「こんにちは、カーサ。」

「こんにちは、エミーネさん。」

カーサと呼ばれた女の子は、逆光で見えにくいながらもドアのところに立つ上品な雰囲気の中年女性の名を正確に呼び返した。職人が多いこの町で上品な人は珍しい。

「時計を一つ預かって欲しいのよ。」

そういってエミーネは手に持っていた包みを開けた。そこから出てきたのは木製の装飾が美しいアンティークの置時計だった。

「いくらぜんまいを巻いても動かないのよ。もう寿命かしらね…。随分大切にしてきたのだけど。」

「確かに…相当古いものみたいですね。」

「えぇ、そうでしょう。昔、母が新婚の頃に父に貰ったものなのよ。父が亡くなった途端にベルが鳴らなくなったり、私にとっても思い出深いものなの。何とか動くようにならないかしら?」

「よく見せていただいても?」

「もちろんよ、カーサ。」

カーサは置時計を引き寄せて手に持つと、それを隅々まで隈なく観察し始めた。親方のような修理の技術を持たないカーサは、依頼品が持ち込まれるたびにせめて直るようにと思いを込めることが習慣になっていたからだ。エミーネの時計の文字盤はどこか異国の古代文字で書かれていて、それを覆うガラスもあまりの古さに茶色くかすれていた。だが裏返して見ても、ぜんまいやそれを差し込む穴に外見的な故障は見られない。どう考えても動かなくなった原因が寿命だと捉えられる。

次にカーサは時計を表に返して装飾に目をやった。木製の花が幾輪も咲き誇る中に、ひっそりとコマドリがとまっているのが目に入る。 

 

…この時計のベルはコマドリのさえずりのように優しい音だったに違いないわ

 

カーサはそう思いを馳せた。

 

 

 

 エミーネの母は晩年になって、よく杖をついて店に来ては修理の依頼を重ねていた。「私と同じようにこの子達も年老いてしまったけど、もう少し長生きして欲しいのよ」、そう言っていた。全てを娘のエミーネに預けて逝くために。その時にはこの時計は持ち込まれなかった。請け負ったのが全て自分だったのでよく覚えている。あの人も…いずれは修理に出そうを考えていたのかもしれないけれど…。

 

…リン

 

不意に可愛らしい小さな音が店内に響く。カウンター越しに向かい合わせの二人は驚き、すぐにカーサの手の中の置時計を見やった。それまで10時1分前で時を止めていた時計は、今ではカチコチと静かに動き出して、10時を告げるベルをかすかな音で知らせていた。

「あら…まぁ、どうした事かしら?」

エミーネは自らの時計がいつの間にかすっかり直ってしまったことに、ただただ驚くばかりだった。

「だって…だってここは修理屋ですもの。物もきっと直りたくなるんですわ。」

カーサは少し曖昧な笑みを浮かべながらも、いつものように言葉を返した。この店では持ち込まれた依頼品が新品以上に良くなったり、大していじってもいないのにすっかり直ってしまうようなことが多々あった。カーサはそれについて「不思議ね、おじいさん」と尋ねたことがあったが、親方は「ここに来ると物も直りたくなるんだろう」というだけであった。だからカーサもこんな事があった時には、不思議に思いつつ相手と自分にそう言い聞かせるのだった。

「そう…なのかしらね。」

エミーネは未だ腑に落ちないという表情をしている。

「一応預かりましょうか?」

「いいえ、結構よ。聞きたがっていたこのベルを、帰って母に聞かせてあげるわ。…これを。」

そう言って小さなバッグの中から銀貨を数枚取り出し、カーサの手の上に半ば強引に乗せた。

3ルフィルも?!こんな…いただけませんわ。だって何もしてないもの。」

「いいのよ。ここに来て直ったことに変わりはないのだし。私の気持ちだと思って、ね?」

「…分かりました。有難くいただきますわ。」

「えぇ、ありがとうカーサ。また何かあったら来るわ。」

エミーネはそれだけ言うと、置時計を元の包みに戻してにこやかに手を振り店を出て行った。ドアのベルが鳴り止んで、店内には再びカーサ一人となった。最近では修理を依頼する人も少ない。新しいものはいくらでも増えていく。親方が工房にこもっていれば、日がな一日一人でいることもカーサには珍しくなかった。

 

 

   

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