「ねぇ、セカイの姿って何?それが戦争の原因なら、ここにもあったんでしょ?」

マラは気落ちするナタリーの代わりをするように毅然と尋ねた。何より彼女自身も知りたかった…この世界の真の姿を。

「この世界の姿…それはこれだよ。」

カイは浮かび上がったばかりの4番目の球体を示す。

「アディシェス…意味は無感動。戦争を嫌だと感じていながら動けなかった…戦争を嫌だと思う気持ちすら押さえ込んでいた。それがこの世界の姿。象徴はバガー。」

カイはそう言って少しだけその黒い瞳に憂いを浮かべた。スーが訳も分からないままに純真な手でカイの右腕に触れる。汚れているとすら感じていた右腕が浄化されているような思いがした。

「セカイの姿を納める…カイ、その右腕は一体何?その右腕は一度赤い光で私を助けてくれたわ。一体どんな力が?」

ナタリーが柔らかくカイに尋ねる。カイは伏目がちにした顔を、一呼吸置いてから上げた。カイの目にナタリーが映る。

 

 

 「ナタリー、私は以前君に“取り返しの付かない事をした”と言ったね。私は…前にいた世界で赤い光の暴走を止められず、世界を一つ完全に消してしまった…国も町も人々でさえ…。この右腕は邪悪の樹が刻まれた闇の象徴…クリフォスの右腕だ。私の意思で世界に平和をもたらす事も、滅ぼしてしまう事も出来る。私はこの右腕の力と共にそれぞれの世界を回らなければならない。いつか交わした…全ての世界を平和にしていく約束を果たすために…。」

「その約束は…誰と?」

「…分からない。私には世界を回ってきた以前の記憶がないんだ。ある日突然約束と共に放り出された…そんな感じ。けれど約束の主は私を待つと言った。私も行かなくては…」

少しずつ倦怠感が強まってくる。おそらくあと何分とこの世界にはいられない。

「そうやって世界を平和にしていって…すべてが済んだらあなたはどうなるの?」

カイはナタリーの問いに言葉では答えず、ただその憂いの黒い瞳を彼女に合わせた。“分からない”と正直に口にするのがどうしても嫌で言えなかった。10個ある球体…世界、それがもう半分。本当に自分はどうなるのだろう。約束の主は一体どこで私を待っているのだろう。知りたいことや考えたい事が山ほどある…けれど…

「…ごめん。」

カイは目を伏せて小さく呟いた。もう思考力すら定かではない。言えない…いられない、別れは何度重ねようと満足には出来ない。

 

 

 「うわぁ…」

リックとディインが驚きの声を上げる。別の世界へとカイを誘い赤い光が、彼を包み始めていた。

「待って…!」

ナタリーは思わず駆け寄りカイに抱きついた。マラがそうしたように、目に涙を溜めて。

「ナタリー…」

カイもそんな彼女を強く抱きしめる。ナタリーと同じ思いを、カイもまた抱いていたのかもしれない。絶望の淵から煌く湖畔へと誘うように差し伸べてくれたか弱い腕。お互いに助け、助けられてきたことが、二人を強く結び付けていた。

「…うぅ…っ…どうしても行くのね…?」

「…ああ」

分かってる…それを私が引き止めていいことではないことは。でも…!でももし許されるなら…

「もし全てが終わってあなたが戦争から解き放たれたら・・・っ…その時はもう一度ここへ来て…!その時はここももっと平和になっているわ…約束する!」

ナタリーは咄嗟に最後の言葉を付け足した。“約束”があればカイが戻ってきてくれるような…そんな気がしていた。

「ナタリー…」

目を閉じたカイの腕の力が弱まる。どんどんと強くなっていく光…彼の存在はそれに反比例してみるみる風に溶けていく。子供たちが二人の周りでざわめきたち、消え行く青年を畏怖の目で見上げた。

「待って…お願い…!」

ナタリーは軽くなっていくカイの存在に戸惑いながらも尚も懇願した。

「…ごめん…」

もっと言いたいことや言わなくてはならないことがあるはずなのに。けれど…これから先、君や子供たちが平和に幸せでいられるならそれだけでいい。果たせぬ約束を交わして君を傷つけたくなどない。心からすまない…そしてどうか幸せに…

「…まってるから…!!」

反動でナタリーの涙がボロボロと零れ、それと同時にカイの姿が赤い光の中に消えていった。僅かに残るクリフォスの光が、未だにナタリーの周りを包む。

 

 

 

「カイ…」

ナタリーは小さく呟いてゆっくりとその場に崩れた。涙が溢れて止まらなかった。顔を覆った両手がみるみる涙に濡れていく。ただの一度も口には出さなかったけれど・・・愛していた、本当は。黒い髪、黒い目、クリフォスの右腕…心がこんなに空っぽになるなんて…

「ナタリー、泣くなよぅ…!」

リックがナタリーの肩に触れて“顔を上げて”と促す。

「ナタリーが泣くとディインが泣くぞ〜!」

「僕より先にリックが泣くぞ〜!」

「うっ…っ…ふふ、そうね。」

震える声の二人の少年のやり取りに、ナタリーはやっと涙を拭いながら微笑んだ。カイの言ったとおりだ…この子たちは私を救ってくれる。

「カイは…どこへ行っちゃったの?」

マラが空のどこかにその姿を探すような目をして呟いた。クリフォスの強い光が目に焼きついて、未だ赤い光が漂っているような残像を見せる。しかし光だけ…青年はいない。

「きっとこことは違う…別のセカイに…。また…戦争を終わらせに行ったんだわ。」

私たちがこうして平和になっても、あなたはまだ戦争に身を投じなければならないのね…辛い過去と闇の象徴を携えたまま。いつもどこか寂しげな表情だった…きっと心を痛め続けていた…カイ、その全てでなくても少しだけでも代わりに背負ってあげたい。

「ねぇナタリー、カイはまた戻ってくる?」

「…分からないわ。でも待っててあげましょうね。」

きっと私たちにはそうすることしか出来ない。けれど…そうすることがカイのためになる、私たちがカイを忘れずに平和でいれば、きっと彼は約束を果たせる。あなたを想う人はここにもいるわ…忘れないで。

「さ、行きましょう。お腹が空いたでしょう?とびきり美味しいのを作ってあげるわ。」

「やったー!ディイン行こう!」

「うん、行こう行こう!!」

二人の少年が嬉しそうに駆け出していく。ナタリーがスーの手を引きながら、その背中に“ちゃんと手を洗うのよ”と告げる。マラはかつて“涙の湖”だと言った背後のさざ波に目を遣った。湖面は夕日に鮮やかな赤色に染まっている。マラは少しだけその赤い色が好きになっていた。

 

 

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