オルト歴・紀元後63年、遠く北と南の交差した地に、聖なる光に導かれてエスルベが誕生する。生まれながらに神の祝福を受けたとこは明白だったが、すぐにそれと分かる手段はなく…(一部古代オルト文字で書かれているため、ここから数行はカイには読めない。)…として数々の遍歴の後、エスルベが13歳になり初めて訪れた聖堂で彼は洗礼を受け、また同時に神の祝福をその身に現す。幼くもまた神々しいエスルベに、聖堂の神官は駐留を懇願するも、過去の遍歴にて神の光を見たエスルベは、再び流浪の旅へ出る。…・・

 

 

 カイはその先数ページをパラパラと飛ばした。エスルベが何年にどこを訪れ、誰に出会ったのかということが事細かく書かれており、あまり重要ではないと思ったからだ。もしソロラスに一人で来ていたら、全て読んでいたのは言うまでもないが。

 カイが再び目を止めたのは、エスルベが遍歴からどこかの地に帰ってきたという部分だった。

 

 

 …エスルベは自分がいかに恵まれてきたのか、それを思うとひどく恥ずかしかった。家を持たず、何人かのお付とともに遍歴していたのが何だというのか。ずっと見てきた、自分では助けてきたつもりだった人々を見よ。ただ一心に誰かのためにと命を削って生きていた彼らに、本当の言葉をかけられていただろうか。ほんの小さな願いすら叶えられず働かされる彼らに、何が出来ただろうか。彼らに会い、心を痛めただけで満足していた。自分は彼らの力になってあげられたのだと。実際は何をも出来なかったというのに。

 一方、聖堂周辺の街はどうだろうか。最低限のことしかしないくせに、些細なことで悩んでは、便利な言葉で取り繕って自分は不幸だと嘆いている。その中の誰一人として、彼らほど不幸なものなどいはしないのに。

人々を救う為にはどうしたら良いのだろうか?いや、救うというのはもはや間違いだ。この世は歪んでいる…正すべきなのだと、エスルベは強く決意した。そして最も正すべき聖堂へと向かった。聖堂は以前エスルベが感じた神々しさを既に忘れていた。税金だと銘打って私腹を肥やしては、憑りつかれたように豪華な建物ばかりを建設し、人々も救われたい一心で進んで寄付している。人々は奴隷を使っているだけで働かず、そのくせ不平を絶やさない。神も私が世を正すことをお止めにはならないでしょう。…・・

 

 

本はこのあと数ページ破られている。文の前後関係から、おそらくはエスルベが聖堂に何か訴えた箇所だと思われる。古い本だ。後世に抹消されたのだろう。その部分には新しい紙が一枚継ぎ足されており、一文だけ

 

 

エスルベは理不尽にも異端とされた。

 

 

と書かれてあった。

 

 

 

 エスルベは汚れた泉の縁に立ち、声高に民衆に告げた。もし、私がこの泉に身を投じたことで汚れが取り払われたなら、あなた方も自らの心の汚れを取り払いなさい。そして貧しくも清く正しい者たちのために、その生を全うしなさい、と。エスルベは両手を広げ、背後へとゆっくり倒れ、汚れた泉の底で果てた。エスルベが身を投じたとて、泉は今までと何ら変わらなかった。人々は口々にエスルベを否定し、何が神の祝福だと悪態をついた。だがエスルベが泉に沈んでから3日後、…

 

 

 

「我らがオルタスへの帰依希望者ですかな?」

カイは突然横から話しかけられ、体をびくっとさせて振り返った。そこには一人の老人、纏う雰囲気はツェルテのそれと似ていた。

「いえ、そういう訳では…。ただオルタスのことを知りたくて。」

「そのためにオルタスの原理教典をお読みとは随分熱心ですな。古代オルト語を読めるのですか?」

「いや。」

老人は別のやや新しい本を手に取った。

「それならこっちの方が読みやすいですよ。それは古代オルト語を訳した最初の本。読めない箇所がおありでしょう。」

「そうですね。ですが…」

カイは持っていた本を閉じると棚に戻し、老人の方へちゃんと向き直った。

「良ければあなたが続きを聞かせてくださいませんか?友人を待たせているので、あまり長くはいられないのです。あなたはおそらく聖職者でしょう?」

「いかにも私はオルタスの神官です。名をテテと申します。よろしいですとも。あなたに話して聞かせましょう。」

 老人・テテはカイをイスのある方へ促して座らせると、自分も腰掛けた。改めてテテを見てみると、立像と同じような長いローブを着ており、白髪に白髭、少しくすんだような肌色の顔に深い藍色の目、顔立ちはツァラトラの民とさほど変わらない。

「教典はどこまで読みましたか?」

「エスルベが汚れた泉に身を投じたところまでです。」

「では続きを申しましょう。エスルベが身を投じても、すぐには泉に変化はありませんでした。しかし、3日ほど経って地が揺れたかと思うと、汚れた泉は跡形もなく消えていたのです。人々は驚きました。そして少しでもエスルベを疑ったことを恥ずかしく思い、彼の言葉を改めて理解して、エスルベの言葉通りに生きようと誓いました。」

「そして宗教となったのですね。」

「その通りです。」

カイの言葉にテテは嬉しそうにほほ笑んだ。

「我々は古代オルト語で‘全うする者’の意味を持つオルタスという名をつけました。人種名であるオルトとは‘全うする’を意味します。エスルベにもロという言葉が当てられました。これには‘清く偉大な’という意味が込められているのですよ。」

テテは細かくカイに話して聞かせてくれた。カイは少しの間何かを考えるような表情をしていたが、2、3度瞬きをすると思い切ったように切り出した。

 

 

        

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