森を抜けると、ソロラスは丘陵にそびえ、その手前には川があった。しかし、ダルが言うには今は乾季で水かさはかなり浅いらしい。
「上流に…北に少し行けば、崩れかけていますが橋があります。」
そう指差す方向を見たが、橋は近くには見えなかった。
「いや、ここを突っ切った方が近いんだろう?水かさがそれほどじゃないなら、川を越えていこう。」
「そうなるとソロラスの西側から入ることになりますね。正面ではありませんが、よろしいんで?西はソロラスでは出口になりますが…」
「では西側からは入れないのか?」
カイは宗教ごとや聖地に関しては、特に気を遣っていた。
「そんなことはありません。ただ少し正当性に欠けるかと…。初期のツァラトラの教えでは、西からの来訪は異端だとされてましたから。今はそれほど強調していませんが。」
「私は構わないが、ダルが困るなら正面に回ろう。」
「いえ!カイ殿にご承知いただけるなら俺も構いません。参りましょう。ぬかるみに気をつけて。」
ダルはそういうと、一段低い所を流れる川の土手を下りて先導した。背の高いダルにとっては膝下ほどの水位だったが、カイがいざ入ってみるとちょうど膝ぐらいまで浸かってしまった。
5〜6mほどの川幅を渡りきって濡れた裾の水気をあらかた取り、改めてソロラスを見ると、なるほど聖地というにふさわしい。丘陵の真ん中に突如として街が存在している。カイが不思議に思ったのは、川の一方の岸には森があるのに、何故か反対側は乾き切っていて背の高い植物はなく、一部は砂漠化していたことだった。ダルは(ベルタから聞いたそうだが)ソロラスのある側の土地は、森のあるほうよりも高い所にあるために、川の水分がほとんどその恵みを与えていないのだとカイに教えてくれた。
「聖地を離れる事になって唯一良かったことは、水の心配をしなくて済むようになったことですよ。」
ダルが物憂げな声で呟いた。
完全な砂漠とはいえない低い木々が疎らに生える丘を登っていくと、ソロラスはその威圧感を次第に強めていった。カイがダルとともに砂地に足を取られながらも息を切らして登りきると、砂を踏むサクサクという足音が一転、固いものの上を歩くようなコツコツというものに変わっていった。いつの間にか二人はソロラスに入り込んでいたのだ。確かに出口と言われるだけあって、それと思えるハッキリとした境を設けておらず、もしソロラスという街に顔があったなら、そっぽを向いていた事だろう。
それにしても不思議な街だった。少なくともカイの思うところの聖地ではなかった。カイが「聖地」と聞いて思い浮かべたのは、宗教に関連のある豪華な建物があり、遺物や遺跡が恭しく飾られているような場所で、こんな人気を欠いた寂れた雰囲気の土地をとても聖地とは思えなかった。これではまるで廃墟だ。
「建物の色が違うのには何か意味があるのか?」
カイは崩れかけている茶色っぽい壁の建物の間に、だんだんと白い壁の建物が増えてくるのに気が付いて尋ねた。
「意味というか…茶色の建物は俺たちツァラトラの民が建てて使っていたものです。白いのはオルタスのもので…といっても彼らはこの地に居住していませんがね。」
「それじゃあ何のための建物なんだ?」
「え〜…確かオルタスの巡礼をいうのが何日もかかるだとか。そのための宿泊施設であり、あとは整地維持の駐在のためとも聞いています。」
ダルは頭に手をやりながら、困ったような表情で答えた。おそらくベルタの受け売りなのだろう。
「駐在…か。それはどこに?」
「多分黒き泉の近くかと…。申し訳ないのですが、俺も場所をよく知らないのです。ですが、オルタスの民のことを知るのであれば、図書館はいかがですか?そこなら確実にご案内できます。」
ダルは何とか役に立ちたいという一心で慌てるように図書館の話を切り出した。
「頼む、ダル。」
カイの言葉に隻腕の男は軽く頷いて、先導するように歩き出した。
そうして歩きだした二人の正面、やや南寄りに白い大きな建物が見えていた。カイの想像していた整地と違わぬそれは、明らかにオルタスの聖堂を思わせた。どうやら図書館へ行くにはその聖堂の近くを通るらしく、大聖堂を見上げるのはだんだんと辛くなっていった。聖堂は北に向いている方に扉があり、その正面には広場があった。広場の中心には一際大きく立派な像が据えられ、像の回りは装飾目的の柵で囲まれている。
見上げてみれば、像はどこかやつれたような哀愁を漂わせた男だった。肩から足首にまでかかるような長いローブ姿で、髭はないがゆるくウェーブした髪が腰まで伸びている。オルタスはロ・エスルベという人物を崇める宗教だと聞いていたが、おそらくこの像がその人物なのだろう。カイの目から見ても、どこか神々しさを湛えているのが分かる。
「もうすぐ図書館ですよ。」
ダルは足を速めた。彼は一度も顔を上げて立像を見ることがなかった。