その時カイは初めて気が付いた。光っている。砲台ではなく自分の右腕が。痣と同じように赤い光がカイの右腕に纏わりついている。そう思った瞬間、周りの時間が凍りついた。倒れるラナ、そしてカイめがけて放たれた砲弾、そのどちらもがまるでコマ送りのようにゆっくりと動いている。ただカイだけが、いや、カイの右腕の光だけが、本当の時間の中で動いているかのように激しく波打っていた。
―その右腕は邪悪の樹()の右腕…
またカイの頭の中に声が響いてきた。前よりももっとはっきりと。
〈クリフォス…?〉
―その右腕は君の宿命。そして闇の象徴…
〈闇…?何のことだ?〉
―その十個の球体・クリファにはそれぞれ意味がある。君はそこから見出さなければならない。それぞれの世界の本当の姿を…
〈本当の…姿?〉
声はそれっきりまた消えていった。次の瞬間聞こえてきたのは、耳を劈く轟音とカイの名を呼ぶラナの声だった。時間が元通りに動き出している。砲弾はもう目の前まで来ている。しかし、砲弾はカイに当たらなかった。カイに限らず、その周辺のどこにも当たらなかった。砲弾がカイの一寸先で消えたからだ。一体何が起きたのかは、その場にいた誰にもわからなかった。ただ砲弾はカイの目の前で、塵とも砂ともつかないものに分解され、空気中に溶けていくように無くなっていった。
「んな、何が起きた?」
指揮官は明らかに動揺していた。
「わ、わかりません!ゲイナー元帥!ただ砲弾が消えたとしか…」
戦車の内部にいた部下が見たままを答えた。カイにも何が起きたのか完全にはわからなかった。しかし、彼らはカイを恐れていること、右腕の力を使えばこの村から戦車を追い出せるかもしれない事をカイは確信していた。カイは光り続けている右腕を携えたまま、静かに戦車に近づいていた。
「今すぐここから撤退しろ。この村は共和国にもお前らの国にも加担しない。それでもこの村を襲うというのなら…」
カイは右腕を砲台に伸ばした。赤い光に当てられた砲台の先端は、砲弾と同じように塵になって消えた。ゲイナー元帥はヒッだかウッだとかいう小さな悲鳴を上げ、その場を取り繕うように怯えた目に不気味な笑みを浮かべながら言った。
「わ、わかった。今すぐ撤退しよう。そ、それでいいんだろう?」
カイはその言葉には答えず、ただ睨みつけていた。元帥は顔をさらに歪めて、村に侵攻していた戦車全てに撤退の合図を出した。カイはその場に立ちすくみ、来た道を帰っていく戦車を見ていたが、最後の一台の影すら見えなくなったと同時に、カイは力が抜けるようにしゃがみこんでしまった。ひどく息が切れ、汗をびっしょりかいている。将軍の部屋から全速力で村まで走ってきたときよりも、ずっとカイは疲労していた。
「カイ!」
ラナが心配そうに近づいてくる。
「私に近づかないほうがいい…。」
未だ光り続けているカイの右腕は、周辺の石や瓦礫を次々と塵に変えていた。今この腕に触れたら、自分の意思に拘わらず人であろうと物であろうと消してしまうように思えた。しかし、カイの心には一縷の光もあった。
「少し…分かってきた…。」
カイは息も絶え絶えに呟いた。ラナは不安そうにカイを見ている。
「邪悪の樹…クリフォスの右腕…闇の象徴?」
記憶を推敲するように、カイは聞こえてきた単語を口に出してみた。
「十個の球体…クリファ?それぞれの意味…見出す、何を?世界の…姿?」
記憶の糸は少しずつ、しかし確実にカイの中で繋がっていった。完全でなくとも、昨日目覚めたときよりずっと近づいてきている、何かに。
「カイ?」
カイは顔を上げてラナを見た。汗がひとすじ顔を流れた。
「カイ、大丈夫?なんだか苦しそう…。」
「あ、ああ…大丈夫だ。」
カイは左手を顔に当て目を閉じた。カイと指揮官のやりとりの一部始終を見ていたラナは、それでも何も言わず、ただカイの側に寄り添うように座っていた。
「…まさかこんな事になるなんてね。」
ラナは変わり果てた自分の村を見渡しながら呟いた。何かを言いかけて、それをごまかすように。
「私のせいだ。どこかから監視されていないかと考えるべきだった。こんなはずではなかったのに…。」
右腕の光が消えたと同時に、後悔の念がカイに押し寄せた。守衛ではなかった。共和国の門をくぐるときに本当に注意すべきだったのは、王国からの監視の目だった。何故気が付かなかったのだろう。村を巻き込まないことが最優先だったのに。
「カイ…」
ラナはうなだれているカイの肩にそっと触れた。